第40日 終末暦6531年 4月9日(土)(推定)

 終末暦6531年 4月9日(土)(推定) ??? ウミウシガメのスープ


 目を覚ますと電波塔が目に入って、自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。でも、湿った感触ですぐにクジラの中だと思い出した。湿って、生臭くて、ブニョブニョとした床(?)の上でよく眠れたなと思う。あまり寝心地が良かったとは言えなかったけど、少なくとも休むことはできたので良かった。時間帯は分からないけれど、たぶん、日付は変わっているに違いない。というわけで、日記上の日付はひとまず9日にしておくことにした。


 寝る前に決めた通り、カンテラが灯る道をひたすら進んだ。道は大きな洞窟のような下り坂になっていて、妙な具合に脈打っていて正直言って気持ちの悪いものだった。途中、建物の残骸のようなものがいくつも落ちていたけれど奥に進むにつれてそれは減っていった。

 歩くたびに、肉の筋(?)のようなものが足に引っ掛かって歩きづらくて仕方がなかった。バランスを崩して、突起物(?)に手を突くとベタベタと液体が付いた。それでもどうにかこうにか大鎌を杖にして下っていく。鎌をこんな風に使ったのは初めてだ。本来、鎌は斬るためのもので、記すためのものである。

 道は時々曲がったりカーブがあったりはしたけれど、下り坂なのは変わらなかった。そして、カンテラはそれをずっと照らしていた。マントで口と鼻を覆いながら私は道を進んだ。

 このカンテラがなかったらと考えると恐ろしくて堪らない。きっと真っ暗な中でこの湿り気や臭いと向き合わなければならなくなるんだ。

 こう書いてみると、おかしな話だ。

 雨が怖くなくなった私なのに、結局別のものが怖くなっている。


 時間が分からなかったのでどれくらい歩いたか分からなかったけれど、とにかくかなり長い時間歩いていると、道がいきなり狭くなるところに差し掛かった。それまでかなり広かったのに、道の先が私のような小柄な人がひとり通れるかどうかというような穴になっていたのである。その小さな穴の両側にはこれまでとは違うデザインのカンテラが一つずつ置かれていた。それまでの簡素なものとは違って、ツタが絡まるような細工の持ち手があって、中では青い炎が燃えていた。そして何より、そのカンテラはただ置かれていたのではなく、置かれていたのだった。あまりに長いこと歩いていたので、それが女の子だと分かるまで少し時間がかかってしまった。

 右の女の子は白いブラウスに水色のスカート、首から懐中時計を提げていた。

 左の女の子も同じ格好で、首からバターナイフを提げていた。

 そして、二人とも髪をおさげにしていて、両目に包帯を巻いていて、椅子の足元にウサギの着ぐるみの頭だけが置かれていたのだった。

 見覚えのあるウサギに私は”あっ”と声を上げた。すると、右の女の子が私を見るように顔を上げた。

「Aさん、Aさん、人が来ました。先生にお知らせした方が良いでしょうか?」

「Bさん、Bさん、知らせならです。それにきっと先生はもうご存知でしょうね」

”それに人は人でもただの人ではないみたいですよ”と、Aさんと呼ばれた左の女の子が言った。そして、彼女も私の方に顔を向けた。口元は笑顔を浮かべていた。

「こんにちは。貴女がどこにいるのか教えて?」

 妙なことを訊かれた。

「私はここにいます、よ?」

 我ながらこちらもおかしな返しだ。困っていると、今度はBさんがクスクスと笑い始めた。

「そんな困った顔しなくても、大丈夫よ。だって、私たちはクラスメートなんだから。何も遠慮することはないの」

「あの、じゃあ、質問していい?貴女たちはどうしてこんなところにいるの?」

 彼女たちの勢いに飲まれる前にと、私は質問をした。

「ここはクジラの中なんでしょう?外は?出口はどこにあるか知っている?あと、このカンテラは貴女たちの?このウサギも貴女たちのものなの?」

 一つ口にすると、色んな質問が口をついて出て来た。正直、人がいて安心したというのもある。しかもそれが同い年くらいの女の子だったのだ。ウサギの頭を持っているという点は少し引っ掛かったけれど、それより安心の方が遥かに勝っていたのである。

 私の質問攻めにBさんは”しー!”と鋭く言った。

「質問するときは手を上げなくちゃダメよ。それと、授業に関係のあることでないと怒られてしまうわ。それ以外は、休み時間に職員室に行って、先生に直接訊かなくちゃ」

「でも、今遠慮はしなくて良いって……」

 相変わらず笑顔の二人に私は口ごもるしかなかった。

「Aさん、Aさん、この子、困っています。困ってほしいわけではないのに」

「Bさん、Bさん、そうですね。こちらも困りました。困りました」

 どうにもこの二人はおかしかった。一見、そっくりでまるで双子のようであるのだけれど会話をすればするほどそうではないことが分かって来たのだ。

 二人は外見が全く同じで、声も喋り方も違いがない。そして二人とも、使い見どころが一切ない。まるで、空に浮かんでいる雲のように形がなくてふわふわとしているようなのだ。ふわふわしすぎていて、似ているように見えるのに似ている部分が見つからない。つまり、二人はそもそもそっくりでもなければ、双子のようでもないのである(注:ここまで書いて自分でもよく分からなくなってきた)。

