第83話 あのレシピ

 先日、長男が隣のお家のお兄さん(3歳と4歳上のお兄さん二人)のところに遊びに行きまして。お昼に帰ってきたと思ったら、お昼ご飯をすでにご馳走になった、と言うんですよ。(それでまた再び遊びに行った)


 それでね、私はお礼としてパウンドケーキでも焼いて持っていこうかな、と考えたわけなんですね。


 パウンドケーキなんて私、今までの人生でくさるほど作ってきているんです。

 もう失敗する方が分からない、ていうくらいにね。もともと失敗しないお菓子ですけれども。

 この間まで作るときに使っていた家の材料がかなり古くてですね。ベーキングパウダー(ふくらし粉)なんですが。あまりに古くて、生地がふくらませる効果が少ないといいますか。だから、それを見越したうえで今まで私は分量大目に入れて作っていたんですね。

 それを、前回に使い切ってしまったので今回はおろしたての新品ベーキングパウダーを使用したのですが。

 この日はね、休日で久しぶりに天気がいい日でしたんで朝から三回洗濯機回して、布団全部干して、ずっとしようしようとしていた掃除を一気にして、ちょっと疲れて投げやりになっていたといいますか。

 新品のベーキングパウダーだっていうのも忘れていまして。

 もう、本当に妖怪のせいだとしか思えないんですけど。……疲れていたんですね。


 言い訳をつらつらと並べていますが早い話、私、パウンドケーキをつくろうとしてベーキングパウダーを通常の量の入れてしまったんですね。


 異変はすぐに気が付きました。

 すべての材料を混ぜ終えた生地を型に流し込もうとしたとき。


 ……なに、これ。

 今まで見たこともない生地になってるんですけど!

『ねるねるねるね』のような状態になっている!


 やばい? ベーキングパウダーいれすぎた?


 かすかな不安を抱きながらそのまま型二つ分をオーブンに放り込み、あわててボールにのこった生地を指ですくってなめてみます。

 かすかにからい、炭酸の味。(私、実はこのかすかな炭酸の味、好きなんです)


「ちょっと、お母さん、これなめてみて。アカンと思う? ベーキングパウダー入れ過ぎたかも」


 近くにいた母に頼んでみました。

 なめて、こう答える母。


「……いや、許容範囲やろ。大丈夫や。『551の豚まん』の皮もちょっと辛いで。ウチ、あれ好きやし」


 いや、ウチもあの豚まんの炭酸の辛い味、好きやけど。それとこれとはちゃうし!


 ふりかえってオーブンの中を見た私は思わず悲鳴が出ました。


 きゃあ! 

 グレムリンが生まれそうな光景になってる!


 ぼこぼこぼこ、という擬音の表現がふさわしい生地の表面が膨れ上がり、みるみるうちに型から浮上し、漏れ出しました!


 後ろからのぞきこんだ主人が爆笑しました。


「大丈夫なの、それ? 右はあふれてないけど、左はどうするの?」

「……き、きれいに端を削ったら、さ、様になるやろうか?」


 はい、このときは私まだこの作品を人様に差し上げるつもりでおりました。


「なんで側面ないんだろう、て思われない?」

「……」


 こんな状態、今まで見たことがない。

 今までの人生でこんな大失敗したことない。

 以前の仕事で調理に携わっていた人間だとは思えない失態です!


「あんたが前に作ったスフレ、みたいになるんとちゃう?」


 母がオーブンの中をのぞきこんで言いました。

 スフレ。グレープフルーツの果汁を入れたレシピで以前つくりました。

 泡立てた卵白でふくらませた、ふわふわした食感と香りを楽しむお菓子。

 あれは小麦粉ほとんど入ってなかったし。スフレのようにはもちろんなりえないでしょう!


「ちょー、〇〇ちゃん、ベーキングパウダー入れ過ぎたらどうなるか調べて!」


 スマホをいじっていた主人に頼みました。

 さっそく調べてくれた主人。……いきなり笑い出しました。


「なに? どうなるん?!」

「いや……いっぱい、出てきた」


 検索で「ベーキングパウダー 入れ」まで文字を入れたところで、ずらーっと、「ベーキングパウダー入れ忘れ」「ベーキングパウダー足りない」「ベーキングパウダー入れ過ぎ」……との文章が出てきたとのことです。


 全国のオーブンの前で不安にかられ、あわててスマホで検索する皆さんの姿が思い浮かびました。

 皆さん、一緒やな!


「……苦味が出る、て書いてある。入れ忘れたら、ふくらまないだけ」


 入れ忘れたらふくらまない、のは分かる。

 苦味か。……味見をしてから、お隣さんに渡す渡さないは決めるとしようか。


 ふりかえってオーブンに目を戻した私は目を見開きました。

 今度は、しぼんでいってる!

 限界までふくらんだ生地が今度は急激にしぼみ始めました!


 型の半分より下の位置まで下がっています。


「……入れ過ぎたら、一気に泡が出て生地が固まる前に全部泡抜けるんとちゃう?」


 母が言いました。


 完全なる失敗。

 どうしよう。

 お隣さんにはもう渡せない。

 あとは、家族がなんとか食べれる程度の代物におさまっているかどうかです。

 苦味だけは出ませんように。


 生地も半分の厚さになり、焼き色もつき、完全に火がとおったと思われるので早めにオーブンから出しました。

 興味津々で母が天板にもれだした焼き色がついた生地をはがして口に入れました。


「……美味しいで。これはこれで」


 母の言葉に私もおそるおそる生地をはがして食べてみましたら。

 苦味、ありません。ほっとしました。

 サクサク、とした感触。濃厚なバターの風味。

 美味しい、かも。

 いえ、それよりもこの味、何かを思い出します。


「これ、アレに似てない?」


 母と目を合わせました。


 ……鎌倉銘菓、は〇サブレ!

 もう少し、塩を入れれば多分、そのものになったはず。


 ――は〇サブレのレシピ、ここに見つけたり!――




「ちょー、〇〇ちゃん、〇とサブレになったわ!」


 外でジャイ子と遊んでいた主人に早速、報告しに行きました。

 味見しに家に入った主人。


「うん、これ、美味いよ。……ジャイ子に食べさせてみたら。正直に反応してくれるよ」


 確かに。ジャイ子はお世辞が言えるわけもなく、美味しいものしか食べないグルメな子です。

 主人の言葉にジャイ子に素直に渡してみましたら。


 手に持った生地を口に頬張るなり、くしゃ、と顔をゆがめました。


「おいち」


 成功やな!

 とりあえず、結果オーライ!


 結局、お隣さんには渡さずに家族で食べましたが。

 今度、は〇サブレが食べたくなった時は、このレシピの生地を天板に薄く広げて焼けばいいんやな、と思いました。


 皆さん、覚えられました?

 あの鎌倉銘菓のレシピというものは、パウンドケーキの材料をベーキングパウダーを約二倍以上に増やして焼く、というものだったんですね!

(本来はベーキングパウダーいらないんじゃないか? とも思いますが)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る