第25話

 飛鳥さんが、頬杖ついて考え込んでしまったので、ポーカーはひとまず中断となった。


 喧嘩上等両名の顔面はどうにも痛々しい。見かねた桐原さんが、常備しているらしき救急セットをカバンから取り出しながら、ふっと、みなが忘れかけていた話題を持ち出した。


 「でもさ、別のクラスの人、それもこーんな強面こわもての先輩がこの教室に出入りしてたら、ビミョーじゃない? やっぱり、ちゃんとした部室が欲しいよね」


 「まったくだ」頬杖のまま飛鳥さんが言った。あざだらけの顔を一瞥して、切って捨てる。「汚ねぇツラの隠し場所が要る」


 「気にしないでくださいねー、先輩。この娘が口悪いの、いつものことですからー」桐原さんが、竜崎先輩の傷にガーゼを当てながら、自嘲気味に笑った。「隠さなきゃいけないのは、その悪い口の方かもね。早くいいとこ、探さなくちゃぁ」


 すると、「その話なんだけどさ」和尚が手を挙げた。「こないだ小耳に挟んだんだけど、……実は、空いてる部屋があるっちゃあ、あるんだよね」


 ここらへんの校内情報調査スキルは、宗教家の息子だからと言うべきか、コミュ力のある和尚がやはり一番高い。


 「部室として使用可能なのに、どの部も使っていない部屋が。しかも、空調完備ときてる」


 「何? そりゃいい!」竜崎先輩の顔面のことなど一瞬で忘れて、飛鳥さんが目を輝かせた。「どこよ?」


 「特別教室棟一階、視聴覚準備室の隣の小会議室」


 ―――小杉南高校はわりと新しい学校なのに、一般教室に空調がない(噂によれば、「新しいから」だそうだ。公立校に空調が設置されるのは、同窓会やPTAからの寄付、という体裁になる場合が多く、歴史が浅い学校ほど不利らしい)。職員室や特別教室だけが例外で、特に、視聴覚室のある特別教室棟は全面的に空調が入っている。


 特別教室棟には、音楽室や化学実験室など、特殊な設備を必要とする教室があらかた収まっていて、入学式をやった体育館兼講堂も、その上層にある。建前上、この棟の設備は学外の県民にも開放されており、休日なら、申し込みをすれば一時間いくらで使うことができる。空調の設置は、住民サービスの意味合いが大きかろう。


 特別教室棟一階は、ちょっとした映画館並みの設備がある視聴覚室が主に占めている。その隣に、通常教室一室分のスペースがあって、うち半分がAV機材等の設置された視聴覚準備室、内装で仕切られた残りの半分が、小会議室だ。


 職員室から離れているので、職員が会議に使うことはない。学外の人が利用したという話もついぞ聞かない。常時空き部屋の無駄スペース、なるほど、そこが部活に使えるのならうってつけだ、が―――。


 「部活に使っていいのなら、なぜその部屋をどの部も使わないのだ? 空調つきの部屋を欲しがらない文化部などなかろう」当然出てくる疑問を、顔のあちこちにばんそうこうを貼りつけて、勇が口にした。


 すると、城市先生と竜崎先輩の顔が曇った。「その理由を知らないのは一年生だけってことさ」答えたのは和尚だった。「先輩や教師はみんな知ってる。一年生も、特別教室棟を使う部活の連中は、小会議室には近づくな、と釘を刺されてる。―――あの部屋は、不法占拠されてるんだよ」



 不法占拠とは穏やかでない表現だが、要するにいわゆる不良グループのたまり場になっている、という話だった。彼らは鍵を無断で複製し、好き勝手に出入りしている、と。


 「三年の……えっと、名前忘れたけど、やたら体がでかい人いるじゃん。いっつも取り巻き引き連れてさ」


 「あいつか……見たことはあるな。いけ好かないヤツ」飛鳥さんは唇の端を曲げた。


 言われてみれば、誰もが知ってる、校内の悪い意味での有名人だった。昔なら「番長」とか呼称されたのかもしれないが、それすら彼には最大限の敬称だろう。体以上に態度がでかく、あたりかまわず威張り散らすだけの、手のつけられない悪童だ。


 物事が自分の思い通りに進んでいるうちはそりゃあ人格者だが、ひとたび「思い通り」から外れると、すべてを他人のせいにしてごねる、脅す、殴る暴れるとやらかして自分の主張を通さずにはおかない。かといって、喧嘩が強いというわけではないらしい。単に、「逆らうと後が怖い」という噂があって、それゆえ誰も抗わず、お追従ついしょうを言う取り巻きばかりが増えている。


