第67話 俺、笑われる

 教室に帰りたくない。これが俺の偽りのない気持ちだった。

 借り物はリレーだけだったから、何とも言えないけど騎馬戦なんて俺たちのクラスの圧勝で終わってた。

 まぁ、伊田くんの1人勝ちって言っても過言ではないんだけど……。

 それから綱引きだって2位だったし、俺たちのクラスはかなりいい成績を残してきていた。

 それを俺は……、期待させるだけさせて最下位に……。真面目に走ってミスなくそれだったらまだ良かった。俺は、1位になりかけてコケたのだ。盛大に転び、結果は最下位。

 目の当てようがない。会わす顔がない。とかはこういう時の使うものなのだろう。


 はぁー。人知れずにまたため息をつく。

「そんなに責任感じなくていいよ」

 そう言ってくれるのは夏穂だ。

「コケることくらいだれでもあるわ」

 いつもはおどけている優梨が澄ました顔で告げる。

「夏穂……、優梨……」

 あぁ、俺はなんて良いメンバーとやれているんだろう。

「そうよ。ぷぷ、まだ練習なんだし……ふふ」

 前言撤回。志々目さんだけは別だ。

 励ますつもりあるのだろうか、と思うほど笑っていやがる。

 しかもぷぷって、堪えられなくなったみたいに。笑うなら普通に笑えよな、曖昧なやつが1番恥ずかしいんだっつーの。


 お昼からは全体練習があるため、帰るわけには行かない。

 幸い、というべきか俺は実行委員であるため、昼食は会議室で、お昼からの打ち合わせをしながら弁当をとることになっている。

 しかし、弁当があるのは教室だ。

 否応なしに教室に戻らなければいけない。

 嫌だな。本気で嫌だな。

 昇降口に着いて、靴を脱ぐ。靴の中に入った少量の砂や小石を、靴を逆さにしてから反対向きにする。

 足を入れる部分からパラパラと、昇降口のタイルの上に落ちていく。

 全部出たのを確認し、自分の下駄箱にそれを入れ、中からスリッパを取り出す。学校の中を移動する上での必需品だ。

 外から中へと移動した俺はリレーメンバーを伴い、白濁色のフローリングを施された廊下を歩く。

 出入口になる大きな玄関があること以外に窓がないそこは、日陰になっており、そのうえ冷たい風が入ってきて肌寒い。

「寒いな」

「うんー。やっぱり昇降口は寒いねー」

 俺の独り言に夏穂は丁寧に言葉を返す。

 真っ直ぐ進むと銀色の敷居があり、それを越えると、深緑色の廊下が始まり、階段が広がる。

 ちなみにここを左に進むと、白濁色のフローリングが続き、教務室に校長室、それからこれから昼食をとる予定になっている会議室があり、一番端に保健室が続いている。

 左に曲がり、会議室へと直行した気持ちを抑え、階段へと踏み切る。

 お昼からの練習を思ってか、はたまた寒いからか、誰も言葉を放とうとしない。15段上がると踊り場がある。

 深緑色はホコリをよく目立たせる。端に追いやられたホコリが、ここぞとばかりに自己主張してきている。


「何するかしってるの?」

 そこでようやく優梨が口を開く。それが俺に向けて発せられたものだというのは、言わずともわかった。

「さぁ。今から分かるんじゃないか?」

 普通の会話のはずなのに、膝小僧にできた擦り傷がずきずきと痛む。

「そう……なの」

 物静かにそう答え、優梨は黙り込んでしまう。

 踊り場からの15段を登り終え、階数的には2階になるが、この階にあるのは職員室と生徒指導室に放送室くらいだ。

 ゆえに俺たちはここをスルーして、次の階3階を目指す。

 3階は主に3年生の教室がある。そして、その上4階が俺たち2年生の教室である。

 ちなみに、イリーナたち1年生の教室は棟が違う。北棟の2階だ。

 4階まで上がった俺たちは、階段を登りきってから見える教室の2つめに入る。

 できるだけ存在感を消して、そっと入る。しかし──

「たっだいまー!」

 志々目さんが盛大に声を上げやがった。

 そして声を上げた張本人は俺の方を見て、憎たらしいほど嫌味な笑顔を浮かべていた。

 くっそ。こいつ、黙ったやがったのは嵌める為だったのか!?

