第13話 ☽ (十一)

 大地を、月が毎日旅するその半分ほどを経巡って、鉄の箱は港にたどり着いた。

 ここがお告げの土地だ、と風が外側から知らせていた。その風が既に、精気に満ちていた。

(なるほど…ここにならばあるだろう。)

 闇の中で、先ずは四肢を伸ばした。次いで、身体を再構成する。

 故郷を離れて初めての再構成であったが、特に大きな支障はないようだ。

 鉄の箱の中で立ち上がり、五指を開いたり、閉じたりしてみる。

 それから、ひやりとしたその壁に耳を当てると、声が聞こえた。


 …¶イ、イ●ナニカわレるオトがし▼かっタカ。し@¥けっコウでかい…

 …ホンと&%。あっちのくにじゃおた??だろ?…


 人間の声だ。

 聞き取りにくい豚の様な言葉を話す奴らだ。


 …オまえ…シラべて見ろよ」

「ねえよ! 下手にさわって俺たちの責任にでもされたらどうする?」


 野太い男の声――差し詰め、この港の人夫どもか。


「とりあえず事務所に連絡だ。指示を仰ごう」

「…新品のコンテナに見えるが…穴ってことはねえよな」

「オイ」


「…出ねえな、寝てんのか…」

「前、この国のをデバンしたらサソリが出てきたぜ」

「やめてくれよ」

「オイ、ソトニイルヤツラ」

「――おい?」

「今、なにか聞こえたよな」

「中から…? なんだよそれ」

「ソトにいる…人ども、コの箱をあけろ。あけてくれ」

「…! おい! だれか中にいるぞ!」

美濃人みのとじゃないか――? おい! どうした!」

「…とじこめ、られた。腹が減った。喉がくぁあいている」

「なんだって? おい、あけよう!」


 しばらくして、暗闇の中に一条の――おお、月の光が。

 何と清らかで瑞々しい。神は偉大なり。

「…おい、奥のあそこだ!」

 作り物の光。稲妻のかけらを集めた光が、こちらに向けられた。

「あんた、だいじょうぶか? ぼろぼろじゃないか」

「ああ…すまない」

美濃人みのとにしちゃ黒いなぁ、あんた、船乗り?」

 平和そうな顔立ちの民族が居たものだ。鼻の低い、少し上品な猿と行った所。

「立てるか?」

 男たちは両脇から体を支えてくる。病人のふりをしてそのまま引きずられるように、箱の外に出た。


 息を吸う。

 すばらしく、水気の多い土地だ。

 雲が、あんなにも厚く、あんなにも多く棚引いて。 

「おじさん、泣いてるのか?」

「…どうも美濃人に見えないな。言葉は達者だけど…なああんた、まさか密航じゃないよな?」

「もう、大丈夫だ。礼を言う」 

 辺りには、いましがた出て来たのと同じ巨大な鉄の箱が積み上げられている。

 ひっそりと夜の冷気に潮が漂って、他に人気は無い。


「だいじょうぶだって…水は? 飯は」

「いらん」

「はあ…? やっぱこの人おかしいよ。本部まで連れて行こうぜ」

「なあ黒いお父さん、美津穂みづほの決まりでな、海から入って来たものは全て申告しなきゃいけないんだ」

「いらん」

 その時男たちが頭の上で頷き合うと、両腕が羽交い締めにされた。


「…! 密入国だろう!」

「ちょっと来てくれ」

「邪魔をするな」

 軽く両腕を振りほどく。

「うお」

「わあっ」

 男の一人は鉄の箱に叩き付けられ、一人は黒い道の上に落ちた。


 鉄の箱の傍らで気を失っている男の脇を通る時、ふと思いつき、その服をはぐことにした。

(力のある石の発見と奪取には、数日かかるだろうか。)

 流体に戻れば、この土地の精霊や妖魔どもに食われることもあろうし、もはや肉体を再合成するだけの力も無い。

(面倒は起こすべきでない。)

 神と見れば道を避け、人と見れば頭を垂れ、譲り過ぎよう。


「――う」

 着替えが終わった頃、地面に突っ伏していた方の人間が気が付いた。

「! く、くそ」

 腰につけていた黒い箱を取り出すと、それに対して声をかける。

「こちら、エリアほ・D・3! 強盗だ! 繰り返す、強盗が出た! ほ・D・3!」

 男の頭の位置まで跳ぶと、その手に持っているものを奪い上げた。

 中身は――また、稲妻の欠片の入った細工。

 ああ、これで、声を飛ばすのだ。小さな雷に乗せて。

 あいつらも持っていた。

 我らの虹色の海を、一瞬で虚無の灰にしてしまったやつらも、こんなもので、『やれ』といったのだ。


「知恵のつかないやつらだ。道具をばかり使う様になって霊感を失くし、氏族に少しは生まれた霊能者や闘士も、いなくなってきているのだろう?」

 めりめりと音がして、手の中で通信機がひしゃげた。

「伝わる真の速さ、距離、時間は、こんな小道具ではない。その言葉の持つ霊感に由るのだ。詩人、預言者、聖者はただ己の言葉と行いのみによって、その名に千年を越える翼を付けた」

「だれか! 異常者だ。強盗だ!」

「強盗はお前たちだ。異常はお前たちの事だ。そんなことも分からないから、お前たちはこれまでも殺し合って来たし、この先も殺し合っていくのだろう」

 わめく男の瞳の中に、自分の金に光る瞳が見えた。

「助けてくれ! 助けて!」

「最後は助けて、だ。いったい貴様らは――生まれてから死ぬまで、人殺しと命乞い以外にやることがあったのか?」


 突如胸に湧き上がった血潮の流れが憤怒だったと気づいたときには、行動は終わっていた。

 その男の肩から上には何もなく、首はどこかにはじけ飛んでいた。

(しまった。)

