第14話 一方その頃

 東京某所、KADOKAWA第一三ビル。

 タバコのヤニと血で汚れた壁に、ひとりの作家が叩きつけられる。

 背中を打って崩れ落ちる彼の腹に、編集者の容赦のない蹴りが叩き込まれた。


「おい、兄ちゃんよ。勘違いしてねぇか?」


 編集者はサングラスを取り、作家の前にしゃがみ込む。

 鳩尾を蹴られて息もできない作家の胸ぐらを掴むと、顔を近づけてこう言った。


「誰がお前の好きな話だけを書いていいって言った?」

「で、でも……僕はこれが書きたいんです」


 なんとか声を絞り出す若い作家。

 そんな彼に、編集者はこう続ける。


「お前が書きたいモンなんざ知ったこっちゃねぇんだよ。オメーは編集の言われた通りに書いていればいいんだよ」

「で、でも……!」

「この業界はなぁ! 金が正義なんだよ! 儲けられないラノベに意味はねぇんだ!」


 ドスの聞いた声に、若手作家が萎縮する。


「待ちな」


 編集部の床を叩く、靴の音。

 現れたのは、キセルをくゆらせる和装の女性。

 このゴロツキどもの集団の中で、彼女だけか異彩を放っている。そもそもオフィスで和服を着ている事自体が異常である。


「こ、これは……編集長」


 先ほどまで作家を恫喝していた編集者が萎縮して、脇へ退く。

 編集長はキセルの煙を若手作家に吹きかけると、小さく笑った。


「まだ若いのにいい度胸だね。『僕はこれが書きたいんです』ときたか」

「は、はい! 僕には書きたい話があるんです!」

「アンタが書きたい話ってのは、ケンタウロス少女が主人公のラノベだったね。プロットは読ませてもらったよ」

「はい! 絶対に面白い自信があります!」


 熱意に燃える若手作家。

 しかし編集長は冷たく告げた。


「面白いかどうかは問題じゃない。そいつは売れないよ。そりゃであってもじゃない」


「な……そんな」

「特殊な性癖を売りにしたラノベは、特殊な性癖の読者にしか売れないのは分かるね? アタシたちが相手にしているのは、ノーマルな趣味の、誰もが好きになるヒロインを好む、大多数の読者なんだ」

「で、でも、マイナーなジャンルだって、読んでくれる人が」

「いるよ。絶対に読んでくれる人はいる。絶賛してくれる人もいるさ。だけどね、それは少数なんだよ」


 編集長は近くのソファに腰を落ち着けると、再びキセルをくわえ、煙を吐く。

 たったそれだけの短い時間で、若手作家も、周囲の編集者たちも黙ってしまう。


「好きなものを書くのは大事だ。作家にとって基本中の基本だよ。だけど『売る』となると話は別だ。売れない本ばかり出したら出版社が倒産しちまう。だからアタシ達は多くの読者が好む話をより売ろうとする」

「……はい」

「どうしてラノベ業界は金が正義なのか教えてやろうか。金ってのは出版社にとっての力だからさ。力がなけりゃアンタも、他の作家も助けられない。だけど、もっと困るのは作家自身じゃないのかい? さらに言えばアンタの作品を待ってる読者もだ」

