第88話

――ポロロン。

 最初はゆっくりと静かに、穏やかに、それでいてどこか物悲しかった。それがやがて少しずつ色を変え、神秘的なものへと移っていく。

 これがレグスの弾く曲。セセリナの為に奏でる一曲であった。

 そう、これは彼女の為の物。彼女がこのフェスタ・アウラの石台の上で踊る為の曲なのだ。

「あ!!」

「おい!! なんだあれ!!」

「あんな子いつの間に!?」

 レグスの曲に心奪われていた村人達の前に、突如、朧げな青の光りに包まれた少女が現れる。

 彼女は人々に軽く微笑むと、石台の上でレグスの弾く曲に合わせ踊り、舞い始めた。

 月と星の光りに淡くとけてしまいそうな白肌の手が伸び、足は羽のように軽やかに石台を踏みリズムを刻んでいく。

 それは婉美でいて華麗さも持ち合わせ、気高く、愛おしいものだった。簡素でありながらも気品ある彼女の青白く光る衣装は、身につける肌との境界を曖昧にし、踊りをより幻想的にしていた。

 嗚呼、これほど美しく神秘的なものが、他のどこにあろうと言うのか。

 どれほど立派な宮殿に住まう王族だろうと、恐らくは目にした事もないであろう『美』。

 それほどに踊り舞う少女の美しさは格別であったのだ。月の美しさすらも、今は褪せて見えてしまうほどに。

「精霊様だ……」

「ああ、精霊様に違いない……」

「村長達の言ってた事は本当だったのか」

 少女のその姿を見ただけで、村人達は彼女の正体に気付く。だが騒ぎにはならなかった。

 眼前の美しさに皆どこまでも酔っていたのだ。

 やがてハープを弾くレグスの指が止まり、曲と一緒に少女の踊りが終わると、人々は一瞬の間を置いた後、有らん限りの拍手でその素晴らしさを熱讚した。

 満足気な表情でレグスを見る少女が言う。

「なかなかよかったわよ」

「ハープなんて久しぶりでな、怪しいところもあったがどうにかなった。大任を果たせて一安心だ」

「何を言っているのよ、レグス。夜はまだまだこれからよ」

「悪いが俺はここまでだ、セセリナ。続きは村の者でも問題ないだろう」

「まったくつまらない人間ね。いいわ、これぐらいにしておいてあげる」

 そうして改めて、石台の上の少女セセリナは村人達に言う。

「フェスタ・アウラは夜を徹して踊り、歌うものと相場が決まっているの」

 彼女は知っている本来フェスタ・アウラが遺跡の名などではなく、ここで開かれる祭りの名、そのものであった事を。そしてかつて人々がここでどのように夜を明かしたのかを。

 遥か昔、記憶の彼方へと去ったはずの夜をセセリナは望んでいた。

「あなた達も今日ばかりは明日の仕事なんて忘れなさい。さぁ、踊るわよ、歌うわよ」

 古き精霊はそう言いながら石台からふわりと浮くように降りて、目の前にいた幼い少女の手を取り、またふわりと浮いて彼女と一緒に石台の上へと移動した。

「精霊様?」

 少し不安そうな表情を浮かべる幼い少女にセセリナは優しく微笑む。

「せっかくのお祭りにそんな顔をしては駄目。大丈夫よ、心のままに踊ればいいの」

「踊る?」

「そうよ、フェスタ・アウラはスティアと共に踊る為の夜。精霊と過ごす、一夜の夢」

 セセリナが指を一度鳴らす、すると独りでに楽器が曲を奏でだしたではないか。

 村の人間が誰も知らない楽曲。非常に陽気で楽しい曲。

 幼い少女から自然と笑みがこぼれる。

 そして彼女はセセリナに手をとられながら、誰に習ったわけでもなしに踊り始めた。

 それを見てぽかんと二人の姿を眺めるだけとなっていた村人達に対してセセリナは言う。

「なにぼさっとしてるのよ。あなた達もこっちに来て踊るのよ。精霊と踊れる機会なんてそうはないんだから」

 古き精霊の誘いに村人達は最初こそ戸惑っていたが、まず子供達が、そしてそれに続くように大人達も石台へ上がる。

「そうそうお祭りなんて楽しんだ者勝ちよ」

 陽気な曲に村人達も自ずと体が動いた。

 作法などありはしない。心が感じるままに思い思いに踊る。

 そして歌い、騒ぐ。

 こうして幾千年ぶりにこの地で開かれた古き精霊との宴『フェスタ・アウラ』は陽が昇るまで続いた。



 この日ボウル村の人々は時の波にさらわれ消えた、遠い日の記憶に触れた。そして彼らはその全身で体感していた。

 かつてカンヴァス大陸の生ける者達は、天界の神々などではなく、この地に古くから住まう元始の精霊達と共にあった事を。

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