第71話 闇の本樹園【シリアス】
司書の仕事は何も本の管理だけではない。
ひがな一日本を眺めて、時に図書館に潜ってでことが過ぎれば、これほど楽な仕事はない。だが、どんな仕事でも、たいてい多くの時間を割いているのは、定型の仕事よりは非定型のものである。
今日にしてみてもその例外ではない。
土煙が舞う人ごみの中。赤土の道路を踏みしめ、人の肩を抜ける俺とリーリヤ。
図書館とも、住んでいる王都とも違い、なんとも騒がしいここは、南部のとある街にある常設の市場である。
王都にもない規模を誇るこの街の市場は、国内でも五本の指に入るものだ。当然その賑わいも規模に見合ったもので、見渡す限りに人の影が見えるという有様。
これだけの人が集まって、何を買い付けるかといえば、当然、食べ物やら衣料品やらである。
扱っているもの自体はそう変わらない。
しかし品揃えであるだとか、価格であるだとか、そこは多くのものが集まる巨大な市場だけあって、買い手にとって魅力的になるのがこの世界の理。
客の数、店の数、品の数というのは、俺たちがおもっているよりもよっぽど簡単に市場原理を変えてしまうのだ。
「やぁ兄さん。どうだいこれ、西の国から運んできた林檎だよ。歯に沁みるくらいに甘いよ。五つで銀貨一枚でどうだい」
「最近虫歯を治したばかりでな。悪いが他所を当たってくれよ」
歯に沁みるくらいとはどういう売り文句なのかね。
やはり王国広しというもの、北と南とでは文化が違う。
陽気なおっさんがやっている店の横をリーリヤと共に通り抜ける。
この手の人ごみにはなれたもので、ともすると、昔の特技でついつい要らぬ手が伸びそうなところだ。
幸いなことに、リーリヤがはぐれないために、利き手のほうは塞がっていたが。
「マクシム。ちょっと、ちょっと待って。ちょっと休憩しましょう」
「んだよ、だらしがねえな。馬車降りて、まだ一時間も歩いてないだろう」
「そうは言ってもこの人ごみよ。歩くだけで疲れるわ。ちょっと、そう、そこの角の陰になってる路地にでも入って一休み」
「んなところで立ち止まってたらおいはぎに襲われるぞ」
おいはぎ、と、ひきつけるように言って、リーリヤの顔が青くなる。
世間知らずのひきこもり司書様である。王都の市場や、年に数度の祭りのイメージで言ったのだろうが、それらとはまた話が違ってくる。
これだけの人が集まるということは、それだけの思考の違う人間が居るということ。
そういう輩が増えるのは、どんな道理よりも明らかだ。
それでなくても一歩路地裏に入れば、非合法な物品のやり取りが行われている。市場の品揃えを舐めてもらっては困る。
胸こそないが、お前のようなエルフ娘が、ひとたび人買いにでも目を付けられれば、どういう末路をたどるか。
俺はこいつの保護者でもなんでもないが、余り考えたくないもいのだ。
「とにかく、とっとと目的地まで歩ききっちまうべきだ。急ぐぞ」
「あっ、ちょっと」
「なんだよ、歩くのがしんどいってんなら、子供みたいに背負ってやろうか」
「勘弁してよ。もう、分かったわよ。分かったから」
ぐいとリーリヤの手を強く引くと、俺は彼女と肩を並べた。
こうして俺たちが王都を離れて、こんな場所にまでやって来たのには訳がある。
というのも、例によって、リーリヤの師匠さんが、図書館を尋ねてきたのがきっかけだ。
馴れた感じにリーリヤに本を預けてさっさと図書館を後にした彼女だが、残されたリーリヤは実に難しい顔をしていた。
「どうしたんだよ、そんな鳥の糞でもひっかけられたみたいな顔して」
「鳥の糞ならまだどれほどよかったことか」
そう言って、彼女が俺に見せたのは、気が滅入るような線の羅列。
幾何学模様が描かれた魔導書であった。
これが何か、と、俺がリーリヤに尋ねた時には、なぜだか世界が闇に包まれていた。いつの間に自分の部屋に移動したのか、床の上から眺める窓にはフクロウと蛙がないており、綺麗な半月まで昇っている始末。
急いでリーリヤに状況を確認しに執務室に駆け込めば、なんでもない感じに、彼女は紅茶を飲みながら、俺がその本を見てすぐさま気を失い、そうして夜まで寝てしまったのだ、と、そっけなく言った。
