第58話 巨人達の天球儀【シリアス/ゲスト:ナディア】
夜空の星と人間の営み。その係わり合いの歴史は古い。
それこそ有史より以前から、人は星についての知識を持っており、口伝や絵画によってそれを受け継いできた。
また、時に夜空のそれらの並びは、伝説を物語るための素材としても使われた。
各国各地各民族の伝説の光景に付会させて、夜空に浮かぶそれを線でつないで描かれるそれは、星座と呼ばれる。
人々がその並びに神々を見るように、エルフ達は精霊を、ドワーフたちは伝説の宝物を見た。
それぞれがそれぞれに、その星の並びに意味を見出しているのだ。
そしてそれは、言葉を持たず、最も天に近い種族についても同じだった。
「どう、ナディア? 貴方のお父様から教えていただいた、星座は見つかった?」
隣に腰掛けているリーリヤの横で、ふるりふるりと顔を振ったのはナディアだ。
眠たそうに目を細めて、空を見上げている彼女の顔は、どこか寂しげだ。
夜食のスープをかき混ぜる手に、思わず力が入った。
夜闇を霞ませる光もなく、星を遮る屋根もない、そこは満天の星空が広がる、王国でもよく知られた星見のスポットである。
と、そんなところに、どうして俺たちがやってきたかというと、それは、この一緒にいる巨人の少女に頼まれてのことだった。
巨人族は古くは神族の末裔と崇められてきた一族である。
宗教的な儀式と縁が深く、現代でも幾つかの宗教では彼らを神の使いとして崇め奉っていたりする。
ナディアの父親は、そんな風に巨人を崇拝している地方の人々のため、大陸中を回って祭祀を手伝うことを生業とする者であった。
ようは歩き巫女、行者という奴だ。
半年に一度、一ヶ月に渡る旅に出るナディアの父親。その間、彼女は彼から教わった巨人の星座を探して、母と一緒に夜の寂しさを紛らわすのだと言う。
その巨人の星座が、天井に見えるようになる頃には、帰ってくる、と、彼女の父親は言ってから旅へと出かけるのだ。
だが、残念なことに一度も彼女は、その星を見つけられずにいた。
いつもなら母親と一緒に寝ているナディアに、どうして俺とリーリヤが付き合っているかといえば、それはその母親が居ないからに他ならない。
彼らが住んでいる集落からほど近い山で土砂崩れがあり、それにより街道が閉じられたのだ。街道の復旧のために、ナディアの母親は近隣の人間達に頼まれて、土砂の除去作業に出払っているのだ。
そのため一晩だけ、彼女の母親と父親とも知り合いであるリーリヤが、ナディアを預かることになったという次第だ。
とまぁ、俺たちがこうして夜天の下で、キャンプをしている理由が分かってもらえただろうか。できることなら図書館で、暖かい布団に丸まって寝たいところだったが、ナディアの入れる布団がないのだから仕方ない。
「ほれ、夜食のかぼちゃのスープができたぞ」
「ありがとうマクシム」
ありがとう、と、口だけをうごかしてナディアは言う。
この巨人族特有のコミュニケーションにも、最近やっと俺も馴れてきた。
いいよいいよと、言って、俺はカップに注いだそれと、もう一つ、大皿によそったそれを彼女達に差し出した。
子供といえど巨人。流石に、人様のカップでは満足しないだろう。と思ってだ。
しかし。
「あ、ちょっと、ナディア。それは、鍋」
「鍋ごと食べたいんだって。お腹がぺこぺこだそうよ」
女といえど巨人。人間の食器では足りなかったのだろう。
明日の朝の分もと思って煮ていたスープの鍋を、それごと持ち上げるナディア。先ほどまでかき混ぜていたお玉を、器用にスプーン代わりにすると、彼女はそれを口へと運んだ。
にへぇ、と、笑ってこちらを見る。
はにかんでいるほっぺたには、黄色いスープの汁がにじんでいた。
まったく。どんなに図体がでかくても、この笑顔には敵わない。
「しかし巨人族の英雄の星ね。そんなものがあるとは知らなかった」
「世界は広いからね。覇の国ではミツバチの星座なんてものがあるそうよ」
