第88話 見えない親切【ラブコメ】

 世の中に存在する道具というものは、すべからく合理的な形状をしているものだ。


 たとえばハサミなどがその典型的な例で。

 裁断する力を両面からかけることによって、よりきりやすい構造から始まり、人間の手になじむサイズや、強くかかりすぎない触点など、さまざまな経験が形としてそれに現れている。


 コップ一つとってみても色々なことがいえる。

 底に穴の開いているコップなどコップ足り得ないし、飲み口が閉じているコップなど、ただの置物でしかないのだ。


 そんなことをまざまざと思い知らされるのが、ここ、魔導書の書架での風景である。それこそ、思いついたように奇怪な光景が漂うここは、ある意味で、悪趣味なデザインの墓場と言っていい場所だった。


 のだが。


「ずいぶんとまぁ、いつもと違って洗練された場所に出たな」

「デザインの魔導書の書架よ。そりゃ、でろでろに悪趣味な場所だったら、信頼ってものがなくなるでしょ」


 デザインなどというものに、どうして魔導書が必要なのか、そこのところは大いに信用ができないというか、理解に苦しむところではある。


 ここは、第六十八書架室『デザインの魔導書』が収められた書架。

 辺り一面、直角や楕円といった形をして、また絶妙に目に優しい色をした家具で埋め尽くされている、不思議な書架室である。


 今日はここに、魔導書を求めてやってきた――のではない。

 実はリーリヤの知人が、近々結婚することになり、その贈り物として、何かよい家具でもないものかと探しにやって来たのだ。

 いや、一人で入ればいいだろう、とは思ったのだが、いちおうここも魔導書架。

 何かあってはまずいので、こうして俺がついてきた次第である。


「はぁ、凄いですね。他の魔導書架ってこんなことになっているんですか」


 ついでにメビウスもである。

 何気にこの娘、魔導書架がある部屋に入るのは、これが初めてだった。


 きょろりきょろりと辺りを見回す彼女。

 自分以外の魔導書が、どういう効果をあたりに与えるのか、気になって仕方がないのだろう。

 だが、また迷子になられて、この書架を、転職道具で溢れ返させるのも癪だ。


「大人しくしてろ。お前、今日は見学なんだから」

「あぁ、すみません、マクシムさん」


 襟首の後ろを引っ掛けてメビウスを止める。流石に元は紙だけあって、ちょっと力をかけるだけで、その動きを制することができる。

 えへへといつもの愛想のよい笑いを返したメビウスは、ふと、視線の先に何かを見つけたらしく、急に顔つきを変えた。


 なんだ、どうした、と、見れば、その先にはキングサイズのベッドが。

 しかしどうしたことだろうか、そのベッドの真ん中にはぽっかりと穴があいている。これでは、流石に二人分の大きさがあると言っても、実質ツインベッドだ。


「これがデザインとして優れているとは、ちょっと思えないんだが」

「そうですね。私くらいだと、すっぽり、この中に落ち込んでしまいますからね」

「けど、横になって寝てる分には気にならないんじゃない」


 ほら、と、リーリヤ。何の躊躇もなくそのベットに寝転がる。

 ごろりごろりと、他人の目があることなどまったく気にしない様子で、その上を左右に転がった彼女は、うん、大丈夫、なんて言ってうつ伏せになった。


 もうすっかりおくつろぎモードである。

 魔導書架にお前はいったい何をしにやって来たのか。


 と、その時、すっぽりと、リーリヤがベッドの中に空いた穴に脚を突っ込んだ。

 おぉ、と、反応して直ぐに身体を仰向けにした彼女は、しなやかに上体を動かすとそのまま起き上がり、じっとその穴を見つめた。


 そして、なるほど、と、小さく呟く。

 何か分かったらしい。俺にはさっぱりだが。


「分かったのかリーリヤ。いったい何がどう便利なんだよ」

「それはアンタもこっち来ないと分からないわよ。ほら、ちょっとおいでなさいな」


 まったく無警戒にエルフ司書は俺をベッドへと誘う。

 こいつ、いつかそこいらの男に騙されてもなんも言えんぞ。

 しかしながら断る理由もなく、俺はしかたなく彼女に誘われるまま、その紙でできているであろう、やに柔らかいベッドの上に膝をついた。


 そうしてそのまま、膝で歩くと、俺はベッドの真ん中へとたどり着く。

 リーリヤは、彼女が脚を入れているそのベッド中央の穴に、俺の脚を入れるように促してきた。意外と、ベッドの穴は大きく、大人二人の脚ならば、余裕で入った。

 で、これがいったい何なのか。


 別に穴から特殊な空気が出ていてマッサージ効果があるとか、魔力がとかそういのはまったく感じない。

