第42話 エルフと祖母【ラブコメ/ゲスト:リーリヤ祖母】

「いいマクシム? 私は今から図書館に篭るけれど、誰が来ても絶対に呼ばないでちょうだい。いい、誰が来ても、よ」


「なんだよ急に。まさか食堂でつまみぐいでもしたのか」


「するわけないでしょ!! 私をなんだと思ってるのよ!!」


 年甲斐もなくいやしんぼな腹ペコ司書エルフですが、何か。


 正直に答えた俺に向かってお得意の月桂樹の杖が向く。

 だから魔導書架の中でないと効かないってのに。

 何度目だよこのやりとり。いい加減学習しろよな。


 魔導書を探すでもなく。

 来館者の依頼で普通の本を探すでもない。

 なにもない、退屈で欠伸が出るような平日の午後。


 あぁ、今日は楽な一日だ。

 リーリヤの眼を盗んで昼寝でもしようかね。

 なんてことをおもわず思ってしまうような、王立図書館の貴重な平穏。しかし、その平穏は突然、正司書によって破られた。


 破るや否や即実行。

 宣言通り、正司書さまは執務机の前から立ち上がると、執務室を離れて図書館の普通書架の方に歩いていく。ほんと、おい、どういうことだよと、問い詰める間もないほど足早であった。それだけに彼女の本気度が伝わってくる。


 ただまぁ、止める気にもならない。


 まぁ、普通書架なら問題はないだろう。

 魔道書架と違って、通常書架には魔導書もなければさしたる危険はない。そもそも司書でなくても入れるし、自由に内覧することができる。時たま、魔導書架からバグが出てくることもあるが、まぁまぁそんな大事になったことは今までない。


 俺という番犬がいなくても大丈夫。

 むしろ正司書の彼女のほうが頼りになるくらいだ。

 やはり問題ない。


 しかし、いつもだったら魔道書架でなくても俺を何かと連れまわす彼女だ。

 そこの所がひっかかる。


 というか、なんでわざわざ図書館に籠る宣言なんてしたのか。

 リーリヤの奴、なにを考えているんだ。

 そいつだけがひっかかった。


「なんか旨い土産でもオリガの奴に貰ったか。それを独り占めしようって腹か」


「ちがうわよ!! 食べ物から離れなさいよ!! もう!!」


「じゃあなんだ。人に言えないむふふな本でも読もうってのか」


「アンタじゃないんだから違うわよ」


 失礼な。

 読まないよそんな本。字が読めないんだから。

 それでなくても、文学的なきざったらしい言い回しやら、常套句やらなんやら、さっぱり分からないんだよ。オペラだって見ててとんちんかん。そもそも、仮のお話でそういう気分になれるというのが、俺にはどうにもよく分からないのだ。


