第11話 壊れた夢と叶った夢

「なにあれ」

 日向は腰に手を当てながら、バスを見送った。 

「ん…」

 すると、小さなおかっぱの少女――凛が目を覚ました。大きな二重まぶたを何回も瞬いて、景色を確かめる。

 祇居は喜びの声を上げた。


「凛! 大丈夫」

「しいちゃん…うん」

 凛は安心して微笑むと、

「降ろして」

 道路に立ち、脇に立ってにやにやしている日向を見た。

「……?」


 祇居の方は、凛を降ろした後、そのままの姿勢で何かを考え込んでいる。

 日向は二人が一息ついたのを見て取ると、一歩進み出て片手を差し出した。

「しいさん、っていうの? あなた、あそこにいたってことはもしかして皆美の新入生?」

「え――あ、はい」

「そうなんだ! よかった! わたし、月待日向!」

 祇居は、暫く呆けたようにその手のひらを見ていた。

「……!」

 だが次の瞬間、子供が宝物を見つけたような明るい笑顔となり、その手を握り返した。

「水凪祇居です。…あ、あのっ、月待さんはその――」

「で、こっちがりんちゃん! よろしくー。ひなってよんで」

 祇居が言いかけると同時に、日向は凛の前に屈んでいた。

「もうからだ、大丈夫?」

「あ、あ――」

 その無邪気な笑顔に、凛は大きく口を開けていた。

「あはは、かわいー」

 日向はもう一度微笑むと、立ち上がって祇居に向き直る。


「ところで…いっこ確認したいことがあるんだけど」

「あの、あなたにぜひ聞きたいことが!」

「「え?」」


 二人は、戸惑った後、譲りあった。

「いや、月待さんからどうぞ」

「あ、ううん。そちらから」

「いえ! ぜひ月待さんから」


「そ、そう…? じゃあ」

 日向は、少し困った様な笑顔を作って、こう聞いた。

「あのさ…しいさんって、女の子だよね?」

 微妙な沈黙が帳を降ろした。

 日向の笑顔は、何故か知らないが一種奇妙な迫力を備えており、その迫力は、

「いや、ほんと、念の為で聞いただけだから、どうぞどうぞ、遠慮せずにイエスか、はいかで答えてね」

 と、祇居に伝えていたからであった。


「……」

「……」


 凛は必死に何かを言いたがっていたが、兄が黙っているので、どうしていいか分からずに年上の二人を交互に見上げている。

 やがてぷっ、と日向が吹き出した。

「ご、ごめんね!? ほんとごめん! わたしなにいってんだろ。こんなきれいな人に…」

 あっはは、と手で相手を仰ぐ。そして、

「男です」

 祇居が言った時、その笑顔は凍りついた。


「僕の性別は男です」

 日向の頭の中には、『TPG(月待日向パーフェクト学園生活ガイド)』が甦っていた。

 ガイドとは、ガイドブックのことだ。

 ガイドは言う。この地方ではこれが見どころであり、カフェではこちらのメニューが定番である。この美術館ではこの名画を見逃してはならず、でなければあなたの旅はつまらなく取るに足りないないものになるだろう。たった一度の人生。人生は旅。そんな旅でいいんですか? 私を読んでその通りに動きなさいさあさあさあさあ!


「おとこ?」

「男です」


 日向はトラベルアドバイザーなどに書き込まれている内容でもコンプリートできないと落ち込み、引きずるタチの旅行者だった。そして高校生活こそは、そんな彼女が(主に中2ごろからの)叡智を結集させた自作ガイドを拵えてまで臨んだ、ライフ・ジャーニーなのである。

(なのに、初日で…?)

 理屈ではない。

 日向にとってすべからく「ファースト〇〇」とは、厳選されねばならない。


 初めての二人乗りは〈親友〉か〈恋人〉と「決まっていた」。

 それは、愛と感動に満ちて居なくてはいけなかった。

 それは、『パーフェクト』でなければいけなかったのに。

 まして〈恋人〉ルートの〈二人乗り〉ともなればとうぜんそれはもう、幾多のきびしーい障害と困難を乗り越えねばならないのである。


 祇居はそれまで、テオドール二世の荷台に乗っていたのではない。

〈親友〉ルートに乗っていたのだ。

 だが今やそれは〈男〉という日向に取って最も意味不明かつ汚らわしい(かもしれない)レッテルに貼り替わっていた。

 

 初めての高校。

 新品のお気に入り自転車。

 初めての登校日。

 初めてのふた―――


「お、お、お……」

 突如として頭を抱えうめき声を出す日向に、祇居はうろたえた。

「つ、月待さん?」

「――うそじゃないの?」

 日向は顔面を覆う両手の指の間から、片目だけを覗かせて聞いた。

「うそじゃない、です…」


 祇居は、性別を取り違えられるのには慣れていたが、ここまでの反応をされるのは初めてだった。仕方なく袖に入っていた定期入れを取り出し、中の学生証を開いて見せる。

「!」

 日向は、興信所から不貞の報告を受け取った夫人のように愕然とした。

 初めから聞いていれば良かった。

 そうすればこれを高校生活とは認識せずに、人助けとカウントすることができたのに。

(なんてこと…初日からこんなことになるなんて。…ん、初日?)

 そしてここで初めて日向は、自分がどこに向かおうとしていたのかを思い出した。


「うそ!」

 道路の奥、MRの駅ビル時計を見上げ、時刻を確認する。

 針は九時半を示していた。

 入学式、遅刻である。

 パーフェクトどころではない。

(わたしの学園生活が崩壊しようとしている…!)

 日向は涙目になりながらもまなじりを決し、屈んで凛の頬に手を当てた。


「大丈夫だね。いたいところ、ないね」

 それから再び立ち上がり踵を返すと、

「シイサン、バイ」

 背中を向けたまま片言で別れを告げ、

「うあああああああああん」

 中央分離帯の茂みに突っ込んでいる愛機までダッシュをかけた。


 テオドール二世は奇跡のかすり傷で済んでおり、日向は茂みから引っこ抜いて、すぐに跨った。そして時よ戻れとばかりに今まで降って来た路を全速力でこぎ上がって行く。

 兄妹は、呆然と見送っていた。


「うあああああああああん」

 こぎながら、日向はまだ泣いている。

「わあああああああああん」

 やがて、凛が声を上げて泣き出した。

「……」

 その頭に手を置く祇居の頬に、涙が一筋こぼれた。

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