風景 その2

○横須加地方総監部桟橋・1105



 「あら、土佐2尉ではありませんか。いかがなさいまして?」



 自衛艦には珍しいゆるやかな傾斜のラッタルの先に、これまた艦魂には珍しい着物姿の女性が土佐の呼び掛けに応じて出てきた。

 着物は青藤色の地に、青竹色の竹と淡紅藤あわべにふじ色の藤の花がデザインされている。

 土佐は白瀬について聞きたいと問うと、「こちらへどうぞ」と乗艦を促した。



○『ASY91 はしだて』上部デッキ



 特務艇『ASY91 はしだて』


 自衛艦でも珍しい2色塗装で、下は通常の護衛艦と同色の灰色なのだが、上は白となっている。

 任務として、艦種は『特務艇』となっているが、海外からの将官等を「おもてなし」する、所謂『迎賓艇』である。

 会議室やそこに隣接する通訳用ブース、立食パーティーも出来るようなデッキ等を備えているが、それに加えて災害時において指揮所機能や、怪我人を収容したり炊き出しが出来るようにもなっている。

 そんな『はしだて』は歴代の迎賓艇の中で、初めて専用の設計で配備された艇である。今までは退役した艇を改装して迎賓艇にしていた。

 また、世界各国のVIPを迎える迎賓艇と言うこともあり、給養員のレベルも別格である。



 『はしだて』の上部デッキに案内された土佐は、先に座った橋立に促され左側に腰掛ける。

 土佐は橋立の一つ一つの所作の美しさに、ふとある言葉を思い浮かべた。

 『立てば芍薬しゃくやく 座れば牡丹ぼたん 歩く姿は百合の花』



 「白瀬さんは文部科学省の方ですし、堅苦しい出迎えを苦手としていますわ。ですから「お帰りなさい」と言えば大丈夫ですわ。」



 「なるほど。ですが、南極から帰ってこられる訳ですし、花束か何か用意したほうが良いのでしょうか?」



 橋立は軽く右手をふると、「いつも晴海(埠頭)で沢山持って帰りますので、ここの皆でいただいて分けておりますの。わたくしも部屋に飾ったり、生け花にしておりますわ。ですから、土佐2尉のお気持ちだけでよろしいと思いますの。」と説明した。



 「ところで橋立1尉、話は変わりますが今日は行事予定でもあったのでしょうか?もしそうであれば失礼しますが。」



 「いいえ、今日明日はお休みですわ。でも土佐2尉どうしてですの?」



 小首を傾げて土佐に聞き返す橋立。



 「お着物をお召しになられていましたので、レセプションの準備かと思いました。」



 「休日の時はいつも着物や浴衣ですのよ。たまたま今日の着物は試着ですけれど。明後日、アメリカの空母や駆逐艦の方々が出席なさるレセプションで披露する予定なのですが、いかがでしょう?」



 立ち上がった橋立は、4歩ほど離れるとゆっくりとその場で回って見せた。土佐は橋立の優雅な所作に見ほれてしまっていた。



 「とてもお美しいです。落ち着いた色合いに藤の花で春を表現されていて、わたしはとても良いと思います。」



 「お褒めの言葉ありがとうございます、土佐2尉。本当は桜で春を表現しようと思ったのですが、定番過ぎると思いましたの。それにもうすぐ4月も中旬ですしね。なので今回は意味を持たせようと思い付きまして、このように合わせたのですのよ。と言っても自分に向けてですわ。」



 橋立は左腕を少し上げ、藤の花が見えるように左半身を少し土佐の方に向けた。



 「意味・・・ですか?」



 「はい、本来は藤の花が松の木から下がっているのが、枕草子で『めでたきもの』、現代訳では『素晴らしいもの』だそうなのですが、わたくしはあえて藤と竹の組み合わせを選びましたの。」



 枕草子の84段目に『めでたきもの』として色々書かれているのだがその中に、


 枕草子:「色あひ深く花房はなぶさ長く咲たる藤の花、松にかかりたる」


 現代訳:「色合いに深みがあって花房はなぶさが長く咲いた藤の花が、松にかかっている景色」


 とある。



 「藤の花言葉は『歓迎』、竹の花言葉は『節度』なんですの。」



 「竹にも花言葉があるのですね。今日初めて知りました。」



 土佐は驚いた表情で橋立を見やる。橋立は軽く微笑むと、また土佐の右側に座り話を続けた。



 「『歓迎』は私の任務に当てはまりますでしょ?『節度』も当てはまりますの。お分かりになりますか?」



 「節度は確か、行き過ぎない程度の様な意味があったかと。でもそれがどう当てはまるのでしょうか、橋立1尉?」



 「節度にはもういくつか意味があるのですけれど、その中に『指令』という意味もありますの。合わせるとわたくしは『大胆』に『歓迎』する事を『指令』されているのですわ。ねっ?ピッタリじゃありませんこと?」



