第188話 番外編14-3 鏡の精

 二日後の早朝。

 所々に雪が積もった長い石段を、俺と三郎さんの二人が登っていた。

 涼とお蜜さんは、麓の宿で待機だ。


 しかしこの石段、一千段以上あるということで、門に辿り着くまで一苦労だ。

 それ以前に、この極光武寺自体が山奥にあるため、相当歩かされた。

 しのびである三郎さんやお蜜さんは勿論、普段から武芸で鍛えている涼も足腰は丈夫で、道中、俺が一番歩くのが遅いのがちょっと気まずかった。


 そして今も、俺は荷物を背負って、ひたすら石段を登っている。

 となりの三郎さんはより大きな荷物を背負っているが、平気な顔をしていた。

 これ、真夏に来てたら地獄だったな……。


 息を切らせてしばらく進み、ようやく山門へと辿り着いた。

 門は開いていたが、混を持った門番の僧侶が二人、立っていた。

 二人とも、俺より若い印象を受ける。

 呼び止められて、何用かと聞かれたので、


「自分達は商人です。阿東藩から商売のためにやってきました。いくつか、このお寺様にも購入していただきたい物がありまして……たとえば、この椎茸など」


 と言って、重箱に入ったいくつもの大きな椎茸を見せると、


「ほう……これは見事な椎茸ですね……」


 と、二人とも目を見張っていた。

 お寺では精進料理しか食べられないわけで、食材の種類は限られる。

 その中でも椎茸は、当時、現代の松茸以上の高級品だ。この反応は予想通りだった。


「わかりました、しばし、お待ちください」


 若い僧侶の一人が、そう言い残して奥へと入っていった。

 俺と三郎さんは、その間もう一人の僧侶と世間話だ。

 おそらく、俺より若いその僧侶は、真面目そうではあるが気さくな感じで、こちらの質問には丁寧に答えてくれた。


 この山門は日中、普段から開いていて、参拝客が比較的自由に出入りできるという。

 しかし、たまに俺達のように普段見慣れない者が現れると、一応呼び止めて、この寺に来たことの目的などを尋ねるようにしているという。


 また、境内を奥に進むとまた門があり、そこから先は関係者しか入れないらしい。

 それと、この極光武寺には尼僧も存在するが、居住区は別れているという。

 この寺に来る女性の場合、出家するのは相応に歳をとってからの場合が多く、そのため、ほとんど三十歳以上なのだという。

 そんな話をしていると、もう一人の若い僧が、三十歳ぐらいの別の僧侶を連れてきた。


「遠路はるばる、この極光武寺へ、ご苦労様です。私、英生えいせいと申します。我々との取引をご希望との事ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 愛想の良さそうな笑顔を浮かべ、その僧侶は丁寧に尋ねてきた。


「はい、阿東藩の商人で、前田拓也と申します。こちらは、番頭の三郎です」


 そう言って、二人で頭を下げた。


「おお、有名な前田拓也様でしたか」


 と、大げさに驚く。

 俺の名前って、こんな山奥の寺にまで知られていたんだな……。


 そして椎茸の入った重箱を見せると、やはり彼も驚き、そして俺達は寺務所へと案内された。


 ここでも、少しの間世間話をしたのだが、その中で俺の噂も出てきた。

 阿東藩の三大商人の一人という事が有名で、そのおまけとして『仙人』と噂されている、とのことだった。

 それに対しては、


「椎茸のような商品を扱っているので、そんな妙な噂が出たのでしょう」


 とごまかしておいた。


 商談自体はつつがなく進み、椎茸を正式に扱ってもらえる事が決定した。

 これはこれで成果の一つ。だが、本来の目的は別にある。


「実は、私達は『鏡』も扱っています。そこで今回、このような品もお持ちしました。見本として献上させていただきます。このお寺には女性の方もいらっしゃるということですので、どうかお収めください」


 そう言って、三郎さんが英生さんにその商品を手渡した。

 柄の部分に赤い布が貼り付けられ、刺繍が施された手鏡だ。

 女性……それも、若い女の子が使用するような品物。もちろん、あえてこのようなデザインのものを選んだのだが。


「……これはすばらしい! なんと映りのよい鏡なのでしょうか。少々、派手ではありますが……」


「いえ、でしたら、またそれほど派手ではない物をお持ちしますので……」


「いえいえ、そこまでご足労頂くのは申し訳ありません。これでも十分、映りのすばらしさは確認できます。上の者にも見て頂いて、要望がありましたら、椎茸と合わせて、また改めて発注させていただきます」


 と、一応興味を持ってもらえた。

 これでこの日の商談はとりあえず終了。また明日来ると告げて、寺を後にしたのだった。


 三十分ほどかけて、涼とお蜜さんの待機する宿に到着。

 様子を聞いてみると、


「椎茸の方は、厨房に運ばれて今、品定めされています。手鏡は、ちょうど上役のところに運ばれて来たようね」


 と、お蜜さんが教えてくれた。

 椎茸の入った重箱には、二重底の内部に、手鏡には柄の内部に盗聴器が仕掛けられている。

 これで寺の内部事情を探ろうという作戦だ。


 厨房の方は大した情報は得られないだろうし、あまり期待もしていない。

 ひょっとしたら、と思うのは手鏡の方だ。

 持ち込んだノートPCの画面を見ていると、太ったタヌキ見たいな顔がアップで映って、思わず吹き出しそうになった。


 実は手鏡はマジックミラーになっていて、その奥に小型カメラが仕掛けられており、映し出した映像が無線で送られてきているのだ。


 これは帝都大学准教授の伯父が開発してくれた特注品だ。

 元々、この仕組み自体は考案していたようなので、頼めばあっさりと作成してくれた。

 なぜこんな物を考案していたかは聞き出さなかったが。


「……ふむ、確かに見事な映りだ……阿東藩でこのような品物が作られていることは聞いておったが、ここまでの物とはな……」


「はい、誠に左様で。しかし、我々僧侶には、手鏡はあまり縁のないものかと」


「うむ、いや、仏様に念仏を唱えるときに目ヤニのついた顔では失礼だろう。そう言う意味では映りの良い鏡は有った方がいいだろう。手鏡ではなく、皆で使える大きな鏡がいいな」


