第48話

 さぁ、ポートハワード最終決戦だ!


 僕は、脳天がかぁっと熱くなるのを感じた。窓の外から、探偵と魔王のやりとりを見るにつけ、我慢ができなかった。クリスタデルタのときと同じに、どうにかこの戦いに関与できないものかと、願いが心中に激しく昂じていた。


 室内では、窓際のテーブルに、魔王と探偵が向かい合わせに着席していた。


 「では、勝負を始めよう」魔王オズブムの声は、もう幼女のそれではない。「ルールは、君がイザベルと『遊んでいる』と思っていた時と同じでよいな? ノーリミットのテキサスホールデム、ヘッズアップでチップをすべて奪った側の勝ちだ」


 テキサスホールデムは、名の通りテキサスで考案された比較的新しいルールなので、二〇世紀初頭のボストンでは知られていなかったと思われるが、ここは異世界なのであまり深くはつっこまぬがよかろう。


 「それでいい」探偵は頬杖をつき、もはや得体の知れない怪異と化した魔王オズブムをにらみつけた。「だが、イザベルとは、交互にディーラーをやっていたんだが……」


 「ふむ。確かにこの姿でシャッフルは難儀だ。悪魔が持つ念動力を使えばたやすいが、それは君が好むまいな」魔王オズブムは、ぬらぬらした触手を振り回した。「かといって、君だけがディールするのも正正たる勝負と言えん。公平中立なディーラーがおればよいが、そんなことは望むべくも―――」


 そうだ。もしいるとするなら、それは僕だ。窓ガラスに隔てられた外側で、ぎゅっと拳を握りしめた。


 僕が黒子のごとく立ち振る舞ってディールできれば、二人はただ勝負に集中でき、ラストバトルらしい緊迫した空気が醸成されるだろう。そう思った。彼女が起こす世界の変革に、僕も参加したい。そう思ったのだ。


 そのときだ。探偵が何気なくちらと窓に……つまり僕の方に目をやって、ぎょっと目を剥いた。おぞましく変貌した魔王よりも、たとえようもなく恐ろしいものを見た様子だった。


 窓に。窓に何が? ―――いや、ここには僕しかいない。はっと気づくと、僕の姿が異形なのだった。室内が明るいので見えにくいが、辛うじてガラスに自分の姿が映った。


 ……ぎょろり、と光の宿らぬ丸い目玉がそこにあった。だらしなく開いた口は、先が尖り、揃った細かい牙が見えていて、肌は銀色のウロコに覆われていた。どう見ても、巨大な魚の頭である。


 頭は魚だが、体は人間だ。糊が利いて襟の立った白い長袖シャツ、折り目正しいスラックス。ピンと張ったサスペンダー。白い布の手袋をはめた指先は人間よりも一関節長く、硬いヘラ状になっていて、カットやシャッフルがしやすそうだ。それが、今の僕の姿だった。


 「友納か?」と、これはいつもの、僕だけに聞こえる、魔王オズブムに憑依している飛鳥さんの声。


 「うん。この世界に、僕も入り込めたみたいだ」


 「へぇ……そんなことがあるもんなんだな」飛鳥さんは心底不思議そうに言った。不思議がっても、不審は感じていないようだった。「だとしたら何か役割が……そうか、ディーラーか! だから入れたのか!」彼女は膝を打って納得した。彼女の外のオズブムは、膝があるわけもなく、触手をぶらぶらさせただけだったが。「いやぁ、なんか嬉しいな! そんじゃ、ここ仕切ってもらってもいいか?」


 「うん、そのつもり」


 「今日のおまえは、あたしとは関係ない通りすがりの悪魔だ。うまいこと芝居しろよ」


 魔王オズブムの触手のような腕がにゅるりと伸びて、掛け金を外して出窓を開けた。魚頭がばかでかく、窓枠に引っかかってギシギシときしんだが、僕はどうにか室内に滑り込んだ。


 目玉をギョロギョロと回転させ、部屋を見渡した。魚眼には、およそすべてが見える。泰然たる魔王オズブム、恐怖と緊張をこらえる探偵、掃除が行き届いていない調度、テーブルの上の一輪挿しは実は造花で、写真立てにある写真には、探偵の姉一家が写っていたが、探偵本人は写っていなかった。


 ……これが。飛鳥さんに見えている、滅亡直前の世界、か。魔王という異形以外、ごく普通の日常。魔王が勝てば、消えてしまうもの。


 僕はひとつ深呼吸をした。それから、飛鳥さんに言われたとおり、芝居がかった言い回しになるよう気をつけながら、言った。


 「手が入り用かな? オズブム殿」


 魚頭のえらをびくびくと震わせて発した声は、きぃきぃと、ガラスをひっかくのをそのまま言葉にしたような、耳障りなものだった。


 「深海の邪王、エボフか」僕、そんな名前だったのか。「いつもは海底で惰眠を貪っている貴様が、なにゆえ地上に?」


 「なに、貴兄が面白いことを始めたと聞いて、ちょいと見に来たまでだ。よい頃合に居合わせたようだね」


 僕は、長い骨張った指先で、テーブルの上にあったトランプを取り上げると、スプリングやカスケードといったカードマジックの技法を織り交ぜつつ、派手にシャッフルしてみせた。今までやったこともないのに、この体だと不思議と軽やかに鮮やかにこなせるのだった。


 「貴様ら、仲間同士じゃないのか?」


 僕の登場に驚愕していた探偵が、ようやく正気を取り戻したらしい。僕に向かって、不審気な声で言った。


 「心外だな。仲間だと思われたのか」僕はきぃきぃ声で答えた。「悪魔に仲間意識があるとでも? 私はむしろ、心情的には君の味方だよ。魔王オズブムともあろう者が、たかが人間に吠えづらかかされたのを間近で見届けたとなれば、向こう数千年、私は魔界での話題に事欠かない」


 中の人たる僕と飛鳥さんは目配せを交わす―――本当は仲間同士で、君をぶち殺して、魂を僕らの世界に呼び寄せるためにやってるんだけどね。とはいえ、僕が不正など講じなくても、魔王様はこの探偵を破滅に追い込んでくれるだろう。


 「彼も不正はしない。あらためて余の提示する約束事だ。いずれにせよ君には、信頼する以外に選択はない」


 「違いない」探偵は頷いた。「わかった、君にディーラーを頼もう」


 「この場を任せていただき恐悦至極。誠心誠意努めよう」


 僕は、胸に手を当てて深々とお辞儀をした。馬鹿でかい魚の頭だのに、ちっともふらつかないのが不思議。


 それから、もう一度五二枚のカードを宙に踊らせ、派手にシャッフルしてみせた。


 「ではあらためて、お二方、世界の命運を賭けた真剣勝負と参ろうか!」

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