 面構えと言えば、妙に吊り上がった目に、鼻骨がやたら太く、唇は厚ぼったい。いつだったか、フランスの画家が「猿ではなく豚が人間のように進化していたらどんな顔だったか?」と考えて描いた予想図を見たことがあるが、まさしくそのものだった。


 われらが魔王飛鳥さんは、むろん怯まない。腕と足を組んだ鷹揚な姿勢に、誰かを見下す横柄な表情を乗せて、「あの人、名前なんて言ったかな、えぇっと―――」考え始めた和尚に向かって、こう言って切って捨てた。


 「あんなうすらでかいだけの豚にゃあ、名前すらもったいない。以後、あたしの前であれを名前で呼ぶことを禁じる。あんなの、『オークキング』で十分だ」


 ぷふ、と桐原さんが、こらえきれずに吹いた。吹き出さずとも、みな感服していた。他にハマる名が他にあるものか、ベストネーミングだ。


 「で、そのオークキングが小会議室を根城にしてるってか」


 「あぁ。いい話は聞かないね、女子連れ込んでレイプまがいのこともしてるって」


 「そんなのよく教師が許してるな。管理責任者は誰だよ」飛鳥さんが城市先生をじろりとにらむと、先生は肩をすくめて答えた。


 「管理責任者は、教頭先生のはずだけど……その上の、校長先生がね……あの生徒……えっと……オークキング?」教師までその名で呼ぶのはどうかと思う。「彼はねぇ、県の教育委員会で人事を担当してる偉い人の息子さんでねぇ……実のところ、アンタッチャブルなのよね。噂じゃあ、彼を無事に卒業させるだけで、校長先生は教育委員会のいいポストが約束されてるそうよ」


 あまり聞きたくない大人の事情だった。彼に「逆らうと後が怖い」の意味も、おおむね理解できた。校内で何をやらかそうとも、教師陣がことなかれでもみ消してきたのだろう。


 みなの顔が、「えー」とか「あぁ……」とか、形容しがたいものになる中、ただひとり飛鳥さんだけは、何やら思いついたらしく、不敵な笑みを浮かべた。


 「……オークキングごときがのさばるのは、僭越ってもんだ。実にけしからんね」けしからんと言いながら、顔はニヤニヤと笑っている。「分ってものを、わきまえてもらわなきゃな」


 「どうする気?」桐原さんが不思議そうな顔をした。すると、


 「どうしようかね、参謀?」


 飛鳥さんは、ニヤニヤしながら突然僕に振ってきた。……少し考えて、彼女が僕に何と答えてほしいのか、わかった気がした。でも、僕がその答えにたどり着かなかったら、飛鳥さんはどうする気だったのだろう、何もせずに諦めたのだろうか?


 僕の答えは、こうだ。


 「……パワー近接格闘系の、使いどころじゃないかな」


 飛鳥さんは満足げにうなずいた。


 「要するに、そいつらを追い出せば部室が手に入るんだろ? 追い出そうじゃない」


 「おいおい、力ずくかよ? それはまずいだろ」和尚が言った。


 「手順は必要だよ」と僕が答えかけたところ、飛鳥さんは、わかってるよ任せとけよ、と言わんばかりに、手をひらひらと振って遮った。


 「力にもいろいろあるってことさ。あたしに考えがある。とりあえず、まほちゃんの魔法が要る。それから―――ねぇ、竜崎先輩?」魔法? と目をぱちくりさせた城市先生を無視して、飛鳥さんは、竜崎先輩に向き直った。ニヤニヤ顔から出ていた声を、わりと女の子な艶のあるものに変えたので、僕は驚いた。変幻自在なのは飛鳥さんの特性か、それとも女の子ってみんなそう?


 「学校の部屋を勝手に私物化して、そこで飲むや騒げのやりたい放題。か弱い女生徒をいたぶっては悦に入る、そんな悪党が校内にのさばってる、ってどう思う?」


 「うむむむむ……」


 竜崎先輩は、がっしと腕を組んでうなった。


 「まったく許せんことだ! 奴のような不心得者を、なぜ今まで見ぬふりで放置していたのか、まったく己が情けない!」


 うん、たぶんそれは、昨日まで勇者の魂が入っていなかったからだね。


 「成敗せねばなるまいぞ! 協力は惜しまぬ。この身が役に立つならば、存分に使ってくだされぃ!」


 ……見事にたきつけたものだ。魔王にはこういう能力も必要なのかな。僕にはかないっこなさそうだ。


 飛鳥さんは、僕だけが気づくように、イェイ! と親指を突き立てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る