第十三章 妖怪仙女

第171話 妖怪仙女

 その日は、月夜だった。

 二本差しの立派な侍が二人、ほろ酔いで談笑しながら歩いていた。


 やがて、『新町橋』という大きめの橋に差し掛かったとき、振袖を着た娘が一人、欄干のそばでしゃがみ込んですすり泣いていた。


 身投げでもしかねない様子に、二人は


「娘さん、一体どうしたんだい? 俺達に話してごらん」


 と優しく声をかけたのだが、うつむいたまま、泣き止む様子がない。

 二人は顔を見合わせ、さらに近づいて


「さあさあ、泣き止んで。俺達が力になるから」


 と、さらに優しく声をかけると、ようやく彼女は顔を撫でるようにして立ち上がった。


「うっ……うわああぁ!」

「ひっ……ひいいぃ!」


 男二人の悲鳴が響く。

 その女は、目も眉も鼻もなく、ただ口が耳近くまで裂けており、ニヤリと笑みを浮かべていたのだ。


「……ば、化け物っ!」


 そこはさすがお侍、それだけの驚愕にも負けず、太刀を抜いて身構えたのだが、


「……刀……その刀が欲しい……」


 そう言って化け物が右手をかざしたところ、二人とも手に痛み、しびれを覚え、思わず太刀を取り落としてしまったのだ。


 そして一歩、また一歩と近づく化け物。

 侍二人は短刀を抜いて身構えるが、恐怖に後ずさりしてしまう。

 やがてその娘? は落ちている二本の太刀を拾い、両手で一本ずつ構えたのだ。


 さらにその背後には二つの『鬼火』が出現、ここに来てさすがのお侍も腰を抜かし、太刀の事はあきらめ、ほうほうの体で逃げ出した。


 化け物は、満足げに裂けた口に笑みを浮かべていた――。


 以上が、今朝『前田食材店』の近所で売られていた瓦版の概要だ。


 ものすごく胡散臭い記事で、

『その正体は妖怪仙女と思われる』

 なんて解説まで付いている。


『妖怪仙女』自体が造語っぽいのだが、単なる『妖怪』よりはなんか迫力があるように思えてしまうから不思議だ。


『前田食材店』店員の結と里菜は、これを読んで大騒ぎ。

 まあ、事件が起きたのが二日前の夜で、すでに前日に噂だけは聞いていたようなのだが、こうやって瓦版になると「やっぱり本当だったんだ」と思ってしまうらしい。


 ちなみに、『新町橋』は歩いて十分もかからない場所にある。

 そりゃあ、そんな場所に『妖怪仙女』なんかが出るとしたら俺でも怖い。


 平次郎親分の奥さんであるお清さんでさえ、これを読んで

「物騒な話だねえ。夜道をあんた達だけで歩いたりしちゃ駄目だよ」

 と巫女さん二人に注意するぐらいだった。


 そこに平次郎さんの子分、八助さんが登場。俺達が瓦版を読んでいるのを見て、


「おう、早速読んでるね。怖いねえ、妖怪仙女なんて。あっしは、人間の悪人にゃあ容赦しないが、今回、相手は化け物だろう? こりゃあどうしたらいいか、悩んでんだ。あ、その漬け物ちょっともらっていいかい? あと、できたらお茶も」


 と、俺達の朝食のおかずを要求してきた。

 ま、漬け物なんていくらでもあるけどね……。


「でも、八つぁん、これって本当にあったことなのかい? 私は信じられないけどねえ。妖怪かどうかは置いといて、二人のお侍さんが刀を盗られるなんて」


「いや、まあ、本当は二本差しじゃなくて、一本しか差していない浪人なんですけどね。でも、実際に刀を構えたのに、相手の妖術で取り落としちまったらしいんです。たいした怪我もしてねえみたいですが、それだけに相手はやっぱり人間じゃねえんじゃねえかって噂です。ひょっとしたら、昔の『人斬り権兵衛』の手下なんじゃねえかって噂もありますが」


「「ええっー!」」


 結と里菜の二人は、抱き合ってさらに震えていた。


 最近ここに住み始めた俺は知らなかったのだが、十年ほど前、『人斬り権兵衛』という辻斬りが現れて、侍だけを標的として何人も殺害し、江戸は一種のパニックに陥ったという。

 役人による徹底的な夜回りの結果、その辻斬りは忽然と姿を消してそれっきりだという話だ。


 幸いなことに、江戸では全体的に商店が閉まる時間は早く、午後三時頃にはもう商いを終えている。

 さすがにその時間ならば、娘二人だけでも安心して帰れるだろう。


 ちなみに、結は元々小さな乾物店の娘で、里菜はその店の奉公人。

 最近売り上げが落ちてきており、そのために二人ともまずは明炎大社、そして次にこの店で売り子をするようになったのだ。


 彼女たち二人が寝泊まりしているのは、今もその乾物店。だから二人一緒に、約一キロの道のりを行き来している。まあ、昼間に二人で行動するなら安全だろう。


 そしてお清さんは、平次郎さんか八助さんと一緒にここまで来るようにすれば安心だ。

 そんな話をしていると、噂をすればなんとやらで、岡っ引きの平次郎さんがやってきた。


「こら、ハチ、またここで油売っているのか?」


「い、いえ、親分、ちゃんと聞き込みしてますよ」


 ……さっきまで漬け物食べながらお茶飲んでたけど。

 それにしても、平次郎さんのような人がこの町にいるというだけで、なんと心強いことか。


「……ところで、前田の旦那。ちょいと変なこと聞くが、まあ、念の為だと思って答えて欲しい」


 なんか、平次郎さん、真面目な顔つきになった。


「二日前の亥の刻(二十二時)頃、あんた、どこにいた?」


 ……あれ? ……これってひょっとして……疑われてる?

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