第11話 合わせ鏡の中の大天使【ほのぼの】

「ちょっとマクシム。一人で勝手に行かないでよ、はぐれたらどうするのよ」


「首輪に紐つけて引っ張っておいてそういうこと言います」


「仕方ないじゃない。だって、この部屋よ。貴方とはぐれてしまったら、私、どうやってここから脱出すればいいっていうの」


 いかにもエルフ。

 その典型例から洩れない自己中心的な性格。

 高慢ちきで高飛車な生意気娘。


 そんなリーリヤ女史が、びくびくと体を震わせている。

 更に、隣を歩いている俺の袖を心もとなく引いている。


 もう片方の手で首輪のリードも握られているが、そんなことは些細なこと。

 中々お目にかかれない光景だ。


 更にそんな珍エルフの姿が、俺の視界――三百六十度、ありとあらゆる場所に広がっているから、これはまた壮観というもの。

 色々な角度から、この怯えるエルフの小娘の姿を楽しめるとは。

 俺も男だ、妙な嗜虐心がそそられる。


 とまぁ、そんなことはさておいて。


 ここは第四十一書架。

 鏡の魔導書を収めた部屋である。


 古今東西、鏡というのは魔術道具によく使われるものだ。

 未来予知。読心。あるいは呪術。

 鏡の魔導書は、そんな鏡を使った多種多様な魔術について記したものである。


 となればまぁ、お察しだ。

 他の魔導書架と同じく、その漏れ出した魔力は――部屋全体にひしめき合うほどの多数の鏡を作り上げてくれる。


 そんな訳で、ここ第四十一書架は、合わせ鏡のホラーハウス。

 左右どころか上下まで。見渡す限りに鏡がひしめき何処が天地か分からぬようなそんな状態になっている。

 迂闊に入り込めば二度と出てこられない。

 そんな少し危険な書架室であった。


「鏡による次元拡張だっけか。次元と知覚が歪むせいで、正常に転移魔法が使えなくなるってのは怖いもんだな」


「鏡の魔術の真骨頂は封印だからね。東洋の国には、筒の中に鏡を貼り合わせて、鏡合わせの結界を造り、その中に悪魔を封印して使役する――という秘儀があるそうよ」


「はぁ、上手く考えたものだな」


「こちらでも悪魔を封印する魔術に使ったりするけどね。ただ、どれも悪魔との契約から逃げるためのもので、閉じ込めて使役するなんて。とてもじゃないけど考えつかないわ。変態よね、東洋人って」