 土佐は感心していて見逃しかけたが疑問に思い口にした。「『大胆』は何処から来たのでしょうか?」と。



 「ここから来ていますの。」と橋立は、撫子色の帯締めを指差した。



 撫子の花言葉は『純愛』『貞節』そして『大胆』である。



 「わたくしの性格は、自分で言うのもおかしいかもしれませんが、『大胆』の反対で『小胆』ですの。そんなわたくしに今回、ここ最近では重要なレセプションを任されたのです。『大胆さ』を『指令』されていると思わないと、当日は緊張しすぎて、立てなくなってしまっているかもしれませんわね。」



 橋立の表情だけを見ると冗談を言っている様にも聞こえる。

 何処まで本気なのか真意をはかりかねる土佐だが、橋立に求められる任務を思うと、本気の部分の割合は決して少なくないと考えた。

 接遇だけで言えば『くらま』や、大人数なら『ひゅうが型』でも『いずも型』の土佐でも出来ないことはない。

 しかし、“上質の”接遇となると現在、橋立しかおらず、それだけ橋立には重圧がかかっているとも言える。



 「橋立1尉いらっしゃいますか!?土佐2尉探してるんですけど、どこにいるかご存知ですか!?」



 突然の声に橋立は立ち上がり左舷側に歩み寄ると、「今こちらにいらっしゃいますわ。どうぞ上がってくださいな。」と呼び寄せた。



 少しして階段から上がってきたのは遠州2曹だった。



 多用途支援艦『AMS4305 えんしゅう』

 「ひうち型」5番艦である『えんしゅう』は物資の積載だけでなく警備・哨戒や、艦艇の射撃訓練用の無線誘導標的を管制したり、その訓練の評価を行ったりしている。

 潜水艦の訓練支援を念頭に水中通話機も装備されている。

 また主機はディーゼルエンジン2機、速度は15kt(28km/h)で低速の部類だが機関の出力は5000馬力と、艦の大きさに対して強力で「ひゅうが型」や「ましゅう型」などの大型艦を単艦で曳航する事も可能である。



 「お二人が一緒で手間が省けました。白瀬さんのお出迎えしようと思ってお誘いしようかと。お忙しいですか?」



 土佐の側まで来ると挙手敬礼をしてから、立ったまま話しかけた。



 「今ちょうど白瀬さんの話をしておりましたの。土佐2尉もわたくしも参加させてもらいますわ。」



 土佐はうなずき、それを見て橋立は遠州に席をすすめる。

 しかし、「すみません、まだ潜水艦の方達に話をしていないのでそちらにも行かないといけないんですよ。もうすぐお昼ですし。」と断った。

 自分の腕時計を確認した橋立は「あら大変、本当だわ!」と慌てだした。



 「は、橋立1尉?どうしましたか?だいぶ慌ててますが?」



 突然うろたえだした橋立に、何事かと遠州が聞いた。土佐も橋立のそんな姿にびっくりしている。



 「びっくりさせてごめんなさい、作業服に着替えをしたいのでよろしいかしら?片付けも少しかかりそうですし、お昼もありますから。わたくしは直接桟橋に向かわせてもらいますわ。」



 「了解しました。ではわたしも一旦戻って食事をとります。茅ヶ崎丸さん達が1300からと言っていましたから、1255までに桟橋にいるようにします。」



 言いながら立ち上がった土佐は、橋立に10度の敬礼をすると、自分に向かって挙手敬礼する遠州に答礼して降りていった。

 その様子を見送ると、自分も降りるため橋立にも挙手敬礼をしようと向き直ると、橋立が左の人差し指を自分の唇に当て右手で遠州を手招きしている。

 招かれた遠州は橋立の側まで近寄り小声で、「"彼女"の事ですか?」と、ある一点を指さす。

 軽くうなずき肯定すると、快晴の空を見上げる橋立。



 「今日、”天気”は良いのですけれども・・・」



 「は、橋立1尉、不吉な事は言わない方が・・・。2年連続で”波高し”なんて、絶対に御免です!白瀬さんには幸い気付かれていな・・・いえ、気付いてても覚えてないでしょうね。興味の無いことにはいつもそんな感じでしたから。でも流石に今年もとなると・・・。今回偶然にもDDのグループはDDHの土佐さんだけですから、まだ配置とかで防げるとは思いますが・・・」



 「そうですわね。昨年は出迎えが終わって、まだ大体の方が残ってる時におきたので、すぐに止める事もできましたけれども・・・あの方も、遠州2曹やわたくしに白瀬さんや曳舟の方達とは仲がいいですし、優しいのですのに・・・」



 「一応これから声はかけてきますが、来ない可能性は高いとは思います。乗員達の動きが少し慌ただしい様ですから、出航するのかと。まあ、来た場合はトラブルを防ぐためにも、土佐2尉には申し訳ないですが終わったらすぐに戻るように話をしておきます。万が一の場合、前回同様に私と曳舟のグループで何とかします。それにしても他のお姉さん達の性格、静かで穏やかな方々なんですけどね・・・」



 話を聞き終わり、ちらりと少し遠くを見やる橋立。つられて同じ方角をみる遠州の目には、斜めに水面から出る2枚の舵が目に映っている。

 橋立は遠州に向き直り目線が合うと、2人はタイミング良く大きく溜め息をつくのだった。

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