78区 怒髪天 麻子
そして放課後。葵先輩も久美子先輩も約束どおり部活にやって来た。
そう、確かにやっては来た。
でもさっきから一言も会話をしようとしない。それどころか目を合わせようともしない。お互い部室に置いてあるパイプ椅子に腰かけ、それぞれ不機嫌そうにしている。
久美子先輩にしては珍しく、目の前に置いてある手のひらサイズのパソコンに手を振れてもいない。
葵先輩にいたっては、ほおずえをつき脚を組んでいる。こんな態度の葵先輩は初めて見た。
先輩2人がこんな感じだから、私達1年生も全員何も喋れない。重たい空気だけが部室に漂っていた。
「もういい。疲れた」
そんな沈黙を破るかのように、久美子先輩がつぶやく。
「何その言い方?」
すかさず葵先輩が久美子先輩を睨む。
「深い意味はない」
「だったらそんな言い方しなくていいでしょ?」
「じゃぁ、なんて言えばいい? てか、こんな暇があったら走るべき」
「話を逸らさないでよ。自分が言い出したくせして、走ろうとかよく言えるわね」
ついさっきまでの沈黙の方がよっぽどマシだと思えるくらい、部室の中は殺伐とし始めていた。
「あの、2人とも落ち着いて欲しいかな」
あたふたしながら2人の間に入ろうとした晴美。だが、これが火に油を注いでしまった。
「晴美は黙ってて。これはうちと久美子の問題だから」
「葵。八つ当たりはよくない」
「当たってなんかないわ。当たり前のことを言ってるだけよ」
「その言い方がすでに八つ当たり」
ついに2人は立ち上がり、向き合って言い争いを始めてしまう。
「葵はいつも自分を正当化したがる」
「久美子のその性格よりはマシだと思うけど?」
「あと、その嫌味な言い方も」
「なによ、さっきから。いい加減にしてよね!」
「いい加減にするのは葵。まるで子供」
「はぁ? なめてるの? そっちこそ昨日から子供レベルの自己主張じゃない!」
葵先輩と久美子先輩の言い争いはどんどん加熱して行く。仲裁に入ろうとした晴美も、その隣にいた紗耶も、硬直してしまい身動きが取れないでいた。
一瞬、私の頭に最悪な結末が過ぎる。どちらか1人でも部活を辞めた時点で、県高校駅伝には参加できない。
選手が4人では5区間ある駅伝を走れないからだ。つまり都大路への道は参加する前に終わってしまうことになる。
そんな結末は絶対に嫌だが、この状況を見る限り、それがだんだん真実味を帯びてくる。
と、私の隣にいた麻子が一言つぶやく。
その言葉は先輩2人の言い合いと、麻子の声が小さかったせいで、私にしか聞こえなかったようだ。紗耶も晴美も先輩達をじっと見たままだ。麻子の声が聞こえた私だけが、戸惑いを隠しきれないでいる。
そして麻子がもう一度、今度は全員に聞こえるくらいの大声で同じことを叫ぶ。
「うるさい! 黙れ!」
その声に、先輩2人だけでなく晴美と紗耶までもが麻子を見る。
「さっきから聞いていれば、2人ともぐちぐち、ぐちぐちと。まったく、うるさいんですよ。いい加減にしてください」
麻子が鋭い目つきで先輩2人を睨む。
その鋭さは人を殺めれそうな勢いだ。
「2人ともいったいなんなんですか? あたし達がやらなきゃいけないことは、こんなつまらないことですか? 駅伝までもう後10日しかないんですよ。何が原因か詳しいことまでは分かりませんが、ぐちぐちと……。だいたい、お互いごめんなさいって一回も言ってないですよね。ごめんなさいって言えないんですか? このまま一生喧嘩する気ですか? それとも自分達が苦労して作った駅伝部を自らの手でぶち壊す気ですか?」
怒りのまま麻子は2人に向かってまくし立てる。
「いや、麻子、ごめん。これには事情があって」
麻子の迫力に負けてか、葵先輩が麻子に謝る。
が、その一言が麻子のさらなる怒りを買ってしまった。
「だから、あたしに言ってどうするんですか。違うでしょ。他に言うべき人が、いるんじゃないんですか?」
先輩が相手でも容赦しない麻子。
頼もしいと言うか、なんと言うか。
これは次のキャプテンは麻子が適任かもしれない。そんなどうでも良いことをふと思ってしまった。
「ごめん、久美子。ちょっと意地になりすぎたわ」
「こっちこそ、ごめん葵」
2人して謝る先輩達。それを見て麻子は何度も頷く。
「さて、無事に問題も解決したし、今日も元気に走りましょう」
先ほどの怒りはどこへやら。ぱっと笑顔になって麻子は着替え始める。
そんな麻子を見て私はふと、夕立が過ぎた後の青空を思い浮かべてしまった。
「麻子って母親になったら、子供に厳しそうね」
「それは違う葵。案外、こう言う人ほど自分の子供には甘い。女の子が産まれた日には、絶対に甘やかしまくる。むしろ、葵の方こそ教育ママ」
「ちょっと久美子? それは酷くない?」
つい今までの喧嘩がウソのように先輩2人は笑いあう。
どうやら仲直りしたようだ。これで一安心。
それにしても、今回の件や、私が部活には入れないと語った時など、麻子にはいつも感心させられる。ある意味、この部活を裏で支えているのは麻子のような気がしてならない。
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