第54話 撤退の気配
10月になった。
マグレーディは月にあるから、季節という概念がほぼない。
なのに農作物が育つのは、ドームの中で気温の調整が行われているからだ。
気温は人間界惑星の北半球に準じており、10月になると肌寒くなってくる。
そろそろ軍服コートバージョンの出番かな。
さて、ピサワンでは大きな動きがあった。
共和国の輸入規制から1ヶ月、貿易依存度の高いピサワンの経済は落ち込み、商人ギルドだけでなく市民にも影響が出始めた。
ピサワン市民はジェルンら魔界軍の存在をまだ知らず、市民議会に大量の抗議を寄せる。
しかし市民議会は魔族の傀儡だ。
何ができるわけでもなく、市民議会に対する不満が市民の中で高まる。
10月になって、商人ギルドが魔界軍の存在を勝手に市民に公表した。
魔界軍の存在が経済の落ち込みの原因であると、商人ギルドは理解していたのだ。
こうして商人ギルドを中心とした、市民による魔界軍への反抗がはじまった。
今までは武力を捨て、魔族との共存が平和への道としていたピサワンだが、今やそんな理想は吹き飛んだ。
やっぱり理想の平和よりも、目の前の生活が大事なんだよな、一般市民にとっては。
商人ギルドと市民、魔界軍の板挟みとなった市民議会は、難しい選択を迫られる。
このまま魔界軍に従うか、市民に味方するか。
市民議会としては市民に味方するべきだが、魔界軍の恐怖政治を恐れ、決断できない首長。
悩んだ挙げ句に首長は、なんと共和国に亡命してしまう。
魔界軍の恐怖政治に耐えきれず、逃げてしまったのだ。
これを皮切りに、市民議会は崩壊し、魔界軍は傀儡を失った。
魔界軍を追い出せという意見が支配するようになったピサワン。
さすがの魔界軍も彼らを虐殺するわけにはいかない。
現実主義者のジェルンだ。
そんなことをすれば、火に油を注ぐだけだと分かっているのだろう。
ここに魔界軍の隙があり、共和国や講和派勢力の諜報員の潜入がはじまる。
諜報員の活躍で、ピサワンの魔界軍の動きは筒抜けとなった。
どうやら魔界軍は、作戦の中止を決定したらしく、すでに撤退準備をはじめているらしい。
ただしどのように撤退するのかまでは、分からないままだ。
一気に動き出したピサワンの問題。
そろそろ俺のところにも何かしらの任務が与えられるだろう。
そう思っていた矢先の10月8日、フードからの魔力通信が届いた。
《明日の10月9日、魔界軍がピサワンから撤退するとの情報を掴んだ。これに対し共和国艦隊は、撤退阻止のために出動することを決定している》
ついに魔界軍撤退か。
たぶんジェルンは、これ以上ピサワンに留まれば魔界への反感が大きくなると判断したんだろう。
1ヶ月とちょっとで撤退の決断は、少し早い気もするがな。
そこが龍族の短気さってやつかもしれん。
《講和派専属艦隊は、万が一を考え、ジェルン将軍を逃がさぬよう備えよ。ことの次第によっては戦闘に発展する可能性もあるため、準備は怠らぬように。諸君らの健闘を祈る》
ここまでで、フードの魔力通信は切れた。
なお、この魔力通信は自動的に消滅する、と俺は頭の中で呟く。
魔力通信が消滅するって、意味が分からないがな。
俺たちへの新たな任務。
要はジェルンを逃がさないためになんでもしろってことだろう。
不可能なミッション、ではなさそうだ。
具体性がないあたりは、現場の状況に合わせて判断しろってことかな。
ジェルンの撤退は明日だから、急いで作戦を組み立てる必要がある。
そこで俺は、すぐさまガルーダの艦橋で作戦会議を開いた。
こういうのは事前準備が何よりも大事だからな。
念のためにヤンも呼んでおく。
ピサワンの状況を最も知っているのは、彼だからだ。
「これがガルーダの艦橋ですかぁ。ボクの想像以上ですねぇ」
そういや、ヤンがガルーダに乗るのははじめてだ。
彼はずっと興味津々な表情で、艦内を見渡している。
男の子は乗り物好きと相場が決まっているが、ヤンも例外じゃないということか。
さて、作戦会議のはじまりだ。
まず最初に、俺がヤンへ質問する。
「なあヤン、ジェルンを逃がすなってのは、撃破しろってことか?」
「撃破って具体的にどういう意味ですかぁ?」
「いや、その……殺すってこと」
「ボクたち講和派勢力にとって一番都合が良いのは、ジェルンが死ぬことですしねぇ。できれば、殺してほしいです」
「……分かった」
個人を殺すという任務は、今回がはじめてだ。
そりゃ今まで、艦隊戦で多くの魔族を殺してきたさ。
でもそうした魔族の死は全て、軍艦撃破の副産物でしかなかった。
今回は違う。
ジェルンを殺すというのが任務の全てだ。
やっぱり感覚が違う。
ところでヤンは、随分とあっさりジェルンを殺せと言ったな。
そこがコイツの怖いところだ。
スチアと共通する怖さ。
「軍師さんよ、敵の戦力はどれくらいなんだ?」
今度はフォーベックがヤンに質問した。
これにヤンは、いつもの微笑みを浮かべた表情のまま答える。
「おそらく戦闘艦3隻だと思われますが、詳しい数は分かっていませんねぇ。ただ、魔界から多数の援軍がやってくる可能性が高いです」
「そうか。敵軍艦の居場所は?」
「不明ですねぇ。とある諜報員によると、海のどこからしいですが……」
「ってことは、戦闘予定地の見当はついてないと?」