それから、改めてもう一度、そのいわくつきの本をリーリヤは俺の前に出した。
幻覚誘導書。
彼女が俺にそれとなく向けてみせたその書籍は、所謂、違法薬物と同等の効能を持つ、魔導書の一種なのだという。
幾つかの国では、同等の薬物とこれまた同様に、取り扱いを厳しく禁じているのだとか。実際、その威力を目の当たりにすれば、そうする理由も頷ける。
ただ、そんなもの気軽に向けてくれるなよ。
「どうも南部の市場でこれが大量に出回ってるらしいのよね。供給量から、あきらかに市場の近くにこれの生産工場みたいなのがあるはずなんだけれど」
おい、まさか、と、嫌な汗が額を走った俺に、リーリヤは、もちろん、と、それ以上のことを語らずに微笑んで見せた。
とまぁ、ここまでに至る経緯を話せばそういうこと。
なんということか、今日は楽しい違法魔導書の摘発捜査をしに、遠路はるばるこんなところまでやって来たのであった。
「しかしまぁ、とんとん拍子に生産工場の目処がついたのは驚きだな」
「オリガの顔の広さに感謝よね。あの猫ボクシング道場の門下に、まさか陸軍諜報部の子がいただなんて」
「俺は逆にあんなのに教えられるうちの国の諜報部が不安なんだが」
まぁ、諜報と言ってもいろいろあるんじゃないの、と、リーリヤは切り捨てた。
確かに色々と種類はあるだろうな。なにも力技で情報を集めるのが、優秀な諜報部員の仕事ぶりとは限らない。
加えて獣人だ。普通の人間にはない長所というのが、彼らにはある。
あのオリガだって、なんだ、それはもう長所のひとつふたつくらい。
長所のひとつくらい。
ひとつ、も。
「やっぱり不安だ」
「あっ、ちょっと、マクシム。ここじゃないかしら。ほら、アレ」
急に立ち止まってリーリヤが俺の手を引く。
そんな大げさに騒ぐことでもないだろう、と、彼女の指差すを方を向けば、そこにはいやに古ぼけた教会が立っている。
おそらく以前は真鍮の鐘でもぶら下がっていたのであろう、荒れ果てた鐘楼と思われる正面の建物には、件の幻覚誘導書に印字されていた刻印があった。
「教会で魔導書造るとは、なんとも背信的な奴らだな。俺らが裁かなくっても、教会に密告すればいいようにしてくれたんじゃないか」
「ダメよマクシム。教会じゃどうやたったって後手に回ることになるわ。それに、面と向かって教会を否定したならともかくとして、この程度のことじゃ、主教様たちの重い腰は上がらないわ」
そうだったな。
とかく教義や組織の面子には五月蝿いが、それ以外にはとことん寛容というかおっくうな態度を取る彼らである。密告したところで、動くはずもないだろう。
かといって、一介の司書の俺たちがどうこうするのも、どうなんだ。
「許せないわ。魔導書をこんな風に使うだなんて。魔法も、本も、もっと生産的な目的で使うべきものなのに」
「私怨でもないのにここまでその気になられたら、断れんか」
「なによマクシム。なんか言った?」
いや、なにも、と、前おいて、俺はリーリヤに先んじて教会へと近づいた。
外観からしてあきらかに人が住んでいる気配はない。どころか、既に教会として機能しているかも怪しい感じである。
案の定、正面の戸については、引いても押しても動かない。
どうやら中から閂でもかけられているらしい。
これは裏口から回るしかないかな、と、路地裏を見れば、そこには虚な顔つきをしたやせかけた子供たち。
俺と目を合わせても彼らは感情も見せず、ただ、だまって視線だけをこちらに投げかけてきていた。
「やだ」
「やだじゃねえよ。こんなもん、王都でも路地裏に入ればよく見る光景だ」
図書館に篭ってばかりじゃ気がつかんだろうが。
怯えるリーリヤ。だが、目を離すわけにも行かない。
俺は彼女を引き連れると、彼らの視線を浴びるのも構わず、路地裏を進んだ。
すぐに、たむろしている子供達の中、一番背が高く、一番ぼろい服を着ている少年が立ち上がった。
「止まれ」
「悪いな通してくれないか。どうしてもこの先に用があるんだ」
「ダメだ止まれ」
「いいや止まらん。止めたきゃ力ずくでどうぞ、だ」
つっかかって来た、のは、その少年だけだった。
てっきり周りのとり巻きをけしかけるかと思ったが、どうもそういうタイプのリーダーではないらしい。
