第203話 番外編14-最終話 紅姫様の早朝散歩
紅姫の、松丸藩士同伴拒否に、重苦しい時間が流れた。
その沈黙を打ち破ったのは、旧岸部藩士の慎衛門だった。
「紅姫様……松丸藩士の方々だけで不安でしたら、城の近くまで、私を護衛として同行させていただけませんか?」
「えっ……慎衛門が? でも……」
戸惑ったように、彼女は安親殿の方を見た。
「……姫様がそれをお望みでしたら、我々とすれば全く問題ありません。それに、例の、旧岸部藩士への三千両支援の事もありますし……元々、何名かは城下にて話をさせていただくつもりでしたので、むしろ、我々としても歓迎いたします」
松丸藩の重職である彼の言葉に、旧岸部藩士達は全員、顔を上げた。
「そ、それでは……その三千両の話は、誠だったのですか!?」
慎衛門さん、相当驚いている。
「もちろん、我々は約束は守る。そのために、紅姫様は尽力なさったのでしょう?」
「……いえ、私は……」
恥ずかしそうに下を向く紅姫。
確かに、協力はしたが、それらは半ば同輪達に脅されて、その通りにしただけだったのだ。
「……余計な事は言わなくていい……俺も、城下までご一緒させていただきます。そこまでして、始めて今回の仕事、成し遂げたことになりますから」
俺は、最初は紅姫に向かって……そして、次には全員に向かって、大きな声でそう宣言した。
「……仙人さん、本当にいいの?」
「ああ、城まで一緒に歩いて行くだけだろう? ここを抜け出るのに比べれば、ずっと簡単だよ」
俺の言葉に、紅姫は表情を緩めた。
「……儂も、その行進に参加させて頂けませんかの。一時とはいえ、姫君を預かった責任がある。同輪と英生という二人もの罪人を出してしまった責任もある」
そう名乗り出たのは、いつの間にか門から出て来ていた、小柄な老僧侶だった。
「……大僧正様ではないですか!
安親殿が、ちょっとびびっている。
この爺さん、相当な大人物のようだ。
「……こう見えても、城までは歩けるつもりですがの。そんなにヨボヨボに見えますかな?」
確かに、七十歳を超えるぐらいの歳に見えるが、しゃきっと背筋も伸びているし、元気に歩けそうだ。
「め、めっそうもない! でも、そう言う話であれば、他にも極光武寺から何名か、来て頂かないと……」
……あれ?
なんか、どんどん話が大きくなっていっている。
旧岸部藩士達、みんな自分もついて行くって言っているし……。
今のところ、俺と紅姫、安親殿とその護衛四人、旧岸部藩士が五人、あと『大僧正様』と呼ばれた人と……その護衛が四人も付くみたいだ。
これで十七人。
「……私も参加させてください。女性が紅姫様一人だけなんて、不安でしょうし、困ることもあるでしょう?」
涼から無線が入ったので、スピーカーをオンにして、みんなに聞かせる。
「私は、阿東藩主郷多部元康の一人娘、涼です。そちらの前田拓也殿とは、婚約しております。私も同行させてください」
その小さな機械から声が聞こえることに、俺と紅姫を除く全員が驚いていた。
また、彼女が阿東藩主の一人娘を名乗ったことにもまた、驚愕していた。
「……その声、確かに涼姫殿……」
「東元様、ご無沙汰しております。今回、城下までの短い旅ですが、それでも女性が一人というのはよろしくないと思います。私と、あともう一人、阿東藩の侍女がおりますので、同行させていただけませんか?」
もう一人の侍女とは、お蜜さんのことだ。
「もちろん、涼姫殿がそうお思いならば、同行して頂くことは全く問題ありません。あなたの婚約者である前田拓也殿が行くのだから、ついて行くのは道理というものです」
あっさりと了承された。
ただ彼女たちは、寺に続く長い石段の下の旅籠にいる。
準備もあるし、そこで合流するという。
松丸藩の藩士達も、旧岸部藩士達も、相当混乱している。
出てくる人物の名前が、大物過ぎる。
紅姫を救出にきた自称『仙人』が、阿東藩主の一人娘と婚約中なんてことも、たぶん初めて知っただろうし。
狼狽しているのは、紅姫も同じだった。
「紅姫様……あなたは、凄いですね。たった一晩で、これだけの縁を作ったのですよ」
と、俺は彼女を持ち上げた。
「えっ……でも、あの……よく分からなくて……」
松丸藩の重職である、東元安親殿。
極光武寺の大僧正様。
阿東藩主の一人娘、涼姫。
そして、旧岸部藩の一人娘である、紅姫。
それぞれ立場が違う、名の知れた重要人物が一同に会する。
旧岸部藩士や護衛も含めると、計十九人。
さらに俺の護衛ということで、般若の面を取った三郎さんも加わり、これで二十人だ。
このメンツが、彼女を城に送り届けるために共に、しかも夜道を歩くというのだ。
夜が明けてから、という意見もあったのだが、発端が誘拐事件だっただけに、ここは少しでも早く解決に持って行きたい、という意見が出て、それが通った。
通常ではあり得ないことが、起きていた。
さすがにこれだけの人が共に城下に向かうと言われれば、主役の紅姫は断れない……というか、不安は消えたようだ。