「残念ながら、フォーベックおじさんの言う通りです」
「よし、そこまで分かりゃ十分だ」
今の短い問答に、フォーベックはニヤリとする。
どうやら状況をあらかた理解したようだ。
彼は俺に向かって口を開く。
「敵の軍艦が3隻とすりゃ、2隻の軍艦と援軍を囮にして、共和国艦隊がそれに集中している隙に、ジェルンの乗った1隻が撤退ってところだろうよ。俺たちは、そのジェルンの乗った1隻だけを攻撃すりゃあいい」
なるほど、確かに彼の言うことはもっともだ。
撤退戦には必ずといっていいほど囮が存在するからな。
だけどいくつか気になるところもある。
迷わず質問してみよう。
どうせすぐに答えてくれるはずだ。
「敵の援軍はどうするんです? 結構な数が来ると思いますけど」
「それは共和国艦隊に任せりゃいいだろう。魔界艦隊の援軍がいつどうやって現れるかは分からねえが、共和国艦隊だって対策はあるはずだ」
「あ、そうですね」
そりゃそうか。
敵の情報を知っているのは俺たちだけじゃない。
共和国艦隊だって知っているんだ。
援軍への対策があって当然だろう。
「でも、3隻の軍艦がどこに出てくるか分からないのに、うまくいきますかね?」
この俺の質問に答えたのは、フォーベックではない。
ピサワンの監視を続けながらも、魔力通信で作戦会議に参加するダリオだ。
《私と妻が監視をしていますので、敵を見つけ次第そちらに伝えます。司令はその情報を基に、超高速移動を使えば間に合うでしょう》
「そうか、そうだな」
早期発見、早期撃破か。
戦闘の基本中の基本だな。
ダルヴァノとモルヴァノ、ガルーダの組み合わせなら、確かに不可能じゃない。
《あと、これは私からの提案なのですけど、小型輸送機に偵察をさせるのはどうですかな? より早く敵を発見できると思うのですが……》
「お、その提案、悪くねえ。アイサカ司令、俺はダリオに賛成だ」
「なるほど……。分かりました、ダリオ艦長の案を採用します」
ダリオの案は、すごく良い案だ。
偵察機は多ければ多い方が良いからな。
採用しないわけにはいかない。
しかし、ダリオの案の詳しい話は後にしよう。
今は俺の質問タイム。
疑問点はなるべく排除し、完璧な作戦を作り上げるべきだ。
それが俺の狙いだからな。
ええと、次の質問は――。
「ところで、俺たちの狙いはジェルンです。どの軍艦にジェルンが乗っているかは、どうやって確認するんです?」
「どうやらジェルンは現実主義者さんらしいじゃねえか。なら確実な手を打ってくるはずだ。おそらく、囮である2隻の軍艦と魔界艦隊を先に行かせ、ジェルンは時間差でこっそり撤退するはず。だから本命は、一番最後に現れた軍艦だ」
「ほうほう」
囮に共和国艦隊を集中させ、ここぞというタイミングで逃げる。
一番現実的な手だな。
ジェルンなら、この現実的な手を使わぬはずがない。
フォーベックの予想はきっと当たっているだろう。
こう考えると、ジェルン対策はわりと簡単だ。
だって、相手にとって現実的な最良の手を考えれば、ヤツの考えが分かるんだからさ。
現実主義者の弱点って、これなんだな。
冷酷さに未知数な部分があるが、それでも予測がしやすい。
さて、俺の質問は出し切った。
ダリオやモニカ、ロミリアは質問しなかったな。
ならばこれで、疑問点は排除できたと考えていいだろう。
俺たちはそれ以降、作戦の組み立てに話を移した。
最終的に、2時間程度の話し合いで作戦は決定した。
重要な作戦にしては話し合いの時間が短い気もするが、仕方がない。
ジェルンの撤退は明日なんだからな。
時間がないんだ。
作戦の内容はこうである。
ダルヴァノとモルヴァノ、4機の小型輸送機が哨戒任務を担当する。
敵を発見次第、ガルーダにその情報を送る。
ただし戦闘の大部分は共和国艦隊に任せ、ガルーダは魔力温存のため、基本的にマグレーディ近辺で待機。
ジェルンが乗っていそうな敵を発見したら、ガルーダが超高速移動で急襲だ。
そして敵が宙間転移魔法を使う前、つまり宇宙に出る前に撃破する。
フォーベックの予測とダリオの提案から作り出したこの作戦。
たぶんこれが一番確実だろう。
だがこの作戦には、1つだけ大きな問題点がある。
共和国艦隊が敵の援軍で動けなければ、最悪ガルーダ1隻での戦闘だ。
それはつまり、ガルーダと俺が人間界惑星に入らなければならないということ。
これは元老院との約束を破ることになる。
まあ、さすがに情状酌量の余地があるだろうから、元老院も許してくれるはず。
なんとかなるだろうさね。
作戦会議が終わり、フォーベックらが戦闘のための準備をはじめる。
俺は脳内で作戦のシミュレーションだ。
いやはや、明日この作戦がうまくいくことを願うばかりだな。
ところでふと、俺の耳にとある会話が飛び込んできた。
ヤンと、彼を出口に案内するロミリアの会話だ。
「アイサカさんってぇ、作戦会議の時は前向きなんだね」
「ええ、いつもは愚痴ばかりですが、アイサカ様はやるときはやる方ですから」
ロミリアにとっての俺って、愚痴のイメージしかないのか?
一応は褒められているようだから、ここは素直に喜んでおくけどさ。
でも、なんだかなあ。
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