そして力押しのタイプでも。
彼は低姿勢で俺の腰に取り付くと、すばやい動きで俺の手を後ろに回すと、元から手にしていた麻の紐で縛り上げた。
そうしてすかさず足払い。気づいたときには、俺の腹の上に少年は馬乗りになっていた。
震えるその手には、空の青色を弾いてまぶしい、ナイフ。
「出て行け。ここは通さない、誰にも邪魔させない」
「こんなもんに命を張るだけ無駄だぜ。お前も、お前の取り巻きも、この廃屋と同じでいらなくなったら処分されるだけだ」
「黙れよ」
「その日を生きるだけで精一杯ってのはわかる。だがな、潮時ってのも弁えないと、生きちゃいけん。お前さんたちはまだ子供だ、ここを仕切ってる奴らと違って、なんの責任もない。逃げちまえば」
「そうできるなら苦労しないんだ!!」
降って来たのはナイフではなく、大粒の涙。
しゃくりあげる嗚咽は、何も目の前の彼からだけではない。
彼がたった後も、微動だにせず座っていた少年達からも、その痛ましい声は聞こえてきたのだ。
何か、理由があるのだろう。
やれやれ、どうしたものかね、と、後ろ手に縛られた手を解放しながら思案する俺の前で、ふと、リーリヤがナイフを持つ彼の手を握った。
驚いてきっと何もできないと思っていたのだろう。少年が、涙を止めてリーリヤの方を見る。
世間知らずのエルフ娘だが、しかし、人の心の分からない女ではない。
「驚かせてしまってごめんなさい。けど、誤解しないで欲しいの。私たちは、貴方たちに危害を加えに来たんじゃないわ」
「リーリヤ、お前」
「ここは私にまかせてマクシム」
そういってリーリヤは俺の上から彼をどけた。
相変わらず、彼女の手は少年の手を握ったままだ。
俺だったら迷わず払いのけているだろう、ナイフを持たせたまま、彼女は少年の顔を覗き込んで、そして、言った。
「貴方たちを悪いようにはしないわ。むしろ、力になれることがあるなら言ってちょうだい。きっと、力になるわ。約束する」
「嘘だ。あんたら大人はいつだってそうだ、そんなことを言って、守ったことが一度でもあったかよ」
かわいそうに、とも、ごめんなさい、とも言わない。
リーリヤはただ少年の手を握り締めて、そして、無言で訴えかけた。
なんだよ、と、少年がリーリヤの手を振りほどこうとする。
ともすれば暴れたナイフが彼女を傷つけるかもしれない。だというのに、彼女はそうして、彼の手を離さず、じっとそれを見つめていた。
あきらめたか、それとも、何かを感じたのか。
不意に少年の動きが止まった。
「貴方の周りの大人がどういう人たちだったかは知らないわ。そんな大人たちを見てきて、いきなり赤の他人の私を信じてなんて、虫のいい話かもしれない」
けど、と、リーリヤは続ける。
「私は、貴方のように、本のために涙を見る人を一人でも多く救うため、そのためにここに来たの。貴方の涙がもし、この教会の中にあるものが原因なのだとしたら、お願い、ここを通して。きっとなんとかしてみせるから」
なんとかするのは、お前じゃないだろ。
やれやれまったく。本当、向こう見ずに勝手な約束してくれやがって。
だが、やはり子供相手の話というのは、男なんかより女のほうが向いている。
あれだけ敵対心をむき出していた少年は、あっさりとナイフを自分の懐の中へと戻すと、俺とリーリヤに背中を向けた。
「ついてきてきて」
と、寂しい背中と共に、彼が言う。
すぐさま俺は立ち上がると、リーリヤと共に、その少年の後ろに続いた。
少年少女の視線の中をくぐり、路地裏の突き当りを更に曲がる。
木の板などが散乱している裏庭に出れば、開け放しになっている教会の裏手の入り口が見えた。
覚悟はいいか、という感じに、少年がこちらを見る。
頷く代わりに俺は彼を追い越して、その扉をくぐった。
「暗いな。それと、ひどくすえた匂いがする」
闇に目が慣れてくると、そこかしろに転がっている、食べかけのパンやら、干からびた肉やらが目に入る。
と、同時に、桟敷の上に転がっている、少年達の姿も。
目に光は無く、だらしなく開いた口からは涎が流れ出ている。
手にしているのは本。
そう、俺を半日の昏睡へといざなった、あの、魔導書を抱えている。
それもこの部屋にいる誰もが、だ。