 とまぁ、そんな話はともかく。


 ますますもって何のために図書館に潜るのか。

 もったいつけづに教えろよと俺はリーリヤに食い下がる。しかし彼女は振り返ることもなく、そそくさと何かから逃げるように執務室を出て行ってしまった。


 なんだあの感じ。

 まるで追われてますって言わんばかりだ。


 ははん。分かったぞ。

 さては借金でもしちまったんだな。


 水臭い奴め。

 言ってくれれば少しくらい貸してもやるのに。

 あくどい高利貸しが相手ってんなら、いろんな意味で交渉してやるのに。


 そういうの得意よ。

 曲りなりも俺もそういう社会に棲んでた人間だから。


 とはいえ逃げる気持ち、隠す気持ちも分からなくもない。


「流石に自分の口からは頼み辛かったのかな」


 などと納得した矢先のことだった。


 にこつりこつり。

 図書館の外へと続いている執務室の扉を叩く音がした。


 どうやら、巨人の来訪者ではないらしい。彼女の扉を叩く感じとはまた違う。

 かといって小うるさい大臣さまなら、もっとけたたましく叩くだろう。

 猫軍人はノックもなしに勝手知ったる何とやらで入ってくる。


 するともしや――やって来たか取立人。

 ノックをするあたり有無を言わさぬ荒くれ者という感じではない。

 どうしたもんかね。居留守を使ってごまかそうか。

 それとも一発ガツンとかましてやって、ちょっとこいつは難儀な仕事になりそうだぞと釘を刺してやろうか。


「あんのぉ。すぬません、誰がおいででねえでしょうが?」


 そんなことを思って頭を巡らせる俺を裏切るように、老人のしわがれた声が扉の向こうから聞こえてきた。妙な懐かしさを感じさせるイントネーション。しかも女性だ。


 図書館の来館者は多くもないが少なくもない。

 王族や宮廷の関係者はもちろん、それ以外にも王都に住まう民間人や遠方の学者などが、知識を求めて尋ねてくることも多い。


 間違いない。

 扉の向こうの相手はそんな――お客さまだ。

 取立人に老婆が来ることは、あり得なくもないがまずないだろう。


「はいはいはい。居ますよ、ちょっと待ってくださいね」


 あわてて居留守を解除する。

 返事と共に俺は扉のほうへと走った。


 木で出来た扉を内側に引けば、ちょこなんと老婆が立っている。俺の肩と同じくらいの身長。老人にしてはいささか背が高い。だが、背中は年相応に曲がっていた。


「あぁ、すぬませんなぁ、お忙しいところおじゃまします。あんのぉ、この辺りに、王立図書館ちゅうところがあると、聞いてきたんだけんども」


「それならここだぜ。どうした、何のようだ」


「あんれぇ。そうですかぁ。よがっだぁ。なれない都会で、迷っでたんですぅ」


 ぴこりぴこりとその耳が動く。

 驚いたことにこの老婆、耳が常人よりも遥かに長い。


 いや、長いというか――。


 エルフだ。


 老人のエルフだ。

 しわがれた顔の老婆エルフが、図書館を訪ねてきた。


 そして、もしかしなくても、その顔には妙な既視感があった。

 そう、いつも見ている顔に重なって見える面影が。


「つかぬ事をお伺いしますが、ここに、リーリヤいう娘っこが、お世話になっておらんでしょうが?」


「いや、お世話になるも何も、ここの正司書だよ。アンタは?」


「ややっ、すぬません、ご挨拶がまだでしだぁ。わだす、針の森に住んでるエルフの、エガチェリーナいうもんです」


「そらどうも。で、リーリヤとは、どういったご関係で」


「孫娘ですわぁ」


 しわがれた顔が満面の笑みに染まる。

 歯をむき出しにして少し下品に――しかし青空のように晴れやかに老婆は笑う。


 嬉しくて嬉しくてしょうがない。

 そんな感じだ。


 どうしよう。

 正直、眼に痛いくらいの笑顔だ。

 いい顔するね、お婆ちゃん。


 そして胸にも痛い笑顔だ。

 あぁ、どうしてもう少し早く来てくれなかったのか。


 ちくしょうリーリヤ。お前、こんな大切な訪問者が来るってのに、なに図書館なんかに篭っているんだよ。おばあちゃん大切にしてやれよ。


 親不孝、いや、祖母不幸だぞ、この不良エルフ。


 そもそも針の森は、ここ王都からめっぽう遠い。

 極東と呼ばれるような場所にある。

 歩いてくるとなると半年はかかる場所である。


 だというのに。

 居留守ってかおい。

 なに考えてんだ、あいつ。


 エルフとしてどうかは知らんが人としてどうかしてるぞ。はるばる様子を身にきてくれた婆さん相手に居留守使うなんて。


「長いことあっとらんで、久しぶりに顔見でえなって思っでさぁ。手紙は出しといたんで、今日ぐることは分かっちょるハズじゃが」


「……確信犯じゃねえかよ」


「はて、姿が見えねえべが、どうしたんじゃろうか」


「……お婆さん、残念ながら、リーリヤの奴はさっき図書館の奥に潜ってしまって」


「あんれぇ。そうでしたがぁ。まぁ、お仕事だっぺぇ、仕方ねえべなぁ」


 いや、お仕事じゃないんですよ、おばあさん。


 とは、ちょっと言い出せない。


 この孫娘を愛してやまない感じの老婆。

 彼女に、実は孫娘は居留守を使ったんですよ――なんて残酷なことを、俺にはとても告げる気にはなれない。


 よっこいしょ、と、背中に負ぶっていたナップザックをおろすエカチェリーナ婆さん。

 彼女は図書館執務室へと上がる階段に腰を下ろす。


