第十章 藩主候補
第140話 姫君の帰還
涼姫が室町時代へ時空間移動してから、半年が過ぎた。
江戸では、徳川吉宗公が第八代将軍となり、元号も『享保』に改められた。
季節は秋。
この年、この阿東藩は豊作だった。
金鉱脈の採掘は順調に進み、各地から労働者が集まっていた。
また、東海道までの山道も整備され、商売の他、純粋な観光目的でこの地方を訪れる者も急増していた。
そんな中、阿東藩新町通りは、かつてないほどの活気にあふれていた。
鰻料理専門店『前田屋』の板前「良平」は、新妻の「
最近では、この料理を教わりたいという弟子が三人もできて(しかも全員年上)、調理を手伝ってもらっているのだが、それでも連日押し寄せる客を捌くのが大変なほどの盛況ぶりだ。
『前田美海店』はそれ以上の忙しさで、店舗を拡張し、今では料理長のナツの他、ユキ、ハルの双子もずっと調理にかかりっきりの状況。
給仕をしてくれているのは、新しく前田女子寮に入る事になった、満年齢で十三~十六歳の少女達、計六人だ。
彼女たちは、春から夏にかけて、自分達で志願して『前田美海店』の店員となった娘で、みんな寮の『二期生』と自称し、仲良くまとまっている。
その彼女たち、状況によっては凜が切り盛りする『前田妙薬店』も手伝っている。
こちらは調理の必要はないが、商品の説明が必要になってくる。
二期生の少女達、最初は戸惑っていたが、必死に勉強してくれた甲斐があり、現在では各々一人でも十分接客できるまでに成長してくれている。
食材の供給方法改善にも力を入れた。
街の外れに養鶏場を設立、二百匹の鶏が毎朝卵を産んでおり、新鮮なそれを『前田美海店』に運び込んでいる。
また、通りの裏手を流れる小川に簡単ながら関を設け、そこに小型の水力発電機を複数台設置した。
関があるために、多少小川の水位の増減があっても流れ込む水量はほぼ一定で、これで今までの太陽電池とは異なり、夜間でも、また天候にも左右されず、安定した電力供給が可能になった。
それを使用して冷凍庫・冷蔵庫・製氷機を稼働させ、冷やしたり、冷凍したり、氷を使用することにより、特に魚の鮮度を保てるようになった。
冷やし飴や冷やし甘酒を作成することも可能だ。
これらはこの時代初の『スーパー銭湯』である『前田湯屋』で飛ぶように売れた。
『前田湯屋』は完全男女別の銭湯であり、清潔な湯水、サウナやシャワー設備完備、家族風呂まで存在する、石鹸の香り漂うリラクゼーション空間という画期的な湯屋で、ここ目当てで阿東藩に観光に来る者も珍しくない。
ここの番台には最近、屈強な? おばちゃんに来てもらっている。
また、焚き付けはソーラーシステムだけでは足りないので、従来通りの薪も使っている。そうすると薪代と人件費がかさむので、改善の余地ありだ。
わずか一年で見違えるほど活気があふれるようになった『阿東藩新町通り』、通称は『食い物通り』だったのが、いつしか『前田通り』と呼ばれるようになった。
連日、各店舗の少女達は目の回るような忙しさだったが、まだ『マシ』だった。
桑畑や養蚕小屋では、秋の作業のピークが訪れていたからだ。
蚕の餌やり、掃除、温度や湿度の調節、蚕が繭になるための足場である『回転まぶし』の準備、作成された繭の回収、毛羽取り。
今回、本格的な作業は初めてで、これらには阿東藩の役人にも協力を仰ぎ、さらに藩内の農家の十数人にも、今後の勉強もかねて手伝ってもらっている。
さらに『座繰り』と呼ばれる糸を紡ぎ出す作業。
これは相当の練習が必要であり、担当したのは『前田女子寮』の『一期生』であるお梅さん、桐、玲の三人だ。
朝から晩まで小屋でずっと糸を紡ぎ続ける作業、最初は楽しそうにしていたが、二、三日もすれば大分疲れが溜まり、やつれているようにすら見えた。
想像よりずっと多くの繭が収穫できており、いつまでたっても座繰り作業が終わらないのだ。
実際に反物にしようとすると、ここからさらに『機織り』の作業が必要になるが、これはもう、現段階では専門の職人にやってもらおうと思っている。
……とまあ、収穫の秋とはいえ、少女達にとってはあまりに忙しすぎる日々が続いていた。
さらに、今回の豊作を神に感謝する『阿東藩秋祭り』が、今年は盛大に執り行われることになるという。
そんな事になれば、飲食店や湯屋が今よりさらに忙しくなることは目に見えていた。
俺も優も、この日は『前田美海店』の給仕にかり出され、午後になってようやく空いてきて、彼女に話しかけることができた。
「この分だと、『三期生』も早めに募集しないといけないかなあ」
と相談したところ、彼女も
「そうですね、特に養蚕は来年の春にもあるんでしょう? 桑畑の整備もありますし……早めに準備しておいた方がいいかもしれませんね。でも、忙しいのはいいことだと思いますよ」
と、疲れてはいるようだったが、笑顔で返してくれた。
「まさか、各店舗や施設がこれほど人気になると思っていなかったからなあ……」
俺も疲れ気味に、それでも少し嬉しげに、『前田美海店』昼の部の営業を終えるべく、暖簾をしまおうと店の軒先に出たとき。
「……あ、もう今日は閉店なんですか?」
若い女性の声が聞こえてきた。
「あ、いえ、今ならまだ……」
と、その顔を見て、俺は一瞬、言葉に詰まった。
「……涼姫……お蜜さん……」
「ただいま戻りました、拓也さん。半年間、ご迷惑をおかけしました」
艶のある黒髪、ぱっちりとした瞳で、小顔。
鼻はやや高く、口は小さく可愛らしい。
いわゆる「美人」系なのだが、近寄りがたい雰囲気はなく、ニコニコと微笑んでくれている。
多少日に焼けて精悍さが増してはいるが、相変わらず優しそうな、それでいてずいぶん大人びた表情を見せるようになった涼姫。
そしてその瞳は、わずかに涙ぐんでいるように見えた。
俺達の会話が聞こえたのか、慌てて優も出て来た。
「……おかえりなさい、お涼さん、お蜜さん」
「はい、ただいま」
「ええ、ただいま」
二人はハモって返事し、それがちょっとおかしくて、皆で笑った。
『涼姫に婿入りして、阿東藩主に――』
現藩主のその言葉を思い出した俺は、彼女のはにかんだ可愛い笑顔を見て、ほんの少しだけ鼓動が高まるのを感じたのだった。
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