第201話 番外編14-16 蛇

 上空から徐々に降下してくる釈迦如来像。

 僧達は皆、言葉を失い、ただ見上げるだけだ。

 彼等だけではなく、紅姫も、そして後を追いかけてきた旧岸部藩の侍達も、目を丸くしていた。


『紅姫は、元々この寺に無理矢理連れて来られ、その悪僧、同輪により閉じ込められていた可哀想な娘です。そして側に居るその者は、紅姫を救い出すために天上人が送り込んだ使いの者。二人を外に通すのです』


 上空約十メートルで静止した、実際の人間ほどの大きさがある如来像から、一般人とは明らかに異なる、男とも女とも判断がつかぬ、荘厳な声質の言葉が発せられた。


 その言葉を受けて、僧達がざわめく。

 真っ青になってうろたえるのは、悪僧と断言された同輪だ。

 その様子を見つめていた俺と、あたふたと顔を動かせていた彼との視線が合った。


「……これはまやかしの幻術だ! あの男……阿東藩の邪悪な仙人、前田拓也の仕業だ!」

 同輪は俺を指差して非難する。


 うん、まあ、半分正解。

 あの如来像はビニール人形で、上空からドローンで吊り下げ、黄色のLEDライトで照らしているだけだ。


 その操縦をしているのは、涼姫だ。

 比較的操作が簡単な機種を選んだとはいえ、夜間に無線カメラの映像だけを頼りに自由自在に動かせるようになったのは、彼女のセンスと、必死の練習の成果に他ならない。

 ちなみに音声は、無線を通じて機械的なボイスに変換して小型スピーカーから出している。

 つまりは、あの声の正体も涼姫なのだ。


『おだまりなさい。そなたと英生との悪しき密談、この私がしっかりと聞き届けているのです』


「……嘘だ、まやかしだ! 皆の者、騙されるでない!」


 同輪が必死で抵抗する。


「あくまでシラを切るつもりですか……ならば、お聞きなさい。そなた達の言霊を!」


 如来像の後光が、いっそう強くなった。


『……だが、そんな姫君に、藩士達は裏切られる……』


 突如、上空からの声が、男のものに変化した。


『そうですね……相手は、やはり慎衛門がよろしいですか?』


『ああ、あの二人ならしょっちゅう会っていたし、恋仲になっていても不思議ではなかろう。二人して三千両を持ち逃げし、何処かへと消えてしまう……』


『で、実際のところどのように処分いたしますか?』


『そうさのう……『蛇』に任せるが……まあ、隣の赤着山にでも仲良く埋めてやれば本望だろう』


『そして、三千両は同輪様の物……』


『いやいや、人聞きの悪い事を言ってはならぬ。あの二人と共に何処かへ『消えて』しまうのだ。我々は一切、知らぬ存ぜぬ……』


『そういうことですね……』


 そして二人の高笑い。

 それを聞いて、真っ青になる僧侶がもう一人。

 彼は、いきなり前に飛び出して来て、その場に土下座した。


「も、申し訳ありません。わ、私は、その……同輪様に脅されておりまして……計画を知った以上、協力せねば命はない』と……」


 先程再現した会話の、もう一人の登場人物、英生だった。

 震えながら地面に頭をこすりつける三十路の僧侶。

 片腕と信じていた部下に裏切られ、同輪は顔をゆがめる。


『その悪僧二名を、閉じ込めておきなさい!』


 釈迦如来像の厳しい言葉に、他の僧達が動き出す。

 俺達を捕らえるために用意された縄で、二人の僧を縛ろうとする。

 英生の方は素直に応じたが、同輪は


「無礼者、儂に触れるでないっ! 皆、あんなまやかしに騙されおって……儂は潔白だ! 信じられぬなら、儂をどこにでも連れて行くがいい。逃げも隠れもせん!」


 同輪はそんな強気の発言をしてはいたが、かなり汗を流しながら、数人の僧侶に連れて行かれた。

