第38話

 しばらく、表向きは平穏が続いた。


 校内の雰囲気は変わりつつあった。


 オークキングの呼称は完全に浸透し、取り巻き以外に彼を本名で呼ぶ者はもういない。


 SNSでは、オークキングをディスるネタが主流になっていて、彼らの現状が逐一実況されてきたから、彼らがこちらを監視する以上に、こちらが彼らの状況をほぼ把握できるようになった。


 また、彼らがかつてなしてきた悪行が、次から次に暴露されていた。ただ悪ノリしている者も多かったが、証言が明確で信憑性が高いものも少なくなかった。


 逆にオークどもは、今や物陰からの視線にさえ過剰に反応するようになり、あれほど傍若無人だった行動が、劇的に沈静化していた。もはや全校生徒が、オークを狩る側に回った、といっても過言ではない。


 だがそれゆえ、オークキングの憎悪は増していた。ときおり廊下で出くわしたりなどすると、オークキングは凄まじい形相で飛鳥さんを睨んできた。飛鳥さんはニヤニヤ顔でそれを迎え撃ったが、いったん視線がそれると、ひどく難しい顔をした。―――「まだ、粛清したとはいえないな。奴をキングの地位から、完全に引きずり下ろさなけりゃ。……もう一押し、必要だ」彼女はそう言った。



 一方で、飛鳥さんが名乗った「魔王」の称号が、一人歩きを始めていた。例の陸上部女子の件を抱える一―Dの有志から、エールを送る、の意味で「崇拝する」と声明を出したのを筆頭に、ポーカー部を「魔王軍筆頭」と呼び、やたら持ち上げる動きも少なくなかった。


 自分が言ったことなのに、飛鳥さんはそうした動きをひどくいやがった。たまに来る入部希望者も、断っていた。射水さんだけ、竜崎先輩と同様、掛け持ちで加わっている。


 まだ部室の窓は直っていない。部活動をやるならまた教室で、と城市先生からは言われたのだが、その頃の飛鳥さんは放課後になると、黙ってロッカーからトランプを取り出し、ひとりでソリティアを始めるのが常だった。そうして無言でカードに向かい合う彼女の顔からは、ニヤニヤ笑いは消えていて、そこに在るのはただ慎ましやかなひとりの女子だった。


 部活やらないの、と声をかけると、うるさい黙れ、と返事が返ってきた。そんな日のソリティアの盤面はいつも、偏ったスートばかりが開いてしまい、行き詰まってにっちもさっちもいかなくなるのだった。



 ある日の放課後、ソリティアをしている飛鳥さんの前に、和尚が立った。


 「朗報がある」


 「どうした」飛鳥さんは顔も上げずに答えた。


 「あいつら、自分たちが形勢不利なのに気づいて、手当たり次第に仲間を増やそうとしてる」


 「それがいいことなの?」尋ねたのは、僕。


 「急に増やして、組織を統制できるわけがない」和尚はあっさりと答えた。「それに―――このネット時代にゃ、もっと怖いことが起きるんだぜ」


 和尚は、スマホの画面を飛鳥さんに見せた。


 「SNSの奴らのグループに、ダミーアカウントが潜入できた。内情はこれで全部筒抜けだ」


 飛鳥さんのソリティアの手が止まった。「……そいつぁGJグッジョブだ」


 「それで、奴らは明日、体育倉庫に集まって……」


 「そんなことはどうでもいい」内情がいかなものか説明しようとした和尚を、飛鳥さんは遮った。「グループに入ったってことは、そいつに招待させれば、ほかのアカウントも送り込めるってことだよな?」


 「おぉ」和尚が感服したように言った。「確かにそうだ。誰かが入り込んで引っかき回すほうが、スパイするよか面白そうだな。どうする、大挙して突っ込むか?」


 「大挙する必要はない―――『魔王』のアカウントを作って、そのグループで発言させるんだ。とびきり呪いの言葉を、全員にな。だが、オークキング以外の取り巻きには、『救われたくば、我に従え』と付け加えてくれ。具体的な文言は任せるよ、宗教家」


 「うわぁ、エゲツねぇ」和尚は言った。「それが宗教家の仕事だってのは、代々坊主の呉島家的には反論しときたいところだが、狙いは承知した―――いやまったく、魔王様と会話してると、将来役に立ちそうだよ」


 「これで王様は裸になる」飛鳥さんは静かに言った。いつもならそこでニヤニヤ笑いを強く浮かべるのだが、そのときはなぜか、本当に静かに、決意に満ちた表情で、強く顔を上げたのだった。


 「トドメを刺すぞ。これが最後のラウンドだ」

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