暖かな「休日」~その1~

 肩に手が触れたことに明希は気付かなかった。きっとカバンかなにかが触れたのだろうと明希は思った。


 そしてついに、葛葉珠樹くずのはたまきは、明希の肩に発信器を取り付けることに成功した。あとは頃合いを見計らって軍に連れて行けばいい、柔らかな安堵感が珠樹の胸に下りてきた。


 人波に飲まれていく明希の後ろ姿を見送った珠樹は、明希とは別の車両に乗り込んだ。フフフッと笑いが込み上げて来るのを抑えつつ、彼女は指を弾いて情報端末スクリーンを展開した。測位システムは良好、二個うしろの車両の壁際にいることまでハッキリと分かる。


 「明希ちゃんが下りるときに通告してね」小声でそう言うとすぐに『了解』の二文字が浮ぶ。彼女はスクリーンを閉じると、微睡みに身を委ねた。


 車窓から見える景色が都市めいてきて、明希が目を回し始めた頃、車内に流れたアナウンスから、次の駅が目指す横江浜よこはまであることを知った。次は人波に飲まれないようにと、明希はドアの前に構えた。


 同時に珠樹のスクリーンが展開して彼女を起こす。よだれを垂らして熟睡していた珠樹は、突如鼓膜を叩いたロックバンドの曲に顔をしかめると、すぐに任務中であったことを思い出して立ち上がった。


 スクリーン上の赤いマーカーが駅構内から外に出たのを確認して、珠樹も改札を抜けていく、人混みの中を歩いている内に、彼女はイライラしてきた。


 「なんでアタシがこんな事してるのかしら、これなら普段の指令室での作業の方がましだわ」雑音に紛れて、珠樹がそう呟くと昨日の会話の一部が流れた。

 

 「時間外手当も出すよ、それに飲食費も」


 「行きます」


 その言葉を聞いてはっと我にかえる珠樹、自分からやるって言ったんだった……視線を足元から前に戻すと、『思い出されましたか』の文字が浮かんでいる。


 「あなたって時々嫌な機械よね」スクリーンに向かって珠樹がそう言うと、


 『お役に立てたようで光栄です』良くできてるわ、最近のAIってのは、嫌味まで言えるんだもの。溜め息を一つつくと、珠樹は悪態をつくのをやめて再び歩みを早めた。

 

 その頃の明希は、慣れない雑踏の中で一軒の店を探していた。新しく通う高校の制服を受け取らなければならない。スクリーン上の地図には目的地まであと0メートル、つまり、もうすぐそこであることが書いてあるのだが、視界にはない。


 まさか……明希が上を見上げると、二階に看板が出ていた。よかった……明希はエレベーターで二階に上がった。


 カウンターで人の良さそうなおばさんに領収証を渡すと、少しの間おばさんは奥に消えた。再びおばさんが戻ってきた時、腕には制服一式がセットになった箱を持っていた。


 明希はおばさんから制服を受けとると、促されて試着室に入る。彼女が着替えてみると、新しい制服はぴったりのサイズだった。少し地味だけれども、制服なので仕方ない、そう納得すると彼女はサイズは大丈夫であることをおばさんに告げて制服の受け取りを終えた。


 明希が店を出て、雑貨屋に向かおうとする頃、珠樹は公園でボーッと雲を眺めていた。


 『珠樹さん、いいんですか? 動かないままで、明希ちゃん動き始めてますよ』お節介なAIだなぁ……と珠樹は深く溜め息をつくと、


 「アタシの仕事は昼からなの」とウンザリしたようすで言った。


 『既に十一時半を回っていますが……』


 「分かったわよ! まったくもう……」珠樹はぶらつかせていた足を地につけて重い腰を上げた。


 「で、アンタはさっきから動け動けって言うけど、明希ちゃんはどこなのよ! さっさと表示しなさいよ! 」


 『もうやってますよ』スクリーンを見ると、地図上の赤い点はここから200メートル程先の交差点で止まっていた。


 『さっきから十五分ほどあそこに留まったままです、迷ったのでしょうか? 』


 「分かったわ、すぐ行く」珠樹は歩調を早めた。肩で風を切る感覚、喧騒の中を通り過ぎていく珠樹、なんだか今の私ってすごくって感じじゃない? そう言ったある一種の自己陶酔に浸りながらも珠樹は交差点に着いた。


 伸びをして辺りを見回すと、交差点の信号の柱の根本に、明希は佇んでいた。


  

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