 後に残る僧は、両手を合わせ、目を閉じて上空の如来像を拝む者、両膝をついて祈りを捧げる者など、反応は様々ながら、皆、空に浮かぶ金色の仏の化身を信じている様だった。


 二の門はすぐに開放された。

 俺と紅姫は、堂々とそこをくぐる。

 彼女も、これが仙術によるものだと理解しているようだった。


「あ、あの、お釈迦様……我々が二人について行ってもよろしいでしょうか?」


 後に控える慎衛門が、怖々と如来像に尋ねる。


「……お好きにしなさい。私も、二人を見守り続けます」


 想定していなかった慎衛門の問いかけに、涼はアドリブで返した。

 うん、まあ……これで否定したら、今度は紅姫が俺達のことを疑い出すかもしれないし。遠慮がちに後からついてくるだけならば、まあ、大丈夫だろう。


 俺達の歩調に合わせて、釈迦如来像も平行移動する。

 その様子に、僧達の間から感嘆の声が漏れる。

 皆、一斉に手を合わせ、念仏を唱えていた。

 釈迦如来像の効果、てきめんだ。これならもっと早く、使用していれば良かったか。


 俺と紅姫は、堂々と境内を歩いて行く。

 そして遂に、正門にまで辿り着いた。


 ここでもかがり火が焚かれ、やはり二十人ほどの僧が待機していたが、事前に俺達と釈迦如来像の事が知らされていたようで、門のかんぬきは外され、皆、両手を合わせて俺達を出迎えてくれた。


 このまま、すんなりと通ることができそうだ……そう甘く考えていた時だった。


「……ちょっと待った、お姫様と仙人様よう。ここをあっさりと通す訳にはいかねえなあ」


 ガラの悪い言葉と共に、三人の侍が登場した。

 ……なんか、旧岸部藩の侍達より上等な着物を着ていて、それが様になっている。

 三人とも目つきも鋭く、余裕の笑みすら浮かべている。


 ……こいつら、出来る!


 俺はそう直感した……そして思い出した、同輪達が『蛇』と呼ぶ、正体不明の存在が残っていたことを。

 後から追いかけてきた侍達は、その三人を見て、焦りながら刀を抜く。


「……おっと、岸部藩士達よう。別に俺達はあんた等の敵じゃないぜ。なにせ、俺達の狙いは、その『前田拓也』っていう男だけ。姫君には興味ない」


 ……いや、実際には俺はおまけで、紅姫の確保が目的のはずだ。

 だが、この場は一旦、五人の侍と敵対するのは得策でないと考えたのだろう。

 とすると、厄介だ。旧岸部藩の侍達には、俺を手助けする理由はない。


 それに対して、門番の僧侶達はちょっと慌てている。ここでの争いは、上空の釈迦如来像の意思と反することになるからだ。


「……なんだ、おめぇら。あんなまやかしにびびっていやがるのか?」


 三人組中で真ん中の男はそう言うと、懐から何か取りだし、如来像に向かって投げつけた。

 棒手裏剣か何かだったようで……僧侶達はその余りに無礼な行いに、あっと声を上げた。

 そしてそれは見事に命中し、ビニール製の如来像、空気が抜けてフニャフニャになった。


「……そら見たことか。おめぇらの信じる仏様ってのは、あんな見苦しい姿なのか?」


 一同、声が出ない。


「……みんな、あの『邪悪な仙人』前田拓也のまやかしに引っかかっていたんだよ。紅姫様の護衛のあんた達も、いい加減目を覚ませよ」


 ……僧達と、旧岸部藩士達の目つきが、俺を非難するものに変わっていく……。

 恐る恐る、紅姫を見ると……。


「……仙人様、私は信じているからね」


 と、俺の腕にしっかりと掻きついて、そう言ってくれた。


 ほっ、一番重要な彼女は、幸いにも味方のままでいてくれる。

 とはいえ、状況は再暗転。俺達は、またしても窮地に立たされてしまった――。

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