とりあえず、紅姫も俺も黒ずくめの格好だったので、せめてそれだけでもなんとかしようと、着替えて体裁を整えた。
紅姫は籠かごで、という声もあったが、彼女が「自分も共に歩く」と、それを拒否した。
そしてまだ参拝者の訪れぬ暗いうちに出発。
門前町の旅籠で涼姫とお蜜さんが合流。
「……はじめまして、で良いのでしょうか。私が涼、鏡の精の正体です。ごめんなさい、結果的に貴方を騙すような形になってしまいました……」
そう言って頭を下げる涼。
「いえ、そんな……私を、助けてくれたのだから……最初、信じなくてごめんなさい……それに、ありがとうございました……」
と、頭を下げ、そして
「……黒い板で見たのよりも、ずっと綺麗な人……この人が、鏡の精……阿東藩の、お姫様……仙人さんの、婚約者……」
なぜか顔を赤らめ、俺と涼を交互に見つめた。
「……でも、まだ終わっていませんよ。無事、お城につけるよう、あと少し、頑張りましょう」
ニッコリと微笑む涼に、紅姫も笑顔になった。
総勢二十名で、元々明るい性格の紅姫もみんなと次第に打ち解け、和気藹々と歩いて行く。
期せずして、この行進は松丸藩士、旧岸部藩士、そして俺と涼姫という阿東藩の人間が一同に会する場となり、それぞれ親交を深めることができた。
また、極光武寺の大僧正様とお近づきになれたことも、俺としては思わぬ収穫だった。
やがて夜は明け、早朝の旧岸部藩内を歩く、様々な格好の場違いな二十人を、領内の者達は奇異の目で見ていた。
ただ、我々が皆笑顔であることに、人々は皆、安堵したことだろう。
後に『紅姫様の早朝散歩』と語り継がれるこの行進は、この地域にとって、決して小さくはない影響を残すことになるのだった。
城下町に辿り着くと、そこからはあまり目立たぬように、俺と紅姫、涼姫、お蜜さん、安親殿の五人だけが並んで歩き(お侍、商人、町娘三人という組み合わせ)、後の人たちもそれぞれグループを作って、こっそりついて来ていた。
しかし、さすがに城内には入れないので、門の前でお別れ。
そこには、知らせを聞いた松丸藩士(旧岸部藩から松丸藩に移った者も含む)が数名出迎えに来ており、安親殿の護衛も合流。
あと、大僧正様達も、特別に城内に入ることとなった。
紅姫は、涼姫の手を取って、元気づけてくれてありがとう、ずっと悩みを聞いてくれてありがとう、と、何度も何度も涙ながらにお礼を言い、つられて涼ももらい泣きしていた。
次に、紅姫は俺の手をとった。
「えっと……最初、疑ってごめんなさい……あと、あんなに危ない目に会いながら、私の事、助けてくれて……本当にありがとう。仙人様、このご恩は一生忘れません……」
「……なんだ、らしくないな。俺と君は、もっと打ち解けていたはずだろう?」
「……そうね。うん、仙人さん、本当に仙人だったのね……ありがと、私の事、カエルにするの、許してくれたのね……」
「……まさか、それ、信じてたのか?」
「ううん、それは信じてなかったけど、他は信じてた。宗冬と露のことも、ありがとう。涼姫様の事、大切にしてね……」
思わずどきっとする、ちょっと切なさそうな、彼女の気遣い。
なんか、紅姫はほんの少しの間で、女性として成長したんじゃないかとすら思ってしまった。
俺は、
「ああ、もちろん。幸せにしてみせるよ」
と返して……それで紅姫はもう一度笑顔になった。
その後、彼女は遠巻きに見ていた旧岸部藩士達の元にも駆け寄り、同じように、一人ずつその手をとってお礼を言っているようだった。
「酷いこと言って、ごめんなさい」
とか、
「ずっとみんなの事、本当に、本気で応援してるから……今日、一緒にここまで来てくれたこと、忘れない。本当にありがとう……」
とか、俺達にまで聞こえる大きな、しかし涙声で挨拶しており……それを聞いた彼等は皆、涙を流して喜んでいた。
――こうして、俺は紅姫を城に帰す、という大役を、なんとかこなすことができた。
後の話だが、旧岸部藩士達には約束どおり三千両が渡され、彼等はその資金で小豆の栽培に乗り出し、自分達だけで生活していける基盤を作りあげる事ができたという。
また、紅姫に関しては、今回の件が発端となり、もともと明るい性格に社交的な一面が加わり、また、藩の内外の重要人物(一応、俺も含まれる)に顔を広めたこともあって、その存在価値を高める結果になったのだった。
旧岸部藩士達の農業転身には、俺も技術提供や道具の貸与など、一役買うことになった。
俺と紅姫の交流は、彼等の現状報告などもあって、続いている。
紅姫は、後々家督争いの火種とならぬよう、彼女は婿を取るのではなく、嫁に出され、旧岸部藩は完全に自然消滅することが決定したという。
後に、その紅姫の嫁ぎ先候補に俺の名前が挙がることなど、この時の俺は露程も想像できていなかったのだった。
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