 一瞬の間、手のひらを覆う血を見て逡巡する。

 だがもう遅い。

 小さな回転音がして見上げれば、柱の上に黒ガラスの球体が見える。

 その内側で、小型の遠眼鏡が自分を見つめていた。


「あれは、カメラ。見たものを、稲妻に乗せて飛ばす」

 街の方から、千の鳥が飛び立つときの様な騒々しい羽音が、段々と近づいてくる。夜の闇を裂いて、強い光が射してきた。


「ケイコクシマス。ウゴクナ。ケイコクシマス」

 浮いている鎧だった。

 回転羽根を頭に乗せ、幾つも黒い筒を両脇に抱えてこちらに向けている。

 一か月前の記憶が、よみがえる。

「へり、こぷたぁ? あれはもっと大きかったが…小人でも乗せているのか」 

「リョウテヲクンデ、アタマノウエニノセテクダサイ。リョウテヲ…」

 音は伝わってくる。意志は伝わってこない。

(醜悪な。)

「お告げの地に、どうしてこのような奴がいる!」

「トウコウシナイバアイ、タダチニセイアツシマス」

 胴の部分にあたる黒い硝子の帯。

 その中を赤い光文字が、右から左へと流れていく。文字は、何種類かあった。

 故郷の言葉の警告文を見た時、先ほどの怒りが、また甦って来た。


「できるものなら、してみるがいい――!」

 顎が裂けたのが分かった。両の手がはじける様に巨大化した。

 身の内を破って出てきた獣が、月に吠える。

 丁度空飛ぶ木偶は、自分と月との間を遮っている。月に向かって跳ぶ。途中にある障害物の頭に歯を立て、食いちぎる。

(――!)

 だが、あろうことか接触の瞬間、自分の牙が通り切らなかった。

(鉄よりも、硬い?)

 咄嗟に片腕片足で相手の身体にしがみ付く。


 木偶は空中でバランスを崩しながらも、両肩につけていた黒い筒の先から、鋼色をした何かを射ち出した。

 その数は二つ、地面にぶつかって転がりながら、白い煙をまき散らし始める。

「セイアツシマス」

 更に同様の鋼の弾を、二つ射出する。

 当然のことながら、木偶自身の身体に掴まっている自分には当たりようがない。

 黒い筒が回転し、小さな鋼の矢じりを無数に撃ち出す。

 それは恐ろしい速度で、地面を砕き、積み上げられていた鉄の箱に穴を穿っていった。

(ガン。)

 しかも故郷のものより遥かに強力だ。 


「…中のお前はこの国の精霊か。なぜ身を覆っている」

 しがみ付いたまま訊くが、答えは無い。

 やがて銃弾の振動で巻き上がって来た白い煙が、鼻先の部分まで巻き上がって来た。

「!」

 突然、鼻の奥に焼けた鉄を差しこまれたような刺激が襲った。

「ウオオオオ!」

 涙が止まらない。

 咄嗟に相手を蹴り飛ばして跳躍し、鋼の箱の重なりの上に着地した。

 だがそこへ、先ほどの鋼の霰が降り注ぐ――。


 必死に箱の上を飛び回って避けた。

 鉄弾を瞬く間に無数に撃ち出す筒は、確かに恐ろしい発明だ。

 だが一方で、自分は真理を知っている。

 あれが神属でないならば、無から有を創り出す事は出来ない。

(矢は撃てば尽きる。)

 そしてことわりの通り、矢は尽きたのだった。木偶の両腕は、虚しく回転していた。鉄の木偶は、静かに背を向けてその場を離れようとする。

「させん」

 手を自らが出てきた鉄の箱に向け、ほかの砂を呼び寄せる。

 砂は、左手で弓の、右手で矢の形を取って収まった。

 矢を弓につがえ、しゅを唱える。


 そは強き弓

 鋭き矢

 かつて太陽の王の狩りを導き

 今ぞ聖戦士のともがらとなる

 我は光の矢

 犬にして不浄ならぬもの

 狼にして敬虔なる信徒なり

 

「死ね――」

 ひきしぼり、放つ。

 圧縮し金剛石の如くした矢は輝く軌跡を描き、難なく木偶の回転羽根と兜の接続部を食いちぎった。

 羽根はどこかへはじけ飛び、木偶は真っ逆様に地面に落ちる。

 落ちて数秒後に、大きな火花を散らせて爆発した。

「なぜそうも朽ち、尽きるもので文明を作ろうとするのか」

 そこへ、巨人の赤子が泣くような音が辺り一帯に響き渡った。

 鋼鉄の羽音が遠くからいくつも、そして様々な方向から集まってくるのが聴こえる。

「フン」

 積み重なった箱の上から遠く闇に沈む街を見渡せば、天を突くような塔が何本も黒い影となって立ち並び、無数の宝石のような明かりがその中から零れている。

 その下にも、やはり無数の光を灯す四角い城壁が横たわる。


 その一つ一つの光の下に、機械に支配された、不浄の生活がある。

「この港の一帯は、だめだな…」

 砂が生き物のように彼へと帰ってくる。再びそれは矢となって手に納まった。

「もう少し奥に行こう…穢れ無き、清水の湧き出でる土地へ…其処のものならば、きっと村を癒せる。――場所は道々、獣どもに聞けばいいだろう」

 言いながら、頭のどこかで声が聞こえる。

 だが、その土地はどうなる?

 かなめを失った土地は、地脈のバランスを崩して大きな災に見舞われる。

 そんなことは、お前が一番よく知っているのではないか。


「……」

 近づいてきた羽音がいくつも重なって、彼の前には三機のドローンが滞空していた。

「この国の民がどうなろうが、知ったことか」

 彼は弓を引き絞る。

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