169区 葵先輩と麻子の勝負

朋恵の走りをスタート前に見て刺激を受けたのだろう。2組目を走る葵先輩と麻子も、スタートと同時に積極的な走りをみせる。


2組には城華大附属から、住吉慶、工藤知恵、山崎藍葉がエントリーしていた。紘子がいないため、住吉慶が独走すると思ったのが、そうではなかった。住吉慶はあきらかに藍葉と工藤知恵のペースメーカーをしている。その証拠に、200mごとに自分の時計でタイムを確認しながら走っている。


9分20秒ペースで引っ張るとは……。

住吉慶は相当調子が良いらしい。


しかしこの状況は桂水高校からしてもチャンスだ。これに付いていけば、好記録が望める。それが分かっているのだろう。葵先輩と麻子はしっかりと住吉慶に付いて行き、先頭集団は5人となっていた。


1000mの通過が3分6秒。住吉慶がきっちりとペースを刻み、後ろの4人も誰1人脱落することなく付いて行く。


「このまま行けば、大和先輩もあさっちも自己新かな。それにしても大和先輩、今日はすごく積極的かな」

晴美の言葉どおり、今日の葵先輩は積極的に前へと出ていた。


住吉慶に付いて行く4人の集団の中で葵先輩は藍葉に続ぎ2番目を走っている。

今までだったら間違いなく4番目を走っていただろう。


2000mを過ぎても、レースはまったく動きを見せなかった。住吉慶が引っ張り、ひたすら4人が付いて行く。まるで試合と言うよりは、練習を見ているような感じがするくらい、静かにレースは進んでいた。


だが、そこからさらに1周して、2400mを通過すると、レースに動きが出る。工藤知恵がついに先頭集団から遅れ始め、距離にして15m程後ろを走る。


そして、住吉慶を先頭に4人の集団がラスト1周にかかり、鐘が鳴った瞬間だった。


初めからこう言う約束だったのだろうか。住吉慶がものすごい勢いでスパートをかける。まるで世界陸上やオリンピックの長距離種目で、アフリカの選手がラスト1周から優勝争いをし始めるかの様な、そんな感じだった。


さながら400m選手……。いや、下手をすると高校総体で見た女子400m決勝より速いのではないのだろうか。


それくらい住吉慶はすごかった。


当然、残りの3人はまったく付いて行けず、一瞬で離される。


離された3人も住吉慶に刺激されたのか、今までとは違い、3人で競い合う形となる。驚いたことに、葵先輩が藍葉と競り合い、その後ろを麻子が付いている。


公式戦の3000mで残り1周を切り、葵先輩が麻子の前を走っている光景を始めて見る気がする。


住吉慶はラスト1周をなんと58秒で走り、9分7秒13と県記録に迫る勢いだった。


2位争いは熾烈を極める。驚いたことに、葵先輩と藍葉の競り合いはラスト80mまで続いた。最後は力の差が出たのか、ゴールした時には2秒程差があったものの、藍葉が9分21秒03、葵先輩が9分23秒95でフィニッシュ。


4位が麻子で9分25秒62。5位に工藤知恵が9分30秒71でゴールする。


私の記憶が正しければ、葵先輩が公式戦で麻子に勝ったのは、これが初めてのはずだ。


確かに葵先輩は3年生になってから、練習も積極的になっていた。麻子が「走っていてプレッシャーをものすごく感じる。間違いなく葵さんから何かオーラが出ている」と漏らしていたこともあった。


今日の結果を考えると、その努力はきっと凄まじいものだったに違いない。


試合が終わり、私達の所に帰って来た3000m出場者の表情は、三者三様だった。


朋恵は驚きを隠し切れないと言った感じだったし、葵先輩はどこかほっとしたような顔をしていた。


麻子はてっきり悔しがっているかと思ったが、なぜか満足げだった。さすがの私もこれには少しだけ意外だった。


「出せる力はすべて出し尽くしたしね。それにこのタイム自己新だし。その上で葵さんに負けたんだもの、そこは葵さんを褒めるべきでしょ」

麻子は屈託のない笑顔で私に微笑む。


一方朋恵にいたっては、

「あの……。わ……わたしが本当に10分台を出せたんですよね。正直、未だに信じられないのですが。まるで夢のようです」

と、何度も時計と晴美が書いた記録を確認していた。


「さて、みなさんお疲れ。今、綾子から電話があったわ。どうもこっちに着くのは20時頃になりそうなんで、旅館で合流だそうよ。綾子からの指示で、移動前にダウンをしっかり行うようにって。それと、藤木さんは明日に向けて調整を確実に行うようにと。あと、若宮さん5000mで15分36秒だったみたい。って私は記録をいわれてもあまりピンとこないんだけど」


誰もが聞いた瞬間に耳を疑った。葵先輩が由香里さんに聞きなおし、朋恵が紘子に電話をする。朋恵の電話で本当に15分36秒を出したことが分かると、みんな脱力をする。


「いったいあの子はどこまですごいのよ。単純計算、さっきのあたしの3000mとほとんど変わらないペースで5000m走ってるじゃない。秋になって絶好調ね。なんか良いことでもあったのかしら」

麻子の一言に、思わず私は晴美を見てしまう。


私の視線に気づいた晴美は、意味ありげにクスッと笑っていた。


ダウンも終わり、いつもの大変趣きのある旅館へと向かう。玄関を確認するとやはり今回も城華大附属がいた。


部屋へ入り、荷物をまとめ直し、お風呂に入ってから晩御飯となる。


食事場所となっている大広間の入り口で、偶然出会った住吉慶が私に声をかけて来た。


「今日はあのセクシーと言うか、かなりきわどいメイド服じゃないんですね」

「それ、今日で2度目だから。競技場で貴島祐梨に会った時にも言われたわよ」

「あれぇ? まったくキジ先輩は……。まぁ、それはそれとして……。御飯終わって19時にロビーで待ってます。じゃぁ」

住吉慶は私の返事も聞かずに大広間の中へと行ってしまった。

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