第26話 ドワーフの髭自慢【ほのぼの/ゲスト:ピョートル】
「おいピョートル、言われた通りに海から引き上げたけど――この茶色のひらひらした布切れみたいなのでいいのか?」
「おぉ、そうじゃそうじゃ。それが欲しかったんじゃ。やるではないかマクシム」
波風に揺れる筏の上。
それを掛け声とともに飛び跳ねて、ドワーフ大臣がこちらへとやってくる。
よっとっと。
あぶなげにゆらめいて俺の前で止まったずんぐりむっくりの樽男。
ピョートルは俺の手から茶色のそれを受け取る。
にんまりと満足げに口角を吊り上げる。鋼鉄製の髭もまた一緒に吊り上がった。
まやかしの太陽。
水面に降り注ぐ眩しい光の前にそれをかざして老ドワーフは頷く。
「どう、見つかった?」
せわしなく筏の上を飛び回っている俺達。
そんな労働者をよそに、筏の上で木編みの安楽椅子に座り、ゆったりと海辺のバカンスを楽しんでいるのは正司書さまだ。
肘置きには傘が結わえられている。
その柄をこつりこつりとたたきながら、退屈そうな口調で彼女は口さがないことをいう。
まったく、こういう厄介事はすぐに人に回すのだから。
性根が悪いったらありゃしない。
「見つかったじゃねえよ。お前、力仕事は無理にしても、識別くらいは手伝ったらどうなんだ」
「やぁよ、磯臭くなるじゃない」
「磯臭くなるじゃないわ!! このバカたれエルフ!! お前さんが間違えて、海草の魔導書をここに放り込んだのがそもそものことのはじまりじゃろう!!」
「間違えてません。分類的に、ここが適切だったんです」
まぁ、海産物だものなぁ。
普通、何も考えずに大海の書架室へと放り込むだろうなぁ。
もうちょっと考えて欲しい所だけれどもなぁ。
ここは第三十九書架室。
毎度おなじみ大海の魔術書がおさめられた部屋。
大海に住まう魚やら海獣についての魔導書が収められているこの部屋。
そこに、リーリヤが最近とある魔導書を放り込んだ。
その時は少しも気にしていなかった。
だが、後になってその書物が、この小うるさいドワーフ大臣が、特別に申請した蔵書だったと分かってさぁ大変。
あの魔導書はどこにあるのか。
すぐに読みたいのだがどうしたのか。
そこは大臣。まるで魔導書が彼のために特別に取ってあるような態度で、いきなり図書館にやって来たから困ったものだ。
どこにやったか分からないから始まり、すぐさま探せ、今すぐ潜れと、あれよあれよというまにドワーフ大臣に急かされる。
それでもって今、三人揃ってこの部屋という訳である。
「まったく、なんという適当な仕事ぶりだ。司書であればちゃんと蔵書を整理して、利用者にすぐ出せるように整理しておかんか」
「ここは普通の図書館じゃないのよ。扱っているものが違うんだから仕方ないでしょ。魔導書のなんたるかを知らずに、気軽に言ってくれちゃってれて」
「なんじゃとこのちんちくりんエルフ!!」
「なによ、この樽ドワーフ百年物!!」
「二人ともやめろや。ここは筏の上なんだから、海に落ちたらどうすんだよ」
カナヅチ二人が黙り込む。
幻想の海とはいえ、溺れるのは怖いからな。そりゃ仕方ない。
内陸型の亜人であるドワーフとエルフ。
反目しあう二種族だが共通項も多い。その共通項の一つが基本泳げない――種族的に金づちというものだ。
森に住み、洞窟に住む種族である。
水面に出る必要がない。よくて川で水浴び程度である。
だから泳げるようになる必要と言うのが彼らにはないのだ。
もちろん、練習して泳げるようになった例外もいる。
だが、幸いなことにというかなんというか、うちの司書さまと大臣さまはその典型例の中の典型例みたいな奴らだった。
「ちっ、運がよかったわね。ここが陸の上だったら、地平の果てまで転がっていくように、横向けて蹴っ飛ばしているわ」
「そりゃこっちの台詞じゃ。ここがワシの工房じゃったら、貴様のようなうらなりエルフ、つぶして伸ばして本の栞にしてやるわい」
「餓鬼の喧嘩かよ。それよりどうなんだピョートル、そいつが、お前の注文したってた本に違いないのか?」
ふんと、鼻息を鳴らしたリーリヤ。
彼女は取り出した月桂樹の杖でピョートルの手の中の海草を叩いた。
すぐに海藻は白い煙をあげる。
もくりもくりと、まるで燃やしたように白煙をたち昇らせると、それは海草と同じ茶色をした小さな魔導書に変わった。
「おぉ、これだ、これだ」
ピョートルが喜色ばむ。
どうやら間違いないらしい。
「海草の魔導書。これを探しておったんじゃ。助かったぞ、マクシム、恩にきる」
「いや、俺は網を引いただけだしな」
魔導書に戻したのはリーリヤだ。
素直にそこはリーリヤに感謝してやれ。
そうすれば、少しは関係もよくなるだろうに。
案の定、へそを曲げてふてくされるリーリヤ。
彼女はもう仕事は終わったという感じでふんと鼻を鳴らすと安楽椅子にまた座る。そして木編みのその背もたれを俺達の方に向けるのだった。
まぁ、二人のやり取りに付き合っていても何もいいことなどない。
