第三部・「僕の役割、私の役割」

第42話

 事務方が、雨が降り込むのはよくないと、業者を急かしたのだという。その日の午前中に窓の修繕は終わり、午後には入室の許可が下りた。……直ったらみんなで乾杯するはずだったのに、ふたり欠けている。


 空を覆う雲から降りしきる雨。切れかかって明滅する蛍光灯。雰囲気は最悪だった。ふだんの口数ならわりと多い魔王閣下が、血走った目で黙りこくり爪を噛んでいるから、臣下一同うつむいて言葉もない。


 城市先生の目が腫れ上がっている。あまり追求はしないがよいだろう。停学となった勇と桐原さんのためにずいぶんと抗弁してくれたらしいが、まったく校長には通じなかったのだ。


 学校というこの世界の、絶対的な支配者にして邪悪なる魔王とは、校長だった。オークキングは彼の配下にあり、飛鳥さんに従うはずもなかった。


 僕らがやっていたのは子供の遊びだった。彼の権力をも利用してオークキングを追い出しておきながら、わかっていなかった。深く考えなかった。その結果、逆に僕らが追い詰められている。


 「魔王というのは、言い得て妙なのよ」城市先生が、何度もすすり上げながら言った。「学校はね、社会自治のシステムとしては最悪の独裁制なの。校内の問題である限り、最終決定権はすべて校長にある。生徒の意見や職員会議の尊重を謳うガイドラインはあるけど、結局校内の人間が校長個人の決定を覆す手段はない。王として君臨できるのよ」


 「それは、ワンマン社長の会社とか、ガキ大将とその仲間たち、みたいなヒエラルキーと同じさ」飛鳥さんが、ぐっと唇の端をひん曲げた。「学校が社会の基本を教える場所というなら、そういうシンプルな政体がいいんだろうし、責任を負う覚悟がある者が上に立つのは何ら問題じゃない。王は、いていいんだ。だが」


 「王が悪意を持ち、力を振りかざす魔王と化したら、手に負えなくなる」和尚が継いだ。「自称魔王では太刀打ちできないぞ。どうする、飛鳥」


 「飛鳥さんは自称じゃないよ。本当に、魔王だ」これは、僕の反論。


 「たとえそうだとしても、だ。魔王とは、自分だけでは強さを証明できない。怖れられてこそだろう。仏と同じさ、結局は信心だ。……まぁ、寺の息子と神社の娘がそろっても魔王を止められんわけでな、信仰どうこうじゃ解決にゃならないんだが」和尚は射水さんをちらりと見た。


 「何なら撃ち抜くか。私はそれでもかまわん」聞いてか聞かずか、射水さんの口調は神社の娘などとうにやめて、スナイパーモードに入っている。部室でアサルトライフルを振り回すのはやめてほしい。「ここで引き下がる選択肢はないのだろう、飛鳥?」


 「おう、この部室のように制圧するというなら、この竜崎、及ばずながら力を貸そう」竜崎先輩はちょっぴりうれしそうだ。


 「制圧はやめてくれ。停学者が増えるだけだ」いらだちを隠そうともせず、和尚が頭をかきむしった。


 本来ならば、オークキングの所業は、もう警察やマスコミに訴えるべきなんだろう。だがそこに手をつけると、勇と桐原さんが私刑に及んだ事実も重く取られる可能性が高い。竜崎先輩と射水さんが武力制圧などやったら、なおさらだ。


 飛鳥さんが「詰めを誤った」と表現したのは、むしろここだ。この問題は、校外に解決を頼るには壁が高くなってしまった。しかし、校内ならば校長は無敵だ。


 現状から、二人の処分の撤回と、オークキングの断罪を校長に受け入れさせるには、どうしたらいい?


 校長は、交渉のテーブルに乗る必要性を微塵も感じないだろう。たとえ全校生徒の意志であっても、一蹴できる権力を持つのだから。僕らの現状は、その一蹴にすら及ばない。生徒の意志統一さえ、怪しいのだ。



 オークキングの糾弾と討伐に沸き立った昨日とは一転、校内は静まり返っていた。あちこちから、ひそひそ話が聞こえてきた。


 ―――校長は横暴だ、だが、どうすることもできない―――。


 校長という役職は、少なくとも小杉南高では、極めて影が薄かった。儀式に現れて何やら長たらしく眠気を誘う念仏をぶつハゲのおっさん、誰もそれ以上の認識を持ち合わせなかった。


 それゆえ今回の決定は、見えない恐怖が突然現れたに等しかった。悪意に満ちた叫びが底知れぬ闇から響いて、なすすべなくぬかずいて畏怖せざるをえない、そんな魔王像ができあがっていた。我こそは魔王と名乗りを上げた飛鳥さんが、まるで小物にしか見えぬ。


 誰もが、もはや従うしかないという諦念と、それでも魔王飛鳥さくらに期待───というよりあてどない依存心を抱いていた。あるいは、二人の魔王の前に恐れ怯えちぢこまり、「自分からは何もすまい、できまい」という雰囲気が醸成されていた。

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