第29話 ちょっと待って

 曇天に見えたそれは、雲ではなかった。

 まるで大量の羽虫やイナゴが発生しているかのようだ。

 空を埋め尽くすそれは、モンスターの群れ。

 それがゆっくりとダイアラン大陸に近づいているのだ。


「ミュータス! 手を出すな!」

「ですが!」

「いいか、絶対にやるんじゃねぇぞ! 俺の客だ!」


 強く言い含めて、俺はモンスターたちに手を振る。

 するとその中の一体がゆっくりと地上に降りてきた。

 見覚えがある、空飛ぶエイのモンスターだ。


「やぁ! 追いついたようだな!」


 エイの上に乗っているのは、ベルゲル将軍。

 それに――キノシタの三人の奧さん。


「奧さんまで! なんで来たんですか!?」


 ベルゲルの部下に手を引かれて、エイの背中から降りる奧さんたち。それを見届けた後にベルゲルもひらりと地上に降り立った。


「ベルゲル! 貴様ぁっ!」

「だから落ち着けって言ってんだろ!」


 飛びだそうとする勇者を羽交い締めにしつつ、俺はベルゲルを見る。

 なんでこんなタイミングでやってきたんだ。


「魔王様がこの大陸に単独で渡ったと聞いてな。心配で駆けつけたのだ」

「すみません、でしゃばりなのは分かっていますが、魔王様の事を考えたら心配でたまらなくなって……」


 ベルゲルも奧さんたちも申し訳なさそうな顔をしている。


「お前たちは……主人を心配してここに来たのか……?」


 勇者の身体から力が抜けていくのを感じた。

 彼にとって、ディルアランの人間が誰かを心配するなどありえないのだ。


「しかし勇者がここにいるとは、ちょうど良い。ここで勇者を倒せばディルアラン大陸に平和が訪れるやもしれん」


 召喚魔法で何もない空間から剣を取り出すベルゲル。

 彼に倣って奧さんやベルゲルの護衛たちも武器を召喚する。


「やめろ! 戦うな!」


 まったく、俺は叫んでばっかりだ。

 こういう時、勇者の“声”が欲しくなるぜ。

 こいつみたいに、人の心にスッと入り込める魔法のボイスがあれば、もうちょっとやりやすいんだけどな。

 そんなものを持ち合わせていない俺は、誠心誠意、真心でぶつかるしかない。


 ただし――キノシタが逃げ出した事は言えない。

 ベルゲルや奧さんの前で、主君が人質とって逃げたなんて伝えようものなら、本当に軍が崩壊してしまうだろう。


「ベルゲルさんも、ちょっと待ってくれ! 今は戦ってる場合じゃない!」

「邪魔をするのか?」

「おうよ、邪魔するさ! ケンカならよそでやれや!」

「いや……よそってキミ、よそ者はキミの方だろう」

「……そうなんだけどさ」


 いきなり出鼻をくじかれた。

 もう帰りたい。


「とにかくだ。今はそれどころじゃない。魔王が姿を消したんだ」

「ええっ!? なぜだ!?」

「あー……えっと、そもそもアイツは、JKを元の世界に送り届けるためにこの大陸に来たんだ。そこで勇者と鉢合わせてしまってな」


 なんとか上手い言い訳を考えているうちに、勇者が俺の前に出てこう言った。


「魔王は彼のお弟子さんを送り届けている最中だ。無関係の彼女を戦いに巻き込むわけにはいかないから、送り届けた後で戦おうと提案したのだ」

「なるほど……慈悲深い魔王様らしい」

「だから僕はここで待つ。戦うにしろ止めるにしろ、まずは魔王が帰ってきてからだ。お前たちも魔王の命令なしで戦ったら、後で何を言われるか分からないぞ」

「むっ……!」


 顔をしかめるベルゲル。

 しかし、勇者はもっと憎々しげな表情をしている。

 そりゃそうだよ。宿敵が目の前にいるのに、殺せないんだから。

 積年の恨みもあるだろう。


「あのな、俺は別に戦争自体を止めるつもりはねーんだ」


 俺は勇者とベルゲルたちに言い含む。


「長い歴史がある大陸同士の争いだ。俺個人がどうこうできる問題じゃねーし、どうこうしちゃいけないと思ってる。ただキノシタは別だ。あいつは魔王だけど俺の後輩だ。色々と責任をとってもらう」


