第47話 現実
首長が下がり、演壇にはジェルン1人が立っている。
彼はゆっくりと、感情を見せない表情で演説をはじめた。
「我々魔族は、共和国により多くの同胞を殺害された。その度に殺された者の家族が悲しみ、そして我々は人間を呪ってきた。人間は悪魔であり、絶対悪であると、恐怖すべきものと信じて疑うことはなかった」
そうか?
久保田の話だと、そこまで魔族は人間を嫌ってないらしいけどな。
でもそういや、魔族が戦争をはじめた理由は復讐だったか。
となると、あながち間違っているわけでもないんだろう。
「だがしかし、我はこのピサワン首長に出会ったことで、その認識が間違っていたことを知った。我ら魔族が憎み恐れていたものの正体は、人間ではなく共和国と元老院であったのだ。全ての人間が、悪魔であり、絶対悪であり、恐怖すべきものではなかったのだ」
ジェルンは現実主義者と聞いている。
だがこの演説、今のところ随分と情緒的な感じだな。
むしろ、なんでこんな演説をしているかを考えるべきだ。
俺が冷酷な現実主義者なら、どうしてこんな演説をする?
「平和を愛し、武力を捨て、ひたすらに戦争を拒否するピサワンの姿を見て、どうして我らは人間と戦争ができよう。だが我らは、残念ながら今すぐに矛を収めることはできない。なぜなら、戦争を望む共和国と元老院が存在するからだ」
魔界軍の立場からすると、現実的に考えて、反共和国感情の強いピサワンは味方につけるべきだ。
そのためには、魔界軍がピサワンの味方であることを示さねばならない。
そして魔界軍の戦争を正当化するため、戦争の原因を共和国にあると主張する。
これによりピサワンの反共和国感情を煽り、共和国とピサワンを完全に決裂させる。
俺はジェルンの狙いを、そう推測した。
それが合っているかどうか、演説の続きを聞こう。
「共和国と元老院。ヤツらは武力に固執し、戦争の本質である破壊を知りながら、いやそれ故に、戦争をはじめたのだ。そのような悪魔から魔界の平和を守るため、我らは戦っている。これにピサワンの諸君が協力してくれるとなれば、これほど心強いものはない」
不思議だな。
市民議員は誰1人として、魔界軍の武力に文句を言わない。
真の平和は武力の放棄じゃなかったのか?
人間は魔族の武力に武力で反撃するのはダメだけど、魔族は人間の武力に武力で反撃していいのか?
人間の武力は悪い武力で、魔界の武力は良い武力なのか?
解せない。
「さあ、ピサワンの諸君、共に共和国と元老院を打ち倒そう!」
力強いジェルンの宣言。
これに市民議員たちは、大いに沸き上がった。
議場が歓声に包まれ、拍手喝采である。
商人ギルドは困惑気味だが。
ここまでは、俺の予想通りだ。
ジェルンは完全にピサワンの味方を振る舞った。
そして、ピサワンと共和国を離間させた。
市民議員の反応を見る限り、これはジェルンの勝利だろう。
「困りましたねぇ、本当に困りました」
微笑しながらも、冷たい声色のヤン。
これは怒っているのか、呆れているのか。
彼はロミリアの方を向いて、再び口を開いた。
「ロミーちゃん、アイサカさん、もしかするとこれから、かなり刺激の強い光景を見ることになるかもしれません」
「え? ロンレンさん、どういう意味ですか?」
「ジェルン将軍は冷酷ですからねぇ。ピサワンの人間を完全に従わせるためなら、きっと、えげつないことしますよ」
ゆっくりとした口調、ヤンにしては低い声。
俺もようやく、ヤンの言いたいことが分かった。
現実的に考えて、最も簡単に相手を従わせる方法はアレしかない。
恐怖だ。
歓声と拍手喝采。
それがようやく鳴り止むと、ジェルンは再び演説をはじめた。
先ほどまでとは違い、薄い笑みを浮かべている。
「我がこうしてピサワンの地に立てているのも、ここにいる方々の協力あってのものだ。感謝せねばなるまい。どうぞ、こちらへ」
演壇に上がるよう促されるピサワンのお偉いたち。
首長は当然として、議長やその他の大臣も、ジェルンの横に立った。
そしてジェルンは、1人の男をすぐ側に立たせ、口を開く。
「諸君らは、〝魔族のため〟に懸命に働いてくれた。だが、気に入らぬ」