「そしだらぁ、リーリヤの仕事が終わるまで、ここで待たせてもらってよかがねぇ」


「いやいや、中に入ってください。あぁ、今、お茶でもお出ししますから」


「いんやいんや、どんぞおかまいなく。野良仕事ば、慣れちょるけぇ、こんぐらい」


「まぁそう言わずに。遠路はるばる来ていただいたのに、なんのおもてなしもなしというのは――」


「はれー、そうですか。それじゃ、おねげえします」


 彼女に背を向けて、俺は調理場へと急ぐ。

 正直、お茶なんて普段は淹れない。淹れるととは言ったが、勝手なんぞ分かったものではない。ただ、遠路はるばるやってきた客人に、何もしないわけにはいかない。


 四苦八苦して、どうにか紅茶をティーカップに注ぐ。

 茶器よりも濡れてている額の汗を拭うと、俺は湯気立つティーカップを持って、再びエカチェリーナの元へと戻った。


 律儀に玄関の前で待っていたエカチェリーナ。

 しかし、なにやら、床にモノを並べている。


 こういう時に地が出るのは教養のなさだろうか。


「何をしてらっしゃるんですか」


 お茶を差し出して間もおかず、俺はエカチェリーナに床に並べられたものがなんなのか尋ねた。


「あぁ、これぇ」


 間延びした返事をするエカチェリーナ。

 彼女は手元にあったそれを一枚とってみせると、俺に笑顔で差し出してきた。


 二つ折りになっているそれを開けば――おう、その中央に突然、薄っすらとした蜃気楼のような人の姿が浮かび上がる。


 いや、これも、人ではない。


 エルフの蜃気楼だ。


 前に避暑地の森に捨てられていた特殊な魔導書と同じである。

 違いがあるとすれば、向こうは出てくるのがセクシーな女エルフ。

 こちらはタフな男エルフというところか。


 まさかそういう本の収集家なのか。

 流石はリーリヤの祖母。


 血は争えぬ。


「釣書じゃよぉ。リーリヤもよい年じゃてなぁ。そろそろいい人でもあてごうてやって、身を固めたほうがよかろうと思うてのぉ」


 ははん。


 なるほどな、リーリヤが逃げたのはそれが理由か。


 仕事の虫であるリーリヤさんは、いい歳こいてそういう浮いた話がいっさいない。


 平日は図書館。

 休日も図書館。

 たまに旅行に行くときも、本を片手に実地調査。

 地元の文庫めぐり。


 そんな筋金入りの本好きストイックぶりである。


 男っ気がなさ過ぎて気を揉んでるのはなにも身内だけではない。旦那を筆頭に王族の皆様も、たいそう彼女の恋愛事情をご心配されていらっしゃる。


 もし、いい相手が居なかったときには、俺に責任を取れというくらいだ。


 もちろんそんなのは勘弁だが。


「ほれ、この男エルフなんかええ耳しちょるっちゃ。こっちのエルフは若い割りに体ができちょる。こっちのエルフは末成りじゃが、実家がエルフ界隈じゃ知られた名士でのう」


「あぁ、エカチェリーナさん。悪いけど、リーリヤの奴は、そういう気はまだないんじゃないかな」


「なぁにこういうのはようは形が大事なんじゃて。まんず夫婦になれば、気持ちは後からついて来るっちゃね」


 古い考え方だな。

 エルフにしては時代の最先端、現代思想の最先端で生きているリーリヤさんには、なかなか度し難いことだろう。


 ただ、まぁ、可哀想という思いはちょっと消えた。

 方向性は違えど、この孫娘にして、この祖母あり。

 どちらも身勝手というか、人の都合を考えぬというか、気難しいエルフだ。


 やっぱりエルフには関わらんに限るねぇ。


「そういえば、お兄さん、名前をまだきいちょらんかったな」


「あぁ、マクシムだ。ここで司書の真似事みたいなことをさせてもらってる」


「へぁ、マクシムさん。なんじゃったかのう、最近、そんな名前を、どっかで聞いた気もすっけど」


「気のせいでしょうな、それは、きっと」


「そんでぇ、リーリヤとは、いったいどういうご関係で?」


 まさかぁと少し引きつった顔をしてこちらを見るエカチェリーナ。


 エルフと人間の結婚は禁忌――ということではないが、あまりいい話ではない。それは俺も、風の噂やらなにやらで俺も知っている話だ。


「……ただの仕事仲間ですよ」


 笑って答えると、ほっと、エカチェリーナはその胸をなでおろした。


「よかっだぁ。人間と、エルフじゃ、寿命がちげえからぁ。残されたエルフの娘っこは憐れだっぞって、心配したでぇ」


「そうでしょうな」


 頼まれてもあのあばずれエルフなんぞと所帯を持ちたいとは思わない。

 そんなことには間違ってもなることはないと、ここに断言してやってもいいくらいだ。


 それはそれとして。

 まぁ、お婆ちゃんが心配するのは無理もないよ。

 彼女が心配した通りだよ。いい歳なんだから、所帯を持てよリーリヤ。


「やっぱりエルフはエルフと結婚するのが幸せだっぺ。そうだっぺ。うんうん」


 そう言いながら、じっと、エカチェリーナは、俺の顔を見ていた。


「なにか?」


「いんや、別に。ただ。昔の知り合いに、よう似ちょるなぁ、と」


「知り合い?」


「もう死んじまったよぉ。オラぁ、残して逝っちまっただ」


 何か納得した様子でまたエカチェリーナが笑う。

 彼女は手にしたティーカップに口をつけ、すぐ、あちちと舌先を出したのだった。

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