第54話

 そして僕らは二度目の交渉に臨む。僕ら、といっても、校長と直接向かい合ったのは、大宅と、それから、「妥協」によって停学処分が解かれた勇だ。彼のゴツい体がソファに腰を下ろせば、それなりにプレッシャーになると期待したい。


 会話を記録するためにと、データレコーダが置かれた。目的は録音ではない。マイクが拾った音声を、部室で待機するポーカー部員の面々に伝えるためだ。僕らは、桐原さんも含めて雁首をそろえ、交渉をほぼリアルタイムで聞いた。


 「あらためて、生徒会の大宅です」


 「勝呂です。部長ではありませんが、ポーカー部の代表として来ました」


 通り一遍の挨拶の後―――このとき、とんとんとレコーダを叩く音がした。大宅には、この時点での校長の反応の観察を依頼している。あることに気づかなければ、作戦決行だ。今の音がそのサインなのだ―――、スピーカーからは、まず大宅の声が聞こえてきた。


 「お聞きになったと思いますが、懸案の問題について、生徒総会に諮りましたが、らちが明きませんでした。前回の要望が受け入れられなかったことで、生徒たちの不満はより大きくなっています」


 「……それで?」と、校長の声は小さく聞こえてきた。小声でなく、マイクとの距離が遠いのだ。ソファに深く腰を下ろし、余裕たっぷりに背を反らせているのだろう。


 カチ、シュボッと、その声より大きな音がした。体を前にかがめ、煙草に火をつけたとみえる。僕の認識が誤っていなければ、小杉南高は完全禁煙のはずだが、校長室は治外法権か。それも生徒の前で。これが彼の魔王城───飛鳥さんちとはずいぶん様子が違うな。


 「残念ながら、生徒の側でことを収めるのは難しいと判断せざるを得ない状況です」大宅の声がした。「そこで、事の発端となったポーカー部のメンバーから、提案があります」


 「先に申し上げておきますが、僕は代理です」大宅に促されて、彼は準備していた書面を差し出した。大きなガタイがB5のペラ紙を差し出すさまは、萎縮した印象を与えたかもしれない。「ポーカーがお好きだとお伺いしてます。そしてこれは、僕ら新生ポーカー部が絡んだ問題でもあります。だから、ポーカーで勝負しましょう」


 差し出した書面には、まず大きく、


 「果たし状」


 と題目が掲げられ、それ以降にざっとこんな文面が書かれていた。





 _____(以下、甲)と、勝呂公平(以下、乙)は、甲乙双方の間に以下の通り約定を交わすものである。


○乙は、甲に対し、それぞれが選定した競技者によってテキサスホールデムのトーナメント競技を実施し勝敗を決することを申し入れ、甲はこれを受諾する。

○敗者は別紙に記載された要望について、以下に記載する期日までに履行することを約束する。





 履行期日は一学期の最終日を指定。それから今日の年月日。


 別紙にはすでに出している、要望書の内容が改めて記載されている。単純にいえば、オークキングを退学にせしめよ、と書いてある。また、逆にこちらが負けた場合、二度と校長のなす処分に異議を唱えず、またポーカー部を廃部して部室を返還すると宣言した。


 双方が所持できるよう、紙はそれぞれ二枚。各所に、当事者の名を署名する枠が設けられている。既に勝呂の署名は入っており、別紙にも同様の署名枠がある。


 「あとは校長先生が、この『甲』の欄に署名をするだけです」


 書面を一瞥して、校長は言った。


 「……どういうことかね、これは」


 「自分個人の見解として、申しますれば」大宅は丁寧に、もったいをつけて言った。「校長先生が結論を翻すつもりがないことは、少なくとも自分は理解しています、しかし、生徒の多くは理解できていません。何より今回の件で矢面に立った、ポーカー部部長飛鳥さくらが納得していません」


 「魔王だのと自称する、あの生徒か」校長はフンと鼻で笑った。「『果たし状』とは、また馬鹿馬鹿しいことを思いついたものだね」


 事情をよくご存知の様子───もちろんそれは想定内だ。校長は、単に暴力事件があったから処分をしたのではない。飛鳥さんがオークキングをハメようとしたから、反撃したのだ。意識的に、権力ずくで。なれば、いま差し出した書面は、その反撃に飛鳥さんが有効な対策を打てず、四苦八苦した悪あがきにしか見えないはずだ。愚かな子供が、遊びの延長で思いついた、戯れ言としか。


 大宅があらためて、机の上に広げた書類を、校長の側に向けてつっと差し出した。加えて、隣にペンを置いた。


 「飛鳥さくらの真意がどこにあるかは知りません。ただ、振り上げた拳を収めさせるには、ちょうどよろしいかと、自分はそう考えます。ポーカー部は無謀にも部の存続を条件にしましたから、もし校長先生が勝てば、彼女らが瓦解して話は終わりです。負けたところで、先生が裁量権を主張するにあたって、この勝負は何の効果も持ちません。振り出しに戻るだけです」


 大宅は両拳を組んで顎を乗せた姿勢で、思い詰めた表情で、言葉を並べた。自分だけは真摯に問題に取り組んでいるのだ、と。誰かがぶち上げた愚かな戯れ言を、心底憂慮しているのだ、と、そうアピールするように。


 「正直申し上げれば、これが受け付けられないとなると、飛鳥さくらの次の一手は、彼女自身の処罰を覚悟で、物理的な暴動を扇動しかねません。生徒たちもそれに応じかねない。非常に危険です。ことが大きくなる前に収めたいのは、校長先生も同じではないかと思いますが、いかがでしょう」


 大宅の説得に熱がこもる……いやはや、元勇者とて、論破スキルの方が重要な時代だよね最近は。敵に回したくない。


 「ポーカー歴は校長先生の方が長い。実力はそちらが上、勝率は七割くらいはあるんではないですか。これを断って一〇〇パーセント揉め事を大きくするか、三割の確率で振り出しに戻し、七割の確率で沈静化するか。どちらが有利かは、考えるまでもないと思いますが」


 ふぅむ、と校長がうなり、「君はそれでいいのかね」と、視線を大宅の隣にやった。


 「僕は代理です。あなたがこれを受けるか、受けないか、その答えだけを求めています」腕を組んで、野太い声が答えた。


 「当人は、来んのかね」


 「来ません」


 「ずいぶん小心者の魔王だね」二人とも何も答えなかった。


 しばらく考えた後、校長はペンを取った。


 さらさらと、署名枠に名を書き入れた。阿久津一郎―――間違いなく、校長の本名だ。


 「もう一枚と、そちらの別紙にもお願いします」


 大宅は阿久津校長が書きやすいように机上に書面を並べた。勝呂の名はこちらにも既に自筆で記入されている。校長はさらさらとそれぞれに名を書き込んだ。


 「本格的だね」


 「それはそうです。なぜって」大宅は、本名が書かれた自筆署名を確かめると、素早く自分の手元に回収した。


 「法的に契約書として成立するようにしたんですから」


 「……なに?」


 校長が驚いて思わずペンを取り落としたところ、大宅はレコーダに呼びかける。


 「飛鳥、もういいぞ。計画は成功だ」

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