 そんなもんかね。

 悪魔をどうこうしようって発想が、もう魔法を使えない人間からしたら、変態じみている。東洋人だろうがなんだろうが変態という感想しか湧いてこないのだが。


 魔法使いの考えることは本当によく分からん。


「で、そんな鏡の魔導書を、いったいどうして、お妃様はご所望で?」


「なんでも質問に答えてくれる鏡――問いの鏡っていう魔法があるんだけれどね。それを今度の夜会で使いたいそうなのよ」


「なんだそれ。世界で一番美しいのは誰ってか」


 そんなの聞くまでも自分じゃないのは明らかだろう。

 王妃も今年で結構な歳だ。娘ももう結婚かというくらいに色気づいてきている。

 だっていうのに、何をそんなアホくさいことをしようとしているのか。


 すると、静かにリーリヤが首を横に振る。


 なんだ、そういう使い方をするんじゃないのか。

 だよな、流石にそんなしょうもない理由で、俺達を動かさないわな。


「夜会で集まった公爵夫人たちと、国で一番の名産品の産地を当てるゲームをするんだって」


「さっきのと甲乙つけがたいくらいにどうでもいい理由だな」


「娯楽に飢えているのよね、お妃様も。まぁ、知的な遊びなだけまだ救いがあるわ」


 確かにな。


 血の池だとか、なます斬りだとか、尻の穴から串刺しだとか、残虐な嗜好に走る王族も他所の国には多いと聞く。


 その点、ウチの王様にしろ王妃にしろ、残念なことはあっても失望するようなことはしないのがせめてもの救いだ。それはおおいに臣民として励みになる。

 ただ、本当に、もう少しだけ、臣民の使い方を考えて欲しい。


 いや、司書の使い方を、か。


 なんてやり取りをしているうちに俺の鼻が匂いを嗅ぎ取る。

 俺とリーリヤは目的とする魔導書がある場所へとたどり着いた。


 他の場所と変わらない鏡張り。

 天地の感覚が曖昧にになっている。けれども、なんとかその気配を匂いから嗅ぎ取って、魔導書が眠る場所に向かって、口の中でくゆらせたタバコの煙をはきかける。


 見る間に、前面の鏡が収縮して本に変わった。


「ほい、おしまい。それじゃさっさと帰るか、出口の匂いは、っと」


「ねぇちょっと、マクシム、あれ、ちょっと見てよ」


 あれ、とは、と、オウム返しに俺はリーリヤに尋ねる。

 すっと伸ばした白い指の先にあるのはやはり鏡。


 ――かと思いきや。


「なんだあれ?」


 そこにあったのは不思議な光景。


 鏡張りの部屋の中にあって、何故だか、一つだけしかその姿を持たないモノがいる。しかもそいつはこともあろうに、大きな大きな翼をはためかせて、宙を浮いている。

 白鳥のような純白の白い翼だ。体は隣に立っているエルフ女が霞むほどに美しい乙女の格好をしている。そして、巨乳。どたぷんと巨乳。


「うぅん、困りましたね、困りました。いったいどうすればここを出られるのでしょうか」


 極めつけ。

 なんとも神々しい姿をしていながら、顔は困り果ててしょげてい。


 そんなよく分からないものを突然目にしてしまった、俺達の混乱たるや。

 お分かりいただけるだろうか。


「……なぁ、リーリヤ」


「なぁに、マクシム」


「悪魔と同じで、天使って奴も、鏡の魔術で捉えられるのか?」


「分からないけれども、罰当たりな行いには違いなさそうね」


「言っちゃなんだが、あれも魔道書なんだよな、本物じゃないんだよな」


 困りましたね、困りました。

 そう言って、頭の輪をふらふらと左右に揺らして、落ち着きなく飛ぶ天使っぽい乙女。

 本の見せる幻にしては、随分と仕草が人間じみている。

 いや、天使が人間染みているかなんてわからないのだが。


 まさかあれ、本物の天使とかじゃないんだろうか。


 人間くさい仕草を本物と取るか、ニセモノと取るか。

 当然ではあるが、生まれてこの方一度たりとも天使という奴に会ったことのない俺には、どうにも判別がつかないのだった。


 顔を合わせて、こちらも困ったことになる前に。


「見なかったことにしましょう、マクシム」


「……あぁ。俺たちの目的は別だものな」


「触らぬ天使に祟りなしよ」


 俺とリーリヤは、そっと近くにあった鏡をずらす。

 そして天使の視線からそっと身を隠した。


 うん。

 きっと本物なら、やんごとなき神の御力でもって、自力で帰ってくれるよ。

 大丈夫だ、俺たちが関わるようなことではないさ。


 図書館の魔導書架に、天使が囚われているだなんて、そんな罰当たりなことはないんだ。うん、きっと、何かの間違いなのだ――。


「……うちの国がここ最近平和なのって、もしかして、アレのせいとかかしら」


「まさかそんな。魔導書の幻か、あるいはただの通りすがりの天使だろう」


「天使が魔導書化を通りすがるものかしら」


 分からん。

 分からんけれど、そういうことにしておこう。


 ほら、たぶん天使も、いろいろ鏡に聞きたいことがあるんだよ。

 世界で一番うちの神様が偉いのかとか。

 きっとそういうのが聞きたくなって、やってきたんだよ。


 そりゃそれで天使にしては信心足りないんじゃないのって気もしないでもないがさ。

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