「それは良きお考えかと存じます。明日前田殿に交渉してみましょう。それで、その献上品はいかがいたしましょうか」


「うむ……儂が持っていても恥ずかしいだけだな……『シンジロウ』を呼べ」


「『シンジロウ』様を、ですか? ……なるほど、それはいいお考えですな」


 そして彼……おそらく英生さんは部屋を後にしたようだった。

 その後、上役のタヌキ顔の僧侶は、顔をしかめたり、寄り目にしたりと変化させ、それをノートPCの画面で見ている俺達は、笑いを堪えるのに必死だった。


 しばらくして、『シンジロウ』と呼ばれる男が、上役の部屋を訪れたようだった。

 彼は、上役の僧侶のことを『ドウリン様』と呼んでいたので、それが名前なのだろう。

 彼も、その鏡をのぞき込んで、映りの良さに感嘆の声をあげた。


 鏡をのぞき込む、ということは、その顔が俺達にも見える、ということだ。

 なかなか精悍な顔つき。二十歳前後ぐらいだろうか。

 髷を結っているので、僧侶ではなく、侍のようだ。


 なぜ侍がいるのか疑問に思ったのだが……その後の言葉に、我々は目を見開いた。


「これを、姫に差し上げるがいい」


「えっ……これを……は、はい、姫様もお喜びになると思いますっ!」


 姫、という単語。

 俺達は顔を見合わせた。


「最近、塞ぎ込んでいるようだからのう……」


「はい、その通りで……自ら進んで、とはいえ、やはりお部屋にずっと閉じこもっていては気分も晴れぬのでしょう。これはよい気晴らしになるかと存じます」


「うむ。姫もおぬしには心を開いておるようだからな……頼んだぞ」


「はっ、ご配慮、ありがとうございます!」


 そう言って鏡を箱にしまい、早速どこかへ運び込まれるようだった。

 俺達四人は、真っ暗になったノートPCの画面を見つめて、今の状況を話し合った。


「姫、ということは……やはり、紅姫様なのでしょうね……本当にいたんですね。無事みたいで、良かったです」


 涼が安心したように呟く。


「……いや、塞ぎ込んでいるっていうのが……それ以前に、『自ら進んで』っていう方が気になるな……」


 これは三郎さんの言葉で、俺も同意して頷く。


「……それもすぐ分かることでしょう。さすが拓也さん、策が見事に当たりましたね」


 お蜜さんが褒めてくれる。


「いや、まさかここまで思惑通りに事が進むとは思わなかったよ。お寺だから、身分の高い若い女の子がいたとしたらこうなるかな、と漠然と考えていただけなんだけどね……」


 たとえこれほどうまく進まなくても、手鏡が女性の誰かの手に渡る可能性が高かったので、そこで内部情報を得られればいいか、ぐらいに考えていた。


 しばらくして、再びノートPCの画面が明るくなった。

 次にそこに映ったのは……まだあどけなさの残る、しかし可愛らしい顔つきの少女だった。

 彼女も、その映りの良さに、目を丸くしていた。


「……これを、私に?」


「はい、『ドウリン』様が、ずっと閉じこもっておられる姫様を案じて、少しでもお元気になるように、と……」


 その言葉を聞いて、彼女は少し表情を曇らせた。


「……『ドウリン』様が……そう……」


 消え入りそうな声だったが、次の瞬間には、ぱっと明るい笑顔になった。


「ありがとう、とても嬉しい。大切に使わせてもらいますねっ!」


 それは、俺でもドキッっとするような、本当に可愛らしい笑顔だった。


「はい、喜んで頂けて幸いです。……それでは、これで失礼します」


『シンジロウ』はそう言い残すと、足早にその部屋を後にしたようだった。

 姫と呼ばれた少女は、しばらく鏡を見つめていたが……徐々にその表情は曇っていき……やがて絶望的な、怒りさえ含んだような表情に変わり……そして涙を浮かべていた。


 その変化に、俺達は戸惑った。


「こんな……こんな鏡なんかっ!」


 彼女の言葉と同時に、ノートPCの画面がめまぐるしく変化する。彼女が手鏡を振り上げたのだ!

 まずい、と思った俺は、咄嗟に『F12』キーを押した。


「ダメッ!」


 涼がそう声をあげたのは、その直後だった。


「えっ……」


 また画面が動いて……姫の、涙を浮かべて……そして何かに驚いたような表情が映り込んだ。


「お願い、壊さないで……」


 涼の、祈りに似たつぶやき。


「……鏡が……しゃべった……」


 姫は、鏡を持つ手と反対……つまり左手を口に当てて驚いている。

 しかし、涼も驚いているようで、俺の顔を見つめてきた。


 俺は、現在、音声が双方向通信となっていることを、メモを取っていた紙に書いて涼に見せた。

 涼はすぐにそれを理解したようで、頷いた。


「……私は……そう、この鏡の精です」


「鏡の……精?」


 姫は、きょとんと自分が映った鏡を見つめていた。


 この涼のアドリブから、奇妙な世界観の会話が始まり……そして姫の口から、我々の想像とは全く異なる事実が告げられたのだった。

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