216区 そこにいる理由

スタート前にスタンドから麻子と朋恵に向かって、ありったけの声で声援を送る。


選手紹介が始まり、呼ばれた選手が一礼して行く姿がオーロラビジョンに映し出されて行く。


清木千夏、山崎藍葉、貴島祐梨、そして麻子に朋恵。

各選手を見るが、意外にもみんな平然としており、あまり緊張は見られなかった。


スタートすると同時に先頭に出たのは、なんと麻子だった。その後ろに山崎藍葉、貴島祐梨が付き、清木千夏は7番目あたり。朋恵は自己申告どおり最下位を走っている。


先頭と最下位を桂水高校が走るという、なんとも奇妙な光景だ。


「アリス的には、あさこさんが先頭に出たのって、予選で我慢していたストレスだと思うんです。あさこさん、思考回路が単純ですから」


「いや、ブレロ。そこは体力が温存出来たからと考えるべきだろう」

永野先生はフォローを入れるが、正直私はアリスの意見に賛成だった。


先頭を引っ張る麻子は快調にレースを進めて行く。ただ、不気味なのは300mを過ぎても清木千夏がずっと6、7番目辺りを走っていることだった。


一昨日出会った時は、気が抜けたとか言っていたが……。


「やっほー! さわのん」

突然、後ろから名前を呼ばれる。

なんと、私達が座っている一段上の通路にえいりんがいた。


「どうしたの? 城華大附属にいなくて良いの?」


「今1500mの付き添いをやって帰る所なの。ほら、城華大附属は100mのスタート辺りに陣取っているでしょ。帰り道の途中で、偶然さわのんを見つけたんですけど」

えいりんは通路の手すりから私の方へと身を乗り出す。


「どうなの? 湯川さん調子良いの? てか、藤木さんの走りも昨日見たけど、本当にみんな速いんだね」

えいりんはまるで自分のことのように嬉しそうに話す。


「随分と余裕だな市島」


「あ、どうも初めまして。阿部監督から話は伺っております。永野綾子さんですよね?」

えいりんは乗り出していた身体を起こし、永野先生に向かって礼儀正しく一礼をする。


「何をどう聞いてるのか気になるが……。それより市島。お前が城華大附属に転校した理由って、本当に澤野と勝負したいからなのか?」

自分のことについて知っているのが意外だったのだろうか。

えいりんは、一瞬きょとんとする。

が、すぐにいつもの顔に戻り、返事を返す。


「はい。本当にそれだけですよ」

「よく、鍾愛女子が転校を許可してくれたな」

「別に珍しいことじゃないと思うんですけど?」

「いや、十分に珍しいだろう」

永野先生の一言に話がかみ合ていないと思ったのか、えいりんが手を横に振って、違いますよとジェスチャーする。


「転校がって意味じゃなくて、レギュラークラスの人間が戦線離脱してしまったり、退部したりすることがってことなんですけど」

永野先生も過去に思い当たることがあったのだろうか。「ああ」と妙に納得をしていた。


「それにしても、これは藍葉負けるな」

トラックに眼をやり、えいりんがため息を漏らす。

思わず私もトラックへと眼を移す。


レースは麻子を先頭のまま、600mを通過していた。


「予選の時、慶ちゃんに聞いたけど、今6番目を走ってる人が、昨年さわのんと競り合って4分19秒出したんでしょ?」


私は「そうだけど」と静かに頷く。


「そんな人がなんであの位置でレースをしてると思う? てか、さわのん逆に考えてほしいんですけど。さわのんがあの位置にいる時ってどんな時? っておしゃべりが過ぎた。戻らないと怒られる。じゃぁね。園村さんも元気そうでなにより」


質問を丸投げしたまま、話の途中でえいりんは戻って行ってしまった。


「市島の意見はもっともだな。よかったな澤野。随分と認められているじゃないか」


永野先生は意味が分かったらしく、私に笑顔で微笑むが、私はさっぱり意味が分からない。


紘子やアリス、梓などを見ても同じように意味が分からなかったらしく、みんな授業中に当てられて欲しくない時のように、微妙に視線を逸らしている。


「まぁ、分かりやすく説明してやるとだな……」

そんな私達を見て、ため息をついた後で永野先生が解説を始める。


「なぜ、昨年優勝した清木千夏が今6番手を走っているのか? 昨年は澤野と競り合っていたのに。答えは簡単だな。澤野以外のやつになら、楽勝で勝てると思っているからだ。自分の中で残りいくらになったら動くと決めてるのか。それとも、レースが動いたら対応する気なのかは知らないが……。あれはかなり余裕の走りだな。そもそも澤野。昨年の県選手権でお前自身がやった走りだろう?」


