第六幕『ふたつめの夢』


 それが何か分からない。ただ漠然とそれが僕を包んでいた。とろりと質量を持った霧のようにも、どろりと重い沼の水のようにも感じた。不快感もあるが、強烈な嫌悪は感じない。


 僕の背をぽんと叩き、一人の男が僕を追い越した。深い森の木漏れ日を思わせる淡い緑の髪を風になびかせた男。そうだ、このとろりとした空気は潮風だ。僕は今、船の上にいる。この男、ラースの船にいるんだ。僕は海賊になったんだ。親の言う技術者としてのしがらみを断ち切って、ラースの手を取って、僕は自由になったんだ。


 大海原を行く船の揺れの心地よさ、風を切って進む帆船の勇ましさ。潮風の不快感に慣れた頃、遠く見渡す限り続く海の雄大さを知った。目的のための手段を問わない海賊のやり方は僕の性にも合った。奪い、殺し、欲しいままに金品も命も手にする。力こそ全て。僕の望んだ世界。彼と共に往く世界。


 先を行くラースから振り返って足を止めた。

 いつものように豪快に笑った彼が、不意にその笑顔を悲しげに歪めた。彼の手が、その銃を手にする。


 そして、自身の右のこめかみを、撃った。


 同時に僕の左側頭部にガツンと衝撃が走り、パキンと硬質な何かが割れる音がした。微かに、あるじさま、と声がした。

 僕とラースは鏡写しのように同じ方向に倒れた。長い緑の髪がたなびいて、まるで尾を引く彗星のように彼の姿が海に消える。同じように僕も海に落ちた。


 がぼん、と水面が大きな口を開けて僕を飲み込む。動かない体が水に包まれて静かに沈んでいく。流れる血がまるで水中花のように咲き誇り、キラキラと砕け散った鉄鳥の羽が光を反射する。そんな中、僕の視界の端に揺らめく緑の髪が見える。ああ、ラース。流石魔弾の二つ名を冠した男だ。一発で僕まで葬ろうなんて、流石とした言いようがないよ。


 僕が裏切る可能性をアンタは見抜いていたって所だろうな。だけど何故、何故アンタまで命を絶つ必要があった。何故だ。誰よりも海賊として名を上げようとしていたアンタが。誰よりも生きる事にずる賢かったアンタが。どうして、どうして自ら命を絶った。


 ごつん、と深い深い水底に僕らは沈んだ。ああ、何だそう言う事か。見ろ、彼の船が、エリザベート号が沈んでいく。船だけじゃない。みんな、船医マルトも情報屋レヴも、副船長エトワールも、クラーガ隊も、みんな、みんな、沈んで逝くじゃないか。


 僕らの航海は、終わったのか。

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