言い終えた瞬間、ジェルンが目にも留まらぬ早さで剣を抜き、勢い良く振り上げた。
振られた剣の行き先は、彼の隣に立つ大臣と思わしき1人の男。
さらに詳しく説明すれば、男の首。
ジェルンが右手に持った剣を天に掲げたとき、隣の男の首は宙を舞った。
男の胴体と切り離された頭部の間を、血しぶきが繋ぐ。
数秒後、頭部が床に落ち、頭をなくした体が力なく倒れ、議場に鈍い音が響いた。
こんな音が聞こえるなんて、さっきまでの歓声はなんだったのか。
そこまでで、視界が遮られた。
ロミリアが顔を覆ったのだ。
当然だな。
あんな光景、そう長く見ていられるもんじゃない。
俺だって吐きそうだ。
長い沈黙が議場を支配した。
ここにいる全員が、何が起きたのかを理解していない。
剣を鞘に納めたジェルンが、その沈黙を破り口を開いた。
「諸君ら平和を愛する者たちが人間界を裏切ったおかげで、我ら魔界軍は魔界にとっての平和の実現に一歩近づいた。だが、我は敵であろうと味方であろうと、裏切り者は嫌いだ。人間界をこうも容易く裏切る者などは、特にな。今回はこの男の首で許すが、2度目はない。1度人間界を裏切ったのならば、決して、我ら魔界軍を裏切らぬことだ」
血に染まった演壇で、鋭い目で議会を見つめながら、静かにそう言ったジェルン。
市民議員たちは恐怖に震え、商人ギルドも唖然とする。
「ジェ、ジェルン将軍万歳! 私はあなたに忠義を尽くし、決して裏切りません!」
震える情けない声でそう言ったのは、首長だった。
彼の言葉により市民議員のたがが外れてしまう。
「ジェルン将軍万歳!」
「平和のため、ジェルン将軍に忠義を!」
「ジェルン将軍に従い、共和国の打倒を!」
彼らは完全に冷静さを失ったんだろう。
顔を覆っていたロミリアの手がようやく彼女の目から離れたとき、最初に視界に入ったのは、引きつった笑みに遠い目をして、ジェルンへの忠誠を誓う市民議員の姿だった。
平和への理想の崩壊と、死への恐怖が、彼らを狂気に駆り立てている。
ピサワンのお偉いたちは、魔界への従属宣言をしたのだ。
商人ギルドの人々は、口を開ける状況ではない。
魔族への恐怖、次々と従属宣言をする市民議員たちという異常事態に、混乱しているのだ。
だが彼らは損得勘定で生きている。
今この場で魔族に逆らうことはなく、沈黙していた。
この沈黙は、事実上の魔界への従属宣言とも言えるだろう。
「諸君のその忠誠に感謝する。これからもより一層、〝平和〟のために働きたまえ。では以上で集会を終える。諸君、帰っても構わんぞ」
そんな言葉を最後に、ジェルンは議場を去っていった。
帰っても良いなんて言われたって、はいそうですかと帰るヤツはいない。
魔族の監視は残っているし、ほとんどの人間は恐怖で動けない。
「ジェルン将軍は帰っても良いと仰った。聞けぬのか?」
魔族の1人が剣を抜きそう言うと、市民議員や商人ギルドの人々はビクリとし、おそるおそる立ち上がった。
そしてまばらながら、その場を後にしていく。
俺もロミリアも、何も言えないでいた。
まさかこんな事態になるとは、思いもしなかった。
吹き飛んだ首、あの映像を思い出すだけでも、吐き気がする。
「一般人の参加の制限は、こういうことでしたかぁ。あんなバイオレンス、さすがに一般人には見せられませんからねぇ。さすがジェルン将軍」
案の定、ヤンは落ち着いた様子で話しはじめた。
コイツはなんでこう、余裕なんだ?
「ともかく、これからボクたちに魔族の監視が付くのは確実です。ここは変に動かず、しばらくはピサワンでじっとしていましょう」
「護衛はあたしの仕事ね」
「…………」
冷静な判断を下すヤン。
自分の仕事にしか興味がないスチア。
黙って頷くロミリア。
やっぱり、ロミリアが一番まともだ。
魔界の影を察知し潜入した市民議会の集会。
それがまさか、ここまで危険で面倒なことに発展するとはな。
何より、ジェルンの冷酷さには恐怖しか感じなかった。
アイツはかなりヤバいヤツだ。
ヤツの存在は、講和派勢力にとってあまりにも都合が悪い。
これから俺たちはどうすれば良いのか、悩むところだな。
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