229区 恵那ちゃんフル回転

合宿三日目の朝。


朝食を食べていると合宿所に元気なあいさつが響き渡った。


声を聞くだけで分かる。

永野先生の妹、恵那ちゃんがやって来たのだ。


さっそく永野先生が玄関まで迎えに行く。


食堂にやって来た恵那ちゃんを見て、誰もが驚いた。


最後に会ったのは、いつだったろうか。

確か、昨年一緒にロードレースに出場した時だから、約九ヶ月前だ。


この九ヶ月で恵那ちゃんは随分と成長していた。


身長は前よりも10cm近く高くなっているのではないのだろうか。

顔つきも幼さが抜け、少し大人びていた。


部活で毎日走っているのだろう。

肌もしっかりと日焼けしている。


ふと、二年前に初めて会った時も、恵那ちゃんは日焼けをしていたのを思い出す。


「アリス的にどう見ても永野先生の子供にしか見えないです。って、永野先生なんでアリスを殴ろうとするんですか」


「葵姉から話は聞いていたけど、実際に見てみると可愛い。まぁ、葵姉には勝てないけど」


初めて恵那ちゃんを見たアリスと梓が、真っ先に恵那ちゃんに駆け寄って行く。


「とりあえず、ブレロと大和妹。朝御飯を食べろ。ってここは保育園かまったく」

永野先生に注意され、2人も席へと戻る。


「可愛いけど……。恵那ちゃんってわたしより速いんですよね?」

「大丈夫だよ朋恵ちゃん。朋恵ちゃんも十分に早くなってるかな」

恵那ちゃんを見て落ち込む朋恵を、晴美が笑顔でフォローする。


でも実際、恵那ちゃんの実力はいったいどれくらいなのだろうか。


昨年のロードレースの時に、3キロを10分一桁で優勝していたが、ロードだとコースによってタイムが若干変わってくるので何とも言えないところもある。


ただ、800mで全国大会に出るということは、それなりの記録を出しているはずだ。


「恵那ちゃん、今800mの全国参加標準記録っていくつなの」

「2分17秒です。私は6月の県選手権で、2分16秒52を出して出場権を得ました」

私が聞くと、恵那ちゃんは嬉しそうに語ってくれた。

と、麻子が不思議そうな顔をして私を見る。


「全国大会って山口県、中国地区と、勝ち抜いていかないと行けないんじゃないの?」

「ですよね。アリスも思いました」

そうか、麻子もアリスも高校から陸上を始めたから知らないのか。


「高校と違って、中学生は指定された記録を切ると、何人でも出場出来るのよ」

私が説明すると、2人とも感心したように頷く。


3日目の午前練習は1000mのインターバルだった。

全部で1000mを10本走るのだが、その間は200mのジョグでつなぐ。


恵那ちゃんは10本のうち最初の5本を走ることになった。


恵那ちゃんの本数が私達の半分だったこと。

私達は合宿3日目で疲労がずいぶん溜まっていること。

それらが大きく影響しているのも事実だが、それを差し引いても恵那ちゃんの走力はずば抜けていた。


信じられないことに3本目までは紘子に付いて行き、残りの2本は紘子に離されてしまったものの、私と競り合っていた。


私はこのインターバルを走っている時に、やっぱり永野先生と恵那ちゃんは親子なのでは? と思っていた。


2人の容姿は何となく程度にしか似ていないが、走る姿はそっくりだった。


私の前を走る恵那ちゃんの走りは、1年生の時に見た都大路を激走する永野先生とまったく同じ走り方をしていた。


インターバルが終わると、恵那ちゃんはヒーローだった。


「すごいよぉ~。本当にすごいんだよぉ、恵那ちゃん」

「いや、正直あたしと競うくらいかと思ってたけど、とんでもなかったわ」

紗耶と麻子がこれでもかと言うくらい恵那ちゃんを褒める。


「でも、私は本数が半分ですし、昨日も軽めのジョグでしたから」

その後もみんながあまりに褒めるものだから、恵那ちゃんは必死に謙遜していた。


練習が終わると、恵那ちゃんも一緒に昼食を取る。

昼御飯は大皿に色々なおかずが盛り付けられていた。


全部で6皿あるので、どれから食べようか迷ってしまう。

合宿3日目ともなると体も多少慣れて来るのか、昨日までに比べて随分と食欲もあった。


「おい、恵那。なんでお前はわざわざ遠くの皿からおかずを取るんだ?」

永野先生が不機嫌そうに恵那ちゃんを見る。


恵那ちゃんを見ると、確かに目の前のお皿からは一切取らずに、わざわざ遠くにあるお皿に手を伸ばしておかずを取っていた。


「だって、私の眼の前にあるのって、綾子お姉ちゃんが作ったやつじゃん。私は晴美さんが作ってくれたおかずが食べたいんだもん」

喋り終わった口に、取ったばかりのおかずが運ばれて行く。


恵那ちゃんの発言に、私達は思わず顔を見合わせる。


隣にいたアリスと眼が合うと「どのおかずを誰が作ったのか全く分かりませんよ?」と眼で訴えていた。


「恵那ちゃんは綾子先生が大好きなんだね。てか、そうじゃなきゃ合宿に来ないか。うちも姉がいるけど、そんなに姉が好きって、ちょっとうらやましいなって思う」

梓が恵那ちゃんを見てニコニコしていた。


そんな梓を見て晴美と紘子が吹き出す。


そりゃそうだろう。


恵那ちゃんが永野先生を好きなのも確かだが、それ以上に梓の葵先輩好きも相当なものだ。


自分では気付かないものだなとしみじみ感じながら、私は恵那ちゃんの前にある皿からおかずを取る。せっかくなので永野先生が作ったおかずも堪能しようと思ったのだ。


食べてみると非常に美味しかった。

恵那ちゃんも食べれば良いのに……。

と、考えていたら、みんなが話しに夢中になっている隙に、目の前の皿から大量におかずを取っていた。


「なんとも素直じゃないですし」

「アリスもあれくらいの時は、あんな感じでしたよ」

どうやら紘子とアリスもそれをしっかりと見ていたらしく、2人で笑っていた。

 


3日目の午後練が終わって初めて知ったのだが、恵那ちゃんは合宿所には泊まらず、今日、明日と親の車で通うらしい。


「さすがに生徒以外をこの合宿所に泊めると問題になるからな。正確には、昨年北原を泊めたら問題になったんだが……」

永野先生はなんとも渋い顔をする。


合宿所の玄関先で見送る私達に、元気よく手を振って、恵那ちゃんは帰って行った。


「聖香。明日は覚悟しておいた方が良いわよ。あなた、恵那ちゃんにフルボッコにされるから」


「ご忠告ありがとう麻子。でも、私だって負ける気はないわよ。いくら相手が中1で、永野先生の妹だとしてもね。明日も全力で走るわ」


「いや、根本的に何もわかってないのね。まぁいいわ。明日、自分の眼で確かめなさい」

麻子は無表情に言い放ち、合宿所の中へ入って行く。


私には麻子が何を伝えたいのか、さっぱり分からなかった。


そして4日目。

私にとって合宿で一番きつい日がやって来る。

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