「酷い」
「なんだこりゃ。こいつはいったいどうなってる」
「皆、魔導書を取りに行かされるんだ。誰か一人が、本を持って。それで、気絶したのを運んでくる」
「取りにいかされる?」
「どういうこと?」
奥を、見て。
少年はそういって暗闇の向こう、更に続いている部屋の奥、その扉に恨みのこもった視線を向けた。
俺とリーリヤは言われるままにそこへと向かう。
おそらく、ここは教会のバックヤード、司祭達の憩いの場か、はたまた倉庫というところだったのだろう。
扉を抜ければ、割れたステンドグラスから、太陽光が降り注ぐ広間になっていた。
だが、並んでいるのは、参拝者たちのために用意された椅子ではない。
「んだこれ」
びっしりと、天井から天井へと張り巡らされているのは、緑色をした蔦。
壁一面、そして、適度な高さの書架に絡みついているそれは、どうしたことか、葉と花弁の代わりに、見たことのある書物を生やしている。
本を生やす植物。
そんなものがあるのか。
「やけに大量に作れると思ったら、こういう」
「なんだよ、驚かない辺り、普通のことなのか」
「写本魔法の一種よ。それほど難しい魔法じゃないわ。紙の原材料に植物の繊維よ、それを直接本の形に整形しようなんてのは、分からないでもない発想よ」
ただ、こんな風に大規模な栽培をするものではない、と、リーリヤはあきれるような口ぶりで呟いた。
おそらく倍々で写本を増やしていったのだろう。
金のなる木ならぬ本のなる木とはこれか。まったくぼろい商売だ。
「けど、写本したものが魔導書の場合、できた時には花弁が開いているはずよ。どうしてそんなものを回収することが」
はた、と、先ほどの光景が脳裏によぎる。
そしてそこに寝ていた少年少女たち。
その握っていた魔導書。
そうしないと生きてはいけない、という、少年の言葉。
「何度も本を見て、起きられなくなった子もいる。俺の姉さんもそうだった」
「だった?」
「一週間。起きなくなった子供は、大人が連れて行く。そうしたら、ここにはもう戻らない」
最悪だわ。と、リーリヤが言う。
そうかね。これと同じ程度の地獄なら、旅の途中で何度か見た覚えがあるがね。
ただ、胸糞が悪いのには変わりない。
「ダメだな。息が詰まる。悪いが、煙草を吸っていいか」
「マクシム」
「止めるなリーリヤ。こんな胸糞の悪いもの、とっとと燻して枯らしちまうに限る」
リーリヤの許可を待つでもなく、俺は懐からマッチを取り出すと、それに手をかけた。
煙草は歯に沁みるので禁煙中だ。
代わりに辺り一面を覆っている緑の蔦えとそれを放れば、たちまち、その蔦を這うようにして、炎が広がっていく。
「リーリヤ。得意の魔法で子供達を避難させてやれ。あと、お前も一緒に隠れてろ」
「アンタね、ちょっと勝手すぎやしない。なんでもそんな一人で」
「頼む、子供達についててやってくれ。こんな場所でも、居場所がなくなるのは、きっと辛いからさ」
力になるんだろう。
ダメ押しのように俺が言うと、リーリヤは少し呆れた調子で溜息を吐いた。
「バカ」
「だからいつまでたっても昇進できないんだろうね。まぁ、けど、気に入らない奴相手におもうさま喧嘩が売れるなら、願ったりかなったりさね」
「すぐに駆けつけてくるかしら」
「お前らが全員逃げるくらいの時間はあるだろう」
ほれ、早く、と、ケツをたたけば、リーリヤは何も言わずに俺に背を向ける。
呆然と立ち尽くしている少年の肩を抱いて、再び、入ってきた入り口に戻れば、ふと、俺の方を彼女は振り返った。
「アンタに言っても意味無いかもだけど、無茶、しないでね」
「おいおいこの無茶目の前にして、どうしてそんな冗談が出てくる」
「盗賊やめて、道化師にでも転職したらどうなのよ」
「悪い冗談だな。俺は、お前さんの部下で、今は司書だぜ」
「子供のために体張る司書がどこにいるのよ」
「目の前に居るさ」
そんな上司をリスペクトして、俺もひと暴れさせてもらうさ。
なに、子供相手に偉そうにするボケどもなんぞ、龍の首を捻るのと比べたら、どうということはない相手だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます