第297話 塩
俺は、その少女に見とれて、固まってしまった。
服装は地味な農作業用のもので、もちろん化粧などしていない。
それにもかかわらず、整った顔立ちで、初対面の俺に対して丁寧に挨拶する姿を見て、どこか上品な雰囲気を感じた。
「えっと……やっぱり、ここが奥宇奈谷で合ってるんだね」
「はい。あなたは、この村にとってお客様……でよろしいのですよね?」
「ああ、そうなるのかな? 松丸藩のお役人から、この村の様子を見てきてくれって依頼されて来たんだ。崖崩れで孤立していたから、困っていたんじゃないかな?」
「はい、それはその通りですが、なんとか生活しています……お役人様の使いの方でしたか。あの、ちなみにどうやってここまで来たのですか?」
彼女は、笑顔を絶やさぬまま、少し顔を傾けてそう尋ねてきた。
「ああ、向こうの崖を登ってきたんだよ」
「えっ……崖を? そんなことが……」
さすがに彼女は驚いた様子を見せた。
隣の少女も、目を見張っている。
「まあ、特別な道具を使ったからね……えっと、他にも村の人はいるのかな?」
「あ、そうですね、失礼しました。村の長老のところへご案内しますので……あの、まだ自己紹介ができていませんでしたね。私は、この近くの集落に住む、
「妹の、
元気にそう言ってお辞儀する。うん、なかなか礼儀正しい。
「如月に、皐月だね……俺の名前は、前田拓也。商人だよ。今日は塩を持ってきているから、後で渡すよ」
「えっ……お塩を持ってきてくれたのですか!?」
「塩っ! 本当にっ!?」
姉妹が同時に驚きと、喜びの入り交じった表情を見せた……俺が崖を登ってきたと言ったとき以上の反応だ。
「ああ。ずっと商人の行き来がなかったから、困っているんじゃないかって思ってね」
崖を登る前に、こんなこともあろうかと、現代から三キロほどだが、持ってきていたのだ。
ちなみに、ポチは崖を登るのに邪魔になると思ったので、現代に置いてきた。
「それは、すごく助かります! 村全体でも、もうほとんどなくなっていて、これからどうしようかって話していましたので……」
やっぱり、困っていたようだ。
たったこれだけのことで感謝されるんだったら、苦労してきた甲斐があるというものだ。
そんなこんなで、俺は美少女二人に連れられて、村の長老の屋敷まで案内されることとなった。
その間も二人と、ここにたどり着くまでの苦労話をしたのだが、二人とも人見知りすることなく、結構気さくに話してくれる。
特に如月は、見た目はおとなしそうで口調も丁寧なのだが、明るく陽気で、ハイテンションな優、というような雰囲気だった。
このまま他の村人達にも歓迎されるのかな、と思ったが、そう簡単に物事は運ばない。
五分ほど歩いたところで、手に槍を持った侍風の三十歳ぐらいの男二人が、血相を変えてこちらに走ってきたのだ。
そして俺たちの前で立ち止まり、
「おお、本当だ! 侵入者だ!」
と、警戒感丸出しで大きな声を出してきたのだ。
「そんな、失礼な事を言っちゃダメですよ! 前田様は、松丸藩のお役人様に命じられて、この村の救済のためにわざわざ危険を冒してまで足を運んでくれた、商人様なのですよ!」
と、如月が俺の味方をしてくれた。
「この村の救済?」
「そうです。現に、お塩をたくさん持ってきてくれています!」
「な、塩を!? ……これは失礼した。この村の掟ゆえ、我らも同行せねばならぬが、気を悪くしないでくれ」
と、この二人も態度を改めた。
まさか単なる塩が、これほど影響力を持つとは思っていなかった。
ちなみに、この二人がなぜここにやってきたのかというと、まず最初に俺に出会った皐月が、長老のところに報告に行って、たまたまそこに居た如月が、半信半疑で皐月と一緒に俺のところまで来たのだという。
ちなみに、長老は足が悪くて、あまり歩けないので屋敷にとどまった。
そこに、この二人の男達が仕事から帰ってきて、長老から話を聞いて、それで慌てて槍を持って駆けつけた、ということらしい。
俺の身なりも、なんの武器も持たない、単なる (ちょっと変わった)商人の格好だったし、何より如月と皐月が、俺と親しげに話をしていたこと、そして塩を持っているという話で、警戒を解いたようだった。
さらに十分ほど歩いて、目指す長老の屋敷が見えてきた。
なかなか大きな建物で、前田邸と同じぐらいの規模はありそうだ。
歩きながら聞いた話では、長老、つまりこの奥宇奈谷の村長に当たる人で、代々、その責務を果たしてきたのだという。
そして如月と皐月の二人は、長老の実の孫で、同居しているという話だった。
さらに長老は、いや、この集落全体が、平家の落人達の末裔であり、その血筋を守るために、ずっとこの集落にとどまっている、という事も教えてくれた。
そしてこの後、この村のしきたりに、俺自身も翻弄されることになるのだった――。
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