 恨みを込めた瞳でギロっと、志々目さんを見るも堪えた様子はなく、あっけらかんとしている。

「おっかえりー」

 答えるのは志々目さんが日頃より仲良くしている女子生徒だ。そして、その後ろからニタニタと口元にいじめる気満々の表情を浮かべる伊田くんや、幼馴染の哲ちゃん、それから白藤や九鬼までもがぞろぞろとゾンビのように現れる。

「いいコケっぷりだったなー」

 笑いを堪えるので必死の顔を見せ、哲ちゃんは告げる。

「うるせぇー」

 紅潮させたくなくても、紅潮してしまう。恥ずかしさがハンパない。

「俺ならコケねぇーな」

「うん、普通はコケないね」

 伊田くんの言葉に白藤が同意する。

「ぷっ、ハハハ。逆によくコケられたね、あの場面でーハハハ」

 九鬼くんは俺のコケたシーンを思い出したのか、何度も笑う。

「しゃーねぇーじゃん」

 消え入りそうな声でブツブツと呟き、俺は窓側の自分の席へと向かう。

 そしてカバンを開き、奥の方にしまってある弁当を取り出す。

 その間もギャハハ、という笑いに加え、俺に罵詈雑言とまではいかなくても、軽い悪口が飛んできているのはわかった。

 俺は聞こえない振りをして(いちいち相手にしていると会議室に行くのが遅れるので)、右手にお弁当を抱える。

「んじゃ」

 短くそう告げ、足早に教室を出る。

 教室を出てからも、すれ違う人たちに

「あ、あれさっきコケてた人だ」

「ははは盛大にコケた奴じゃん」

 などと、色んなことを言われている。

「コケたくてコケたわけじゃねぇーし」

 誰にも聞こえないように、ポツリと呟き歩調を早めた。


***


「失礼します」

 3度のノックを経て、俺は1階にある会議室のドアノブを回し押し開ける。

「遅いぞ」

「すいません」

 会議室と銘打つだけあって、部屋の中は長机に椅子がずらりと並んでいる。その椅子の1つ1つに実行委員が腰を下ろしており、その光景は学校で見られるそれではなかった。

 沈黙が蔓延り、埒外の重圧が放たれている。

 俺は囁くようにそれを述べ、空いている恭子さんの隣に腰を下ろした。

 なぜこんな綺麗な人の隣が空いているのか?

 不思議で仕方無かったが、腰を下ろしてすぐに分かった。恭子さんを挟んで隣に座っている強大な圧を発している実行委員のリーダー、五郎丸がいるからだ。

 こんな圧の中じゃあ、飯も食べにくいわな。

 胸中で自嘲気味に思う。

「ならまずは食事だ。いただきます」

 低く渋い声でそれが放たれる。実行委員の面々も合掌し、それを復唱する。


 そこからようやく空気が軽くなった。

「盛岡。脚は大丈夫か?」

 五郎丸のこの一言が会議室にいる皆を微笑ませ、空気を和ませたのだ。

 空気が軽くなったのはいい。だが……、なぜそれが俺のコケたことがキッカケになるんだよ!

「あ、はい」

 気にかけてくれているのを無下にすることもできず、俺は愛想笑いを浮かべ、受け答えをする。

「盛岡くん、派手にいったもんねー」

「恭子さんまで……。俺のことはいいんですよ!」

「いや、でもあそこでコケてくれなきゃ負けてたのは俺だった」

 五郎丸はラグビー部顔負けの見た目とは似つかない、タコさんウインナーを器用にお箸で掴み口の中へと運ぶ。

「でも結果は俺の負けですから」

 途中段階がどうであれ、負けは負けなのだ。俺は五郎丸が抜けると思った一瞬に、気を抜いたことを悔やみながら自分で研いで炊いた白米を咀嚼するのだった。


***


 その日の午後。全体の入退場の練習や妻鹿高体操のキレを良くするための練習を繰り返し、各競技ごとの練習へとシフトした。

「ここの線、俺が引いたんだぜ?」

 少々自慢げにリレーの練習中に夏穂と志々目さんに言った。ちなみに優梨は借り物の練習日でいない。

「へぇー」

 と、志々目さん。

「すごいねー」

 と、夏穂。

 互いに棒読みの返しをくれただけだった。


 それから家に帰った俺を待っていたのはイリーナだった。

 つい先日、合鍵が完成し一緒に帰らなくてよくなったので先に帰っていたイリーナは、憎たらしいこの上ない笑顔で、お迎え。

「おかえり、ズッコケ将兄」

 結局この日、俺がいじられない場所は無かった。

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