「…………」

「プロ作家ってのは、文章を書いてお金をもらう人種の事だ。お客さんの気持ちを考えないとプロとは呼べないよ」


 すると先ほどまで作家を痛めつけていたヤクザのような編集者が、若手作家の肩を叩く。


「なぁ、おめぇよぅ、今度結婚すんだろ? ヨメさんも食わしてかなきゃいけないんだろ? 趣味に走ってる場合じゃねぇだろ?」

「でも……俺……書きたくて……」

「書きたい気持ちを否定してるんじゃねぇ。プロのラノベ作家としてどうあるべきか、もう一度考えろってこった」

「うっ……うっ……」

「本物のプロはな。自分の書きたい事と、売れる話を両立させるんだ。オメーの欲望を、商品に変えるんだよ」

「はい……!」

「編集だって作品がコケりゃエンコ詰める覚悟でやってんだ。崖っぷちなのはオメーだけじゃねーんだぜ」


 泣き崩れる若手作家を優しく撫でる編集者。

 そんなメロドラマのような光景に苦笑しつつ、編集長は何かを思い出したように顔を上げた。


「そうだ。今、ファンタジーの異世界に取材に行ってるアイツはどうしたんだい。あの欲望の権化のようなクズ野郎は」

「姐さん、アンタいくらなんでも作家をクズ呼ばわりは」

「勘違いすんじゃないよ。アイツはクズ野郎だけど、クズ作家じゃない。肉も果物も、腐りかけが一番美味いってね。それで、様子はどうなんだい?」

「定時連絡はしてますが……今、連絡取りますか?」


 別の編集者がケータイを取り出す。

 編集長がアゴで促すと、ゴロツキのような編集者はすぐに電話をかけた。


                   *


「もしもし」

『おう、俺だ。どうよ異世界の旅は』

「まぁ、順調ってとこです」

『今、どこで何やってんだ?』

「あー……」


 俺は周囲を確認する。

 将軍ベルゲルに案内されて連れて来られた“ディルアラン大陸”、そこの“ダーケスティア国”という場所についた俺たちがまず案内されたのが、そこの首都とも呼べる大都市。

 “デスアダー”というその町で手厚い歓迎を受けていた。


「さぁ食べてください。腕によりをかけました」


 ベルゲルの奧さんは美人だった。

 ただ、彼女が用意してくれた料理がグロかった。

 マグロの目玉のようなものがゴロゴロと並んでいる。隣の皿には血液のように真っ赤なスープ。その隣には何かの動物の内臓が山盛り。

 これがディルアラン大陸では一般的な食事らしい。


『おい、聞いてんのか?』

「はい、えっと今、現地で知り合った人妻の目玉を囓ってます」

『……おいどうした。疲れてんのか?』


 食べないのは失礼なので、とりあえず目玉を口に入れている。

 血の味とソースの味が合わさって……。


「あれ、美味い。人妻の目玉、マジで美味いっすよ」

『オイ大丈夫か!? 一度こっち戻って来いよ!』

「いや、この血とか内臓もいけますって!」

『何やってんだオイ! お前、異世界での殺しはヤバイぞ! 血の味に飢えて、こっちの世界でも殺人鬼になったラノベ作家知ってるだろ!?』

「いやー、血の味に病み付きになる気持ち、分かります」

『はぁ!? おい、しっかりしろ! 新作書くまでは正気で――』


 それだけ話すと、俺は通話を切った。

 食事中に通話はマナー違反だ。緊急かと思って出てみたが、たいした用事じゃなさそうだ。それなら今は食事に集中したい。


「美味しい……これ、すごく美味しい」


 ダイアランで虫のジュースを嫌がっていたJKも頬に手をあてて嬉しそうな顔。

 この表情はお世辞では出せないだろう。


「ほう、異世界人もこの食事はいけるのかね」


 喜んでいるのはベルゲルや奧さんも。

 振る舞った料理を美味しそうに食べてもらえば、誰だって嬉しいはずだ。


「見た目はダイアランの人と同じように、キモいと思います。でも味付けはダイアランと変わらないですよ」

「中身は同じ人間だからな。味覚も同じなのだろう」

「美的感覚だけ違うんですね」


 俺はベルゲル邸のリビングを見る。

 かなり名のある将軍らしいが、家は普通だ。一家三人で暮らしているらしく、“デスアダー”の町の住宅街にぽつんと建っている一軒家。

 リビングには防腐処理された臓物をあしらったインテリアや、食虫植物のような観葉植物、それと全体的に赤く塗られた壁。

 悪魔が住む家、と言われたら、納得するだろう。


 さらに魔王が住む町で、クェスティアにいた時のように窓から城が見える。あの城に魔王が住んでいるらしい。

 こちらも黒いレンガで作られた巨大な城で、コウモリのような鳥が周囲を飛び回っており、禍々しいオーラが見える。完全に魔王城といった趣。


 なのに、住んでいる人からはポジティブな雰囲気を感じる。

 それもそうか。

 戦争をしている魔王の国っつっても、住民は人間なんだ。仮にも王様が支配している国なんだから、常に荒廃してるヒャッハーな世界なわけがない。

 ここも魔王がきちんと統治して、まともな政治をしている国なんだ。


「ひ、ひぃぃぃ、ヤ、ヤメテ! 耳は、耳は弱いノ!」

「あははは! すごーい、頭の上に耳だー!」

「ああん……ダメなノォ……!」


 リビングの隅っこでは、アミューさんがベルゲルの子供と遊んでいる。三歳から四歳くらいの女の子だ。獣人のアミューさんが珍しいらしく、あちこちに触れている。

 耳や尻尾が弱いらしく、触れられる度に顔を赤くして喘ぐアミューさん。

 ベルゲル将軍、あなたの娘さんはさぞ立派な人物に成長すると思います。


「あなた、そろそろ……」

「ああ、そうだな。そろそろ時間だ」


 ベルゲル夫妻が何かを話している。


「異世界の作家よ。そろそろ別のお客さんが来る。キミの話をしたら、ぜひ会いたいとの事でな」

「誰が来るんですか?」


 目玉のコリコリとした感触を楽しんでいる俺に、ベルゲルはこう告げる。


「魔王様だ」

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