異世界取材記 ~ライトノベルができるまで~

作者 田口 仙年堂

当ライトノベルにおける『異世界』は、魔法であり現実なのかもしれない。

  • ★★★ Excellent!!!

 馴染みの大型書店に行くと、ライトノベルの販売コーナーが縮小されていることに目がいった。書籍の売り上げなどの話もあり、規模の弱体化は避けられないものなのだろうか。
 
 私の中でライトノベルのコーナーを覗くことは、楽しいおもちゃばこをひっくり返すような気持になるものだった。一冊一冊のタイトルや表紙絵などから、物語を想像する時に幸福な気持ちがあふれ出る。勿論、その中でハズレをひくときもあるが、当たりを選べた時の多幸感は何事にも変えられなかった。ハルヒ、バカテス、生徒会の一存、AURA……。

 ライトノベルが今の自分の人格を形成しているといっても過言ではない。


 そう考えると、一般文芸の作家が文字で表現することに重きを置いているとするならば、ライトノベルの作家は文字で夢や魔法を作り出しているように思うのは私だけだろうか。

 作家という職業が重さを誇りや名誉に変えるとするのに対して、ライトノベルを書く修羅たちは軽さを正しさのように捉えているのだ。異世界取材記という作品は、そんなライトノベルの作家が持つ「軽さ」の極致のように感じた。

 ライトノベルの作家自身が、ライトノベルを書くために、異世界へ取材と称していこの世界との往来を繰り返しているという設定は、コメディ的にも面白いが、ライトノベルという作品が持ち合わせる軽妙さが作家自身もネタにすることを許容していることの凄さに思えて仕方がない。

 教科書に載るような文豪たちは自身の人生も、まるで自らの文言作品のようにえげつない濃度で綴るように生きる。ある作家は、ゆえに自らの命を絶つこともあったりするのだ。

 それに比べて、この作品、ひいてはライトノベルという立ち位置の幸福さはいかようだろう。嫌な現実、どうしようもない日々から逃げる為、或いは立ち向かうために没入する物語の世界へ、自身を投影するような作家というキャラクターを出すことができる。己の生きざますらもフィクションへ投下させるさせることが出来るのである。

 加えて、この物語には作家としての作品に向かう初期衝動のようなものが語られており、私のような立ち位置の人間にはざっと見で流すことが出来なくなる。読み終わると読者自身にも熱い何かが残っていることと思う。


 規模が縮小されていく今、ライトノベルの第一線を目指すことは困難なことなのかもしれない。だが、これほど、夢や魔法にあふれたジャンルを根絶やしにすることは私はしたくない。

 当作品は、異世界転生ものだ。しかし、なぜか現実の、ひいてはライトノベルことを考えずにいられなくなるのは、この物語が仕掛けた魔法なのだろうか。

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