 世界に干渉したのであれば、最後までやり続けるのがスジってものだろう。

 途中で投げ出すのはナシだ。

 魔王なら魔王らしく、最後まで勇者の敵でいなくては。


「てなわけで、俺は魔王を連れ戻してくる。それまで待っててくれ」

「え、待つって……ここで、ですか?」

「ああ」


 勇者は信じられないものを見るように俺に問いかける。


「え……本気か?」


ベルゲル将軍も阿呆を見るような目で俺に尋ねる。


「すぐ戻るからさ。それまでお茶でもして待っててよ」


 俺は破れかけたリュックからお茶と茶菓子を取り出す。

 お茶は玉露の粉末。お茶菓子は“東京ばな奈”の残りに“スカイツリークッキー”に“雷おこし”、それからヨックモックのシガークッキーだ。

 もうこれでリュックの中の土産もカラッポ。


 ラノベ作家はなんでもできる。

 だけど今の俺にできる事は、これだけだ。

 キノシタを連れ戻してくるまでのわずかな時間。

 そんな短い時間の平和を作るのが精一杯だ。


「まったく……作家というのは、本当に変な人ばかりですね」

「褒め言葉と受け取っておくよ」

「ですが、あなたの気持ちは分かりました。少なくとも魔王とは違うようだ。あなたが魔王を連れ戻し、全てを納得させるまで、僕も剣を収めましょう」


 剣を鞘に戻すミュータス。

 ようやく話を聞いてくれるようになった。

 この調子で魔王軍の話も聞いてくれればいいんだけどな。


「じゃあ、行ってくる。キノシタを連れて戻ってくるから」


 気まずい雰囲気の中、俺は翼を広げる。

 さっき勇者に斬られた部分がめちゃくちゃ痛い。

 だけどキノシタのためだ。痛みをこらえて空を飛ぶ。

 すると――


「先輩、何してるんですか?」


 キノシタがいた。

 召喚した鳥形モンスターにJKと一緒に乗っていた。

 JKの身体には鎖のようなものが巻き付いている。あれもキノシタが召喚したモンスターだ。縄のように伸びて、あらゆるものを拘束する生きたロープ。


「おま、キノシタ! 逃げたんじゃなかったのか!」

「そのつもりだったんですけどね。状況が変わりました」

「はぁ?」

「何もかも捨てて逃げるつもりだったんですけど、それだけじゃダメですよ。あっちの世界に帰るなら、アイデアを持っていかないと」


 キノシタは下を見る。

 そこには魔王の帰還に喜ぶベルゲルたちと、憤慨する勇者がいた。


「ベルゲル! ありがとう! 僕を助けに来てくれたんだね!」

「はっ、魔王様のためなら当然でございます!」

「うん。じゃあ、もう一働きしてよ」

「なんなりと――」


 そしてキノシタは、信頼する部下に命令する。


「勇者が目の前にいるじゃないか。殺していいよ」


 その言葉を待っていたかのように、魔王軍が雄叫びをあげた。

 全てのモンスターが叫びながら勇者に突撃する。

 牙を剥き、爪を立て、槍を構え、舌を出し、あらゆる攻撃手段をたったひとりの人間にぶつけようと走り出す。


 勇者ミュータス・ランダーは立っていた。

 俺と目が合う。

 ため息をついて――再び剣を抜く。


「さぁ、全面戦争の始まりですよ! 先輩、戦記モノって書きませんか? 大軍がぶつかるこの臨場感、いつか見てみたいと思ってたんですよ!」


 鳥の上で高笑いしているキノシタ。


「キノシタよ……じゃあ、何か? お前、ただラノベの参考にしたいからって理由で、全面戦争させたのか?」

「そうですよ? 他に何の理由があるんですか? あ、だけど実際には使えないかもしれませんね。ほら、僕、ラブコメが専門ですから――」


 ラノベ作家は面白いラノベを書くためならなんでもする。

 人だって殺す。

 世界だって滅ぼす。

 だとしたら、この行動もラノベ作家としては正しいのだろう。


「キノシタァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 だったら、俺の中で爆発するこの怒りはなんだ。

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