いや、私は決して楽勝で勝てるとは思っていなかったのだが……。

そう思いながらも、永野先生の説明を聞き、注意深く清木千夏の走りを見てみる。


確かに前を行く麻子や藍葉達に比べて、走りに随分と余裕があるようにも見える。


先頭集団が1000mを通過した所でレースが動いた。

貴島祐梨が、麻子の前へと出る。


だが、先頭を走れたのもわずかに30m。

その貴島祐梨を抜かして、ついに藍葉が前へと出た。

その後ろでは麻子が貴島祐梨の横に並び、競り合いを演じ始める。


藍葉が先頭に立ち、もうすぐラスト1周というところで、さらにレースが動いた。


ずっと6、7番手辺りで待機していた清木千夏が「すーっ」と、まるで幽霊が通りすぎるかのような静かな走りで先頭へと出て来る。清木千夏が先頭へと出た瞬間、ラスト1周を告げる鐘の音が鳴る。


その音を聞くと同時に、清木千夏の走りが変わった。昨日の予選、この決勝と楽な走りをしていたが、それとは逆に力強く地面を蹴る走りになる。


その後の光景はちょっとだけ信じれれなかった。


あの藍葉がまったく勝負をさせてもらえず、あっと言う間に離されてしまったのだ。

決して藍葉が遅い訳ではない。現に、藍葉とその後ろで3位争いをしている麻子達との差は開いて来ている。


その清木千夏の走りを見て競技場内の観客から歓声が溢れていた。


ふと、昨年の県高校選手権3000m決勝を思い出す。

あの時、住吉慶が同じようにラスト1周になった瞬間にペースを切り替えていた。


ただ、今回は1500mのラストスパートと言うこともあり、あの時以上のスピードだ。


晴美の計測によると、清木千夏はラスト1周を56秒というとんでもないタイムで走り、圧勝してみせた。


「あいつ、短距離選手としても十分通用するくらい、スピードを持ってるな。ああ言う選手と戦う場合、昨年澤野がしたように、最初から全力で行くに限るな。とにかく相手の体力を早めに奪って、差を広げておかないと、ラスト勝負では勝ち目がない」


永野先生の考えはもっともだと思う。

正直400m勝負なら、私は清木千夏に勝てないだろう。


清木千夏に離されはしたものの、藍葉がそのまま2位でゴールをする。


「麻子、頑張れ!」

「麻子さんファイトです」

私達は3位争いをしている麻子を必死で応援する。


ラスト1周手前で一度貴島祐梨がリードを奪ったものの、麻子はそれに喰らい付き、必死で競り合いをしていた。


しかし、ラスト勝負では貴島祐梨の方が上なのか。

それとも昨日のマイルリレーで脚を使ってしまったのか。

麻子は付いて行くのが精一杯の状況だ。


結局ラスト100m地点で麻子が先に力尽き、貴島祐梨が3位、麻子が4位でゴール。


麻子がゴールすると同時に、私達は朋恵の応援を始める。


先頭はラスト1周前に激しく入れ替わったが、最下位は最初からまったく変わらず、ずっと朋恵だった。


「でも朋恵ちゃん、このタイムさっきの予選より速いかな」

晴美がストップウォッチを見ながら、驚きの声を出す。


予選の走りはかなり力を出し切ったかに見えたが、それよりも速いタイムで走るとは……。


ひょっとして朋恵がここまで強くなったのは、持久力が関係しているのでは? と、私は考えてしまう。


1500mを走った2人が帰って来て、無事に桂水高校女子駅伝部としての県高校総体は終わりを告げる。


今回の結果、紘子とアリス、それに麻子が中国地区総体へと出場することになった。


きちんと走り出して約五ヶ月あまりで中国地区総体に出場するアリス。入部した時からみんなが言っていたが、やはりとんでもない才能を持っているようだ。

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