「そんなもんありがたがってんのか」
「蜂蜜ってほら、貴重じゃないのよ。だからまぁ、巨人の星なんてのも、あるでしょうね」
投げやりに言うリーリヤ。
そう言いながらも、彼女がナディアのために、図書館に潜ったのを俺は知っている。というか、一緒に潜ったから知っていて当たり前なのだが。
ナディアがどうしても、その星がどこにあるのか知りたい、と、言うものだから。
第九十七書架。星の魔導書が収められている書架へと潜って、俺達は最新の、星座の魔導書に、その星座について尋ねたのだ。
「あの星は違うわ。アレは、小熊座よ。ほら、あれが尻尾で、アレが手足」
「クマに尻尾なんてないって言ってるぞ」
「それはそれ。昔の人の想像力のたくましさって奴ね」
では、あれは、と、ナディアが指を差す。
そこにあったのも、また、巨人の星座とは違う、別の星であった。
そう、もとより、そんな星はないのだ。
おそらくナディアの父親が、出かけるなとぐずる娘をなだめるためについた、優しい嘘なのだろう。
それを魔導書に尋ねて、ないと知った俺とリーリヤは、そんな彼女の父親の嘘に、とことんまで付き合うことに決めた。
「あれは羊飼い座。その隣にあるのは子犬座よ。ううん、見つからないわね」
「まぁ、ナディアがこれだけ探しても見つけられないんだ。気長にやろうや」
むぅ、と、あきらかに落胆するナディア。
彼女のこの表情に応えられないのは仕方がないが、ないものはないのだ。あるいは、適当な星を作ってしまうというもいいかもしれないが。
嘘というのはいつかばれるものだ。
彼女が大人になったとき、傷つくことのない優しい嘘を、できることなら吐いてやりたい。
彼女の父が、きっと分かってくれるだろう、と、そうしたように。
ナディアがまた指を差した。
それは地平の彼方。山の端であり、夜空の中でもより闇の濃い場所。
星はおろか、光さえも見えない場所である。
そんなところを指差して、ナディアはどうしたというのだろう。
その口が、アレ、は、と、俺達に尋ねた。
「あれ? なんのこと?」
「どこにも星なんて見えないけれど。どうしたんだ、ナディア」
ふるりふるり、と、ナディアが首を振る。
首を振って、そして、次に出てきたのは大あくびだ。
胃の中にものが入ってようやくおねむという感じらしい。地平線の彼方を指差したまま、ナディアは地面にごろりと背中を預けると、そのまま目を瞑った。
寝る子は育つ。こんだけ大きく育った娘だ、それは、寝つきもいいだろう。
ナディアと声をかけた頃には、彼女は既に穏やかな寝息をたてていた。
「寝ちゃったか」
「そうみたいね。まぁ、もう結構ないい時間だから、仕方がないわ」
近くに用意していた毛布を手に取り、ナディアの体にかぶせるリーリヤ。
優しく巨人娘の頭を撫でると、彼女が置いた鍋に、自分のカップを放り込む。
そんな彼女の横で、俺は、遠く、ナディアが指差した、地平の果てを眺めていた。
俺には、俺達には、何も見えない、暗闇の世界を。
「なぁ、リーリヤ。巨人の星座ってのは、本当にないのかね」
「魔法図書館の知識だけが、全てと言うわけじゃないから。もしかすると、見方が違うだけで、そういう風に呼んでいる星の組み合わせがあるのかもしれないわね」
そうじゃなくてだな。
言おうか、言うまいか、迷ったが、気がつくと俺は口にしていた。
「もし、もしだぞ。この空に、俺達には見えない星があって。それを、巨人のナディア達だけが見れるとしたら。そうしたら、どうだろうか」
きょとん、と、目をしばたたかせた、リーリヤ。
柄にもないことを言うからだ。すぐに、彼女は、笑って、その口元を手で隠した。
「おかしい。マクシム、貴方、そういう冗談も言うのね」
「なんだよ、悪いかよ、ちょっと、思っただけだよ」
「ううん。なんだか、素敵ね、それって。ロマンチックだわ」
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