131区 救いの神、藍葉
「藍葉? おーい、山崎藍葉様」
半分冗談、半分本気で藍葉を様付けで呼んでみた。そのおかげだろうか、藍葉はまっすぐに私のところへやって来た。どうも彼女もジョグをしていたようだ。永野先生から、今年も城華大附属と旅館が一緒だと聞いていて助かった。
「いったいなんの冗談かしら。澤野聖香。だいたいあなたこんな所で何をしているの?」
「いや、競技場から走って帰ろうと。藍葉は?」
「それは分かってるわよ。車で旅館へ行く時に、あなたが走っているのを見たもの。ちなみに私はダウンのジョグ。私が聞きたいのは、競技場から旅館への経路からまったく外れたこの場所で何をしているのかと言うことよ」
さすがに迷子とは言いづらかった。
ましてや藍葉に言った日には、なにを言われるか分からない。
「まさか、迷子になったとかなの?」
「違うわよ! 少しでも多く走ろうと遠回りしてるだけ」
とっさにバレバレの嘘をつくが、意外にも藍葉は真に受けてしまったようだ。
「本当にあなたイラつくわね。なに? 1500mは楽勝だから調整はいらないって言いたいのかしら? だいたい私との勝負を逃げてまで他の種目で勝ちたいわけ?」
「だから表彰式の時に言ったでしょ。うちの高校は顧問が種目を決めるから私達に決定権はないのよ」
それを聞いて、藍葉の顔が急に穏やかになる。
「あら、そうなの。あの永野綾子さんが決めるのだったら、私がどうこうは言えないわね。でもさすがね。あなたが私に負けてショックを受けないように、私達を同じ種目にしないなんて」
どう考えても藍葉の思い違いだが、話がややこしくなりそうなので黙っておいた。
「ところで藍葉。せっかくだし、話しながら一緒に旅館へ行かない?」
あくまで自然に藍葉と旅館へ行くことを提案する。藍葉も「別にいいけど」と、賛成してくれる。
よかった。これで無事に旅館へたどり着けそうだ。
そして2人で話しながら旅館へと向かう。
いや、道が分からない私にとっては向かっていると信じたい。
「それにしても、今年の1年生って元気良すぎよね」
私の一言に藍葉が不機嫌そうな顔になる。
「元気良すぎとかのレベルじゃないわよ。住吉慶が入部してから練習が地獄なのよ。質も量も昨年より二段階くらい上がってるわ。先月も練習が終わって何度吐いたことか。それに工藤知恵。あの子もとんでもないわよ。あなた、もちろん私のレースは見てたわよね?」
私が頷くと「まぁ、当然のことよね」と、ぼそっと言った後で、藍葉が話を再開する。
まったく、あなたはどこの女王様ですかと突っ込みたかった。
「あの子、練習でも私にぴったりと付いて来るのよ。中学の時はハンドボール部だった1年生が私によ? まったく世の中の理を完全に無視してるわ。2人とも走ってない時は小学生と間違えそうなくらいに幼いのに」
さすがに小学生はどうかと思ったが、3000mの表彰式で見た住吉慶は、小柄で顔も幼く、とても高校生には見えなかった。ましてや、すごいランナーだとは想像もつかない。
その後も藍葉の愚痴を聞かされながらも、無事に旅館へとたどり着く。旅館に着いて驚いたのは、車で出たはずの他のメンバーがまだ到着していなかったことだ。
迷った私より遅いとはどう言うことなのだろうか。藍葉が先に入った後で、玄関先で待つこと10分。見覚えのある車がやって来る。
「途中、工事で全面通行止めになってたから迂回したら迷っちゃって。しかも一方通行が多くてね。ごめんね澤野さん」
由香里さんは、みんなが荷物を降ろしている間、車のドア越しに何度も謝っていた。
永野先生からも、体が冷えていないか心配され、私は結局自分も迷子になったことを言い出せなかった。
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