第7章 名前を呼ぶ(4)
中庭での戦いは熾烈を極めていた。むせかえるような血の匂いの中、生き残れなかった者が累々と屍をさらしている。それは革命軍の人間の方が多かったが、毒蛇の姿も無い訳ではなかった。
とはいえ、圧されているのは、訓練された毒蛇に比べて戦闘経験が圧倒的に少ない革命軍の方である。
反逆者を狩り尽くすつもりだろう毒蛇は、物陰に隠れてケヴィンの治療をしているレジーナの姿をも見逃しはしなかった。飛びかかって来る黒い影を待ち受けようと、レジーナは腰の守り刀を抜く。
だが、彼女がそれを振るう必要は無かった。
「退け」
背後からかけられた冷徹さをこめた声に、毒蛇がびくりと身をすくめ振り返ったのだ。
毒蛇が剣を持つ手をつかんで止めていたのは、やはり黒服の毒蛇だった。鋭い三白眼が強く印象に残る。
彼が手を離すと、毒蛇はよろめきながらも膝をつき頭を垂れる。わずかに肩が震えているのを見て、また、続けられた会話を聞いて、レジーナは彼らの力関係を悟った。
「ゾラ・イグ。我らの使命は、王家に仇なす者をいかなる手段を持ってしても排除する事。それを何故」
「その王家の正しき後継者が戦を止めよと命じられた。ぬしも剣を引け」
王家の正しき後継者。その語を耳にした瞬間、レジーナは鳥肌が立つ思いをした。思い当たる人間は一人しかいない。彼が戦いを止めるよう、このゾラ・イグという毒蛇と言葉を交わしたというのか。
一触即発だった出会いから、感情的に突っ走るだけだった今までの少年の姿を思うと、いつの間に彼はそこまで成長したのだろうと驚く。そして同時に、きっとパリィのおかげだろうと感慨深くなる。
「しかしゾラ、メティラ様は……」
「我らが従うべき主は誰か。オズ・クルか。イルザ王か」
戸惑いながら言いさした部下を、ゾラ・イグがぴしゃりと黙り込ませる。
戦意を押し込めて剣をおさめ額づく部下を一瞥すると、彼は背の高い身体を縮こめるようにしてレジーナの傍にかがみ込み、
「これを」
と、彼女の手に液体の入った小瓶を握り込ませた。
「毒を制する方法は毒蛇自身が知っておるゆえ」
それだけでレジーナは小瓶の中身を理解した。応急処置である程度の毒は吸い出したものの、傍らのケヴィンは熱が上がり始め、意識が朦朧としてきている。
「ありがとう」
三白眼をしっかと見返して礼を言うと、ゾラはほんの少しだけその目を細めた。
「……まさか、毒蛇に助けられる日が、来るとはね」
小瓶の中身を口に流し込むと、力無く視線をさまよわせながらもケヴィンが憎まれ口を叩く。だが、ゾラはそこに秘められた嫌味を全く意に介さない様子で、あっさりと返した。
「我らの王が人の死を望まぬならば、我らはそれに従うまで」
彼が王と認めたその少年は今どうしているのか。レジーナが視線で問いかけると、ゾラはこちらの意図を正確に受け止めてくれたようだ。
「彼の方は、この国を変える最後の戦いへ臨まれている」
神妙な面持ちで毒蛇は言い、いや、と訂正した。
「彼の方にとっては、これが最初の戦いとなるのだろう」
容赦無く浴びせかけられる雷撃の前に、デュルケンは床にはいつくばり、飛びかける意識を現実に繋ぎ止めるだけで精一杯だった。
パルテナの攻撃には躊躇も手加減も一切無かった。水晶髑髏の両眼が光る度、黒い雷がデュルケンの身を叩く。
「あはははは、いいざまだよ、風詠士!」
メティラの金切り声が聞こえる。
「オズ・クルの積年の恨み、こんなものでは足りやしない」
最早狂っているのではないかと思われる声色で、「ああ、我らが王よ」彼女はパルテナに――正確には少女を依代にしたリガ・ゲルニカに――呼びかけた。
「イルザに与えられた屈辱を、この風詠士に返してやってくださいませ! 死んだ方がましだと思われる程に苦しめて」
だが、彼女は己の懇願を言い切る事ができなかった。ぱん、とひときわ大きな雷音が響いた時、身を硬直させて崩れ落ちたのは、デュルケンではなくメティラだった。
「うるさい」
頭から床に叩きつけられ、信じられない、と目を見開くメティラに向けて、パルテナの声でパルテナではない者が、心底鬱陶しそうに言い放つ。
「オズ・クルを名乗る価値も無い俗物が、我に気安く口をきくな」
傲然と。オズ・クルの王は己が民を切り捨てた。
「そ、んな」
鼻から耳から血を流しながら、メティラが驚きと怒りのあまりに全身をわなわな震わせる。
「私、が、あなたを、復活させたのに。ミ・ルラを、見いだしたのに」
「お前ごときのくだらぬ振る舞いなど無くとも、我はいずれ再びこのエス・レシャに蘇る運命だったと知れ」
狡猾に立ち回りミナ・トリアを混乱させて来たオズ・クルの女は、絶望に打ち震えながら白目をむいて突っ伏した。
それをつまらなそうに一瞥し、パルテナの視線はデュルケンに戻る。
「風詠士。憎きイルザの血族に、死を」
感情の一切こもらない冷たい声が少女の口から発せられ、水晶髑髏がその眼前に掲げられようとする。次に雷撃を食らったら身体が保つかどうか、流石に自信が無い。
だが、その手がぴくりと震えて中途な高さで止まった。何事か。訝むデュルケンの耳に。
「……デュー」
パルテナの声が届いた。
はっと少女を見つめる。黒に染まった瞳が揺れ、そしてデュルケンを見返す。その視線は、殺意に溢れる冷たいものではなかった。
「デュー」
その声は、死を宣告する無情なものではなかった。
「……やだ」
パルテナは、水晶髑髏をかざす手を反対の手で押さえて下ろそうとした。
「ミ・ルラ」同じ口が苛立たしげに言葉を発する。「邪魔をするな」
「ぜったいに、やだ!」
パルテナが――そう、パルテナ自身の意志が、リガ・ゲルニカに精一杯の反抗を示していた。
「デューが死ぬのはいや。それがパリィのせいなのは、もっといや!」
ふたつの相反する心がぶつかり合い、パルテナの身体ががくがく震える。瞳からぶわっと涙が溢れ出す。
泣くな。
デュルケンは己を叱咤して、いまだ痺れの残る身体を必死に起こした。ふらつきながらも、一歩一歩前へ踏み出す。
「……泣くな」
泣かないで欲しい、自分のせいで。
その涙を止める為ならば、自分の身などどうなっても構わない。感覚の遠ざかった両腕を懸命に伸ばす。
パルテナの意志を乗っ取ろうと、リガ・ゲルニカが呪詛の言葉を吐きながら水晶髑髏を振りかざす。黒の雷が視界の端に光るのを見た瞬間、デュルケンは走り、
「――パリィ!」
初めて真正面から少女の名を呼び、飛びかかるように彼女の身体を強く抱きすくめた。
瞬間。デュルケンを中心に凄まじい勢いの風が吹き出し、雷を弾いた。
だがそれは、今までのように誰かを傷つけたり、周囲のあらゆる物を破壊したりするような凶暴さを帯びてはおらず、温かい優しさをもって辺りに満ちる。
水晶髑髏がパルテナの手を離れ、空中で甲高い音を立てて砕け散った。
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