 ”双子だって、少しは個性に違いが出るものね”と考えながら、彼女たちを見たところで、自分の考えにうっすら既視感を覚えた。この子たちのようにふわふわとした二人じゃなく、"双子"というものを最近どこかで見たような……。

「私たちは友だちよ。友だちなのよ。だから、お揃いってだけなの」

 Bさんは私の疑問についてそう答えた。そして続けて首から提げていた懐中時計を私の方に掲げた。

「ところで、今何時か教えてくれないかしら。私たち、目を失くしてしまったから」

「たぶん電車で落としたのだと思うのだけどね」

 二人で言い合いながら、AさんとBさんはクスクスと笑った。

 私は時計を見た。文字盤はひどく汚れていたけれど読めないほどではなかった。けれど、中で動く針はでたらめに動いていた。反対回しになっていたり、いきなり大きく動いたり……。

「これ、時間は合っているの?」

「合っているわ。せっかくバターを塗ったんだもの。間違っているはずはないわ」

「そうね。合っているわ。紅茶でふやかしたもの。間違っているはずないわ」

 自信もってそう言われてしまえば、こちらもどうしようもない。そもそもバターを塗って紅茶でふやかすなんて、時計にやっていいことじゃないと思うのだけど。

 とにもかくにも、私は時計をもう一度見た。

 でたらめに動く時計は時刻だけじゃなくて、ひと際太い針で日付も示しているようだった。他にも盤上に月や太陽のマークがあって、別の針が月の方を差していた。それによれば、

「4月9日、土曜日。時間は夜の7時くらい……だと思う」

「それならお夕飯にしないとね」

「そうですね。お夕飯にしないとね」

 Bさんが自分が座る椅子の下に手を突っ込んだ。スカートに隠れて見えなかったそこから、大きなお鍋が出て来た。何故か、すでに湯気が立っていた。

 Aさんも椅子の下から器やスプーンを取り出した。二人は椅子を寄せ合って、スープをよそった。目が見えないのにとても器用だった。

「ウミウシガメのスープはお好き?」

「食べたことない、かな……そもそもウミウシガメなんて知らない」

「美味しいわよ。体も温まるし。食べて」

「い、いただきます……」

 Bさんに差し出されたそれは、確かに美味しそうに見えた(注:実際、美味しかった)。黄金色のスープの中にはニンジンやダイコン、カボチャなどたくさんの野菜と鶏肉のようなものが入っていた。

「この鶏肉みたいなのが、ウミウシガメ?」

 それをすくって二人に尋ねると、二人はクスクス笑い合って

「Aさん、Aさん、鶏肉は鶏肉ですよね」

「Bさん、Bさん、そうですね。鶏肉は鶏肉ですよね」

 と言った。

「でも、これはウミウシガメのスープなんでしょう?」

 よく分からなくてそう尋ねると、Aさんがスープを口に運びながら

「そうよ」

 Bさんがスープを飲み込んで

「でもウミウシガメのスープにウミウシガメなんて、入っているわけないでしょう?」

 と口々に言った。


 後片付けなどをして(注:と言っても、椅子の下に全部入れるだけだった)、懐中時計が9時を指すと同時に二人は椅子の上で寝てしまった。

 仕方がないので、私も二人のそばでマントにくるまって寝ることにする。というか、それしかない。

 よく分からない二人だけれど、誰もいないよりはずっと良い。

 次の日起きたらいなくなっていた、なんてことにならないように祈るばかりだ。

 もちろん、今一番そばにいてほしいのはトキノだ。それは変わっていない。知恵水槽のテリトリに行きたいのに、こんなクジラの中にいるなんて。本当にこの先どうなってしまうんだろうか。


 追記:結局、ウミウシガメのスープは、ウミウシガメのスープじゃなくて鶏肉のスープだったということだろうか。だけど、名前はウミウシガメのスープであって、鶏肉のスープではない。つまり、やっぱりウミウシガメのスープなのだろうか。でも、そうするとBさんが言っていたことがおかしいということになってしまう。それは何だか失礼なような気もするのだ。だから、鶏肉のスープかもしれないけれど、実はやっぱりあれはウミウシガメのスープだと思うしかなくて。だとすれば、あのスープは正確に言えば”ウミウシガメのスープであるべきと考えるべきもの”と呼ぶべきものなのかもしれない。

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