第128話 火事
阿東藩主の娘である『涼姫』が前田屋号店に奉公に来て、二十日が過ぎた。
『前田美海店』のメニューも全て覚え、常連さんの顔も覚えて、給仕としてはすっかり一人前。
また、簡単な調理もこなせるようになり、今や貴重な戦力に成長していた。
ナツ達三姉妹とも仲が良く、女子寮での生活にも慣れ、大きな問題は無いように思われた。
相変わらず好奇心旺盛で、人見知りしない性格。それが少し心配でもあった。
そんなある日の朝、開店前の『前田美海店』に、優と凜さんを含むみんなで集まり、朝礼というか、朝の挨拶をしようとしていたのだが、涼が来ない。
今まで遅刻なんかしたことなかったのでちょっと心配になり、迎えに行こうかと話して外に出てみると、向こうから女性三人が歩いてくるのが見えた。
「あ、来ました……お涼ちゃんと、お蜜さんと……誰かしら? まだ子供みたいだけど……」
と、目の良い優が皆に話した。
その三人は俺達のもとに近づいてきて……涼が俺の方を指差して、連れている娘に何か告げると……その子は一目散に俺の所に走って来て、
「前田様っ、会いたかった!」
と叫ぶと同時に、俺に抱きついて泣きだしたものだから……ドギマギし、周囲を見渡すと……またしても、嫁達のジト目に囲まれていたのだった。
ひとしきり泣いて落ち着いた彼女を、とりあえず『前田美海店』の中に入れてあげた。
しかしこの子……前に玲がいきなり尋ねて来たとき以上に汚れている。
髪はボサボサ、顔も服も泥だらけ、所々黒ずんでいる。
背丈は俺の胸ぐらい、まだ幼さが残る。
朝から何も食べていないと言うことだったので、白米と焼き魚、味噌汁を食べさせてあげると、こんなに美味しい物初めて食べた、と、感激していた。
その間に、お蜜さんと涼から、ここに至るまでの経緯を聞いた。
この子、まあ一言で言えば『迷子』なのだという。
前日、親戚の家に一時預けられることになって、彼女の祖母と一緒に部屋で寝ていたら、急に息苦しさを覚え、大きな騒ぎ声が聞こえて飛び起きたのだという。
すると、前が見えないほどの煙が充満しており……祖母の
「私は足が悪いから、早く、あんただけでも逃げなさいっ!」
という声と共に突き飛ばされ、扉を閉められ、ビックリして着の身着のまま逃げだし、それでもまた煙に巻かれて、なんとか這いつくばって進み……気がつくと、一人山中に横たわっていたという。
「……火事、かしら……」
「私も、そう思って聞いてみたのだけど……どうやらその家、かなり大きなお屋敷みたいで、その上、町から離れていたみたいで……ここまで聞こえるような騒ぎになっていないということは、
と、お蜜さん。
ちなみに、この子の年齢は十六歳ということだから、満年齢にしたら十四歳だ。
年の割にはやや小柄で、子供っぽく見える。名前は「誠せい」というらしい。
「……それで、お誠ちゃん、どうやってここまで来たの?」
朝ご飯を食べ、幾分元気になった彼女に、凜さんが問いただした。
「はい……山道を歩いていたら、町の明かりが見えて……それを頼りに、何度も転びながら歩いてきて……だんだん空が白み始めた頃、やっと町に着きました……それで、天秤棒を担いでいるおじさんに、私が迷子になったことを話して……何人か、私が知っている人の名前を出したけど、誰も知らなくて……で、ただ聞いた事のあるだけの、『前田拓也』様の名前を出したところで、ようやく『ああ、それなら』っていう事になって……それで『前田女子寮』という場所に連れて来てもらったのです」
と、申し訳なさそうに言う彼女。
うーん、見た目は子供だが、結構しっかりした答えだ。
「……ほら、俺の言った通りだろう? 本当に初めて会う子なんだ」
と