275区 金魚橋

「懐かしむのはここまで。ここからは真剣勝負よ」

私の眼の前を走るえいりんの背中が、そう語っている気がした。


それと同時に私はあることに気付く。


先ほどまでは追い付くことに必死で気にしていなかったが、えいりんのフォームが妙に懐かしく感じられてしまう。


中学の時、私が県ランキング1位で優勝したあのトラックレース。

最後に対戦したあの時と、えいりんのフォームは何ひとつ変わっていない。

蹴った左足が微妙に外へ跳ねるのと、右の腕を少しだけ外側に振る癖もそのままだ。


それが妙に懐かしく、真剣勝負をしている時だと言うのに、私は思わず吹き出しそうになってしまう。


笑いを我慢する意味も多少含みつつ、このままえいりんに主導権を握られるのがちょっとだけ不愉快だったので、少しペースを上げ、えいりんの前に出ようと試みる。


しかし、えいりんは私のペースに合わせるように、一緒にペースを上げて来た。


どうあっても私を前に出すつもりはないらしい。


まだ焦る距離でもないので、私は無理をすることなく、並走することにした。


と言いつつも、決して楽をしているわけではない。時計が無いからペースは分からないが、あきらかにこのペースは速い。少なくとも私の体力は、確実に減って来ている。


これは下手な小競り合いをするより、どこかで一気に前へ出てしまった方が得策なのかもしれない。


そう思いながら沿道を見ると、「中間点」と書かれたプラカードを持った役員が立っていた。


もう、半分来たのか。


正直、ここまでの2・5キロは随分と早く感じた。

でも残りの2・5キロはどうだろうか。

少なくとも、淡々と過ぎてくれるとは思えない。


そもそも、確実に勝とうと思ったら、どこで仕掛けるべきなのか。


中学生の時を私は思い出してみる。


と、衝撃の事実に気付いた。

私は駅伝でえいりんと勝負をしたことがないのだ。


中学3年生の県中学駅伝。私はエース区間の4区だったが、えいりんは1区だった。


桂水市駅伝もそうだ。私はエース区間、えいりんは1区。ちなみにえいりんはどちらも区間賞。私は県では区間賞なのに市内では麻子に負けてしまった。


あの時は、同じ中学の部員はもちろん、えいりんも相当驚いていた。


その私に勝った相手と同じチームになるのだから、世の中は不思議なものだ。


駅伝での対戦はこれが初めてと分かった以上、自分の状態とえいりんの状態をしっかりと見極めながらレースを進めていくしかない。


3キロ地点を通過し、私は再度えいりんの前に出ようと試みる。


すると、さっきの抵抗はなんだったのかと問いたくなるくらい、あっさりとえいりんは私に先頭を譲り、私の左斜め後ろに一歩分だけ下がるように位置取りを変えた。


ほとんど並走状態とは言え、初めてえいりんから先頭を奪った。

いや、正しくは先頭を譲ってもらったと言うべきなのか。


でも形はどうあれ、先頭に出たのだ。


出来ればここから少しでもえいりんを離しにかかりたい。


私はフォームを若干小さくして、ピッチ走法に切り替える。

残りはもう2キロを切っている。

若干ペースを上げたこのスピードでも、ゴールまで走り切れる自信はあった。


不思議なことに、私が先頭に出てからえいりんは急に大人しくなった。


揺さぶるように前に出ることもなく、淡々と私の左斜め後ろをぴったりと付いて来る。


もしかしたら、ラストのトラック勝負を狙っているのかも知れない。

ラスト勝負になると、一瞬反応遅れただけで、命取りになる可能性もある。

えいりんの動きには、しっかりと警戒しておかなければ。


なぜ、えいりんは私にこうもあっさりと先頭を譲ったのだろうか。


もちろん、何かしら理由はあるのだろう。


ただ、えいりんにどんな理由があろうとも、私が先頭を走っていることに変わりはない。


こうして先頭を走っていると気付くことがある。

ありきたりなことだが、やっぱり先頭を走るのは気持ちが良い。


私に吹く微かな秋風や沿道の応援、後ろを付いて来るえいりんの足音さえ、先頭を走っていると自分の力に変わっていく気がして来る。


それに気付いてからは、一歩進むたびに自分がどんどん元気になっていく感じがした。


「大丈夫、この調子なら絶対に最後まで良い走りが出来る」

自分で自分にそう言い聞かせ、私はほんの少しだけ、またペースを上げる。


目の前に赤い大きな橋が見えて来た。

通称金魚橋。

あの橋を越えればラスト1キロだ。


先頭が私、左斜め後ろにえいりんという位置取りのまま橋を渡り始める。


渡り初めて5歩も行かないところでえいりんが、位置取りを変える。

私の右側へと移動し、真横に並んできた。


ここから仕掛けて来るつもりか。

でも、なぜわざわざ右側に? そのまままっすぐ私の左横に並べばロスも少ないだろうに。




「ごめんね……。さわのん」



右横にいるえいりんが突然声をかけて来る。

あまりに突然のことで一瞬びっくとしてしまう。



てか、ごめんってどう言うこと?



そう思った瞬間、私は左側から殴られたような強い衝撃を受ける。

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