そこは割り切って行こう。
「しかし、お前もなんだか妙なものを頼んだもんだな。どうしてこんなものを」
「ほんとよ。魔導書と銘打ってあるけど、ほぼほぼ海草についての学術書みたいなものよ。なによ、お庭で海草でも育てるつもりなの」
「庭で海草が育つかバカたれエルフ」
「分かって言ってんのよ、脳みそ鉄鉱石ドワーフ」
「だからやめろって」
なんで俺より長く生きてんのに餓鬼みたいな喧嘩するんだ。
長命種族だというのに学習しないのかよ。
ドワーフはともかくとして、エルフは頭がいいのが特徴みたいな種族だろう。
種族も、年齢も、血に刻まれた相性には敵わない。
ということだろうか。
溜息が口を吐く。
このままだとまた不毛な争いがはじまりそうである。
何とか話題を逸らそうと俺はもう一度ピョートルに理由を尋ねた。
リーリヤ以外にはまぁそれなりに普通の爺さんのピョートル。
俺の問いにすぐに彼は上機嫌に顔色を戻した。扱いやすいなぁ。どうしてエルフ相手だと、こうならないのか不思議で仕方がない。
とはいえ、なんだか面映ゆい感じに口をもごつかせるピョートル。
「うむ、そう、そうじゃのう。なんと言うて良いか」
いつもははっきりモノを言うのだが――どうしたのだろうか。
こりゃなんかあるな。
目の端で、椅子の背中から伸びたリーリヤの耳がぴくりと動いた。
どうやら彼女もそれとなく察したらしい。
「あまり大きな声ではいえんのじゃがの」
そう、前おいて、ピョートルは俺の耳にそっと顔を寄せる。
「実はのう、最近、髭の調子が悪くてな」
「髭」
なんだいそんなもの。
というか、髭の調子ってなんだよ。
お前の髭は鋼鉄製だろう。
などと思いつつよくピョートルを見てみれば――。
ある。
確かに、彼の顎先。
鼻の下とはまた別に、うっすらと白いひげが生えている。
これか。
この産毛みたいなやつの調子が悪いのか。
確かに見るからに調子が悪そうだ。というか、髭というほどのものなのか。なんか違うものではないのだろうか。髭じゃなくて顎毛じゃないのか。
そんな不安が見る者の頭に過る、確かに頼りない毛量だった。
「なるほど、そういう理由か」
「しょーもないとは思っておるんじゃ。しかしのう、ドワーフにとって髭はその者の社会的な地位を表す大切なステータスなんじゃ。より高貴なドワーフには、より高貴な髭、これがドワーフ族の習わしでのう」
「どうでもいい習わしよね。そんな赤ちゃんの頭みたいな髭を生やして、立派だとか美しいだとか、笑っちゃうわよ」
「うるさい!! エルフ族とは文化が違うんじゃ!! 黙っとれ!!」
「いや、エルフじゃなくてもなんだそれって感じではあるぞ、ピョートル。張り合う理由がわからん」
ぐぬぬとピョートルが眉間にしわを寄せる。
ニマニマと口元を抑えて性悪エルフが微笑む。
どうもよくない。
そしてくだらない。
話題を変えようと、俺はすぐに機転を利かして
「しかし、海草がなんの役に立つんだ?」
「髭の代わりに顎に垂らすの?」
「リーリヤ。茶化すのはやめてやれ」
「なんじゃマクシム、お主知らんのか」
きょとんとした顔をするドワーフ。
知らない。少なくとも海藻と毛に相関関係があることすら知らない。
なんなのどういうことなの、どんな関係があるの。
別に興味はないけれど、喧嘩されるよりはマシなので教えてください。
そんな感じで俺は軽く尋ねた。
そう、軽く――。
「海草にはな、髪をふっさふっさのツヤツヤにする成分が含まれておるんじゃよ。食べればたちまち剛毛よ」
「またまた、その魔導書の効果か何かだろう。そんなうまい話」
「ここは内地じゃ、魔導書でも使わんと海草を育てられんと思ってな」
「なんだやっぱり海草育てるんじゃない。バカみたい。天下のピョートル大臣ももうろくしたものね」
「おい、リーリヤ、やめろや!!」
しかし理由を聞いてしまうと、もはや軽くその話題を受け取ることはできなかった。
俺はピョートルを庇うように彼とリーリヤの間に立つ。
そう、頭が最近涼しい俺には、他人事には思えなかった。
あぁ、そう、そういうことなのね。
そういう理由なのね、分かった。
髪は人間やドワーフを問わず、生きとし生ける者の共通の悩みだからね。
そりゃ仕方ありませんわ。そして、是非聞かせていただきたいですわ。
「ピョートルさん。俺は前々からアンタは人にはできない何かをやる男だと思っていたんだ。その海草を育てるって話な、上手くいくことを願っているぜ」
「おぉ、マクシム、分かってくれるか」
「ちょっとマクシム、アンタ」
すまんなリーリヤ。
今回ばかりは俺も大臣の味方だ。
頭の寂しさを感じてやまないお年頃なんだ。
察してくれ。
ドワーフの髭のこと、俺も決して笑えないんだよ。
男ってのはさ、どうしても、こればっかりは仕方ないんだ。
エルフと違うんだよ、ドワーフも人間も。
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