 ごく自然に普通の穴である。

 あれか、ベッドの下に落ちたものを、ここから拾えるとか、そういう利点か。


「どう、分かったでしょう?」

「いやまったく、全然分からないのだけれど」

「なにそれ。本当、ニブチンよねあんたってば」

「どうしてそうなるんだ。この状況で分かるようなものなのか」

「分かるわよ」


 だって今、まさにこの穴の恩恵に預かっているじゃないの、と、リーリヤ。

 彼女は正面に俺の顔を見ると、にっこりと微笑んできた。


 なんだその表情。


 これが普通のベッドだったら、、というのに。


「あぁ」


 俺はようやく気がついた。

 なるほどこのベッドの穴というのは、このベッドの主が、二人顔を合わせて話しやすいようにするためのものだったのか。


「なかなかいいアイデアじゃない」

「いや、寝づらいだろう、こんなの」

「マットでも引いておいたら、そんな代わらないんじゃないですか」


 ひょこりとやってきたメビウスが、混ぜてくれとばかり穴に脚を突っ込んだ。

 大人三人は、流石にちょっときつい。


 身動きが取れないなと、すぐさま俺はそこから足を引っこ抜いた。

 言葉通りの意味以外にも色々と理由はある。まぁ、そこは、察していただきたい。


「これにしようかしらね、贈り物」

「お前。ベッドなんて送ってどうするんだよ。そんな大げさなもの。もっとささやかなものでいいんだよ。コップとか、お皿とか」

「そうですよね。ベッドなら、何も頼まれなくても買うだろうし。もっと、重なっても問題ないような日用品の方が」


 日用品ねぇ、と、リーリヤが首を傾げる。

 次に彼女が目を向けたのはベッドから少し離れたところにあるテーブル。


 そのテーブル自体も、いざというとき天井の面積を広げることができる、ギミックがついたものだったが、気になったのはその上にあったものだ。


 紅い色合いの縦に細長い工芸品。

 水差しとも、花瓶とも取れる大きさのそれは、ベッドから眺めると、どこからともなく差し込んでいる日差しによって綺麗に輝いていた。


「あぁいうもののがいいのかしらね」

「まぁ、水差し、花瓶、どちらにせよ複数あっても困らないものだがな」

「けどあれ、おかしくないですか。水差しにしても、差す場所がないし、そもそも蓋されてて花瓶にもできないし」


 たしかにメビウスの言うとおりだった。

 それは、水差し、花瓶という格好をしておいて、よくよく見てみるとそのどちらにも使うことのできない異様な物体であった。

 いったい、これもどう使うのか。


 気になった俺はそれに近づいてみる。

 まったくもって謎の長方体。

 材質もよく分からない。透明感のあるそれは、最初ガラスかと思ったのだが、近くでよく見てみると妙に柔らかそうな感じもする。

 風に揺れてふるりとふるえるあたり、どうもガラスだとかではない。


 しかし、だとして、これはいったい何なのか。

 ゼリー。いやいや、どうしてそんなものを、机の上にそのまま置くのか。普通、机の上だろう。


 おそるおそると、俺はそれに指を突き刺してみる。

 ぬぷり、と、ちょっと湿った音がしたそれだったが、意外に思った以上にしっかりとしており、指が沈むようなことはない。

 ただ、粘着質なのは間違いなく、ねとりと、指先に密着感が滲んだ。


 これなら紙など貼り付ければ、暫く取れないだろう。


「なるほど、メモの貼り付け場所か。磁石よりはいいかもしれんな」

「わざわざこれにしなくっても、付箋にノリをつけるのではダメなのでしょうか」

「そんなほどよく取れ剥がしができるのがあればいいけれど」

「押し花とか貼り付けとけばインテリアにもなるしな。いいんじゃないか、これ」


 そうね、と、ベッドから降りたリーリヤが、テーブルに近づいてそれを眺める。

 まじまじと四方からそれを眺めると、彼女はぴとりと、それに手を触れる。


 その表情はあまり好感触というものではなかった。


「ううん、便利かもしれないけれど、使っているうちに汚れてきそう。埃もたまりそうだし、違うののがいいかしら」

「意外に色々と気にするんだな、お前」

「だって、せっかく贈るのだから、長く使ってもらいたいじゃない」


 お前らエルフ族の寿命で考えて、長く使えるものなどあるのだろうか。

 人間の造る物だぞ。人間が生きているうちに壊れなければ御の字だというのに。


 ううむ、と、首を傾げるリーリヤ。

 どうやらエルフ娘の物色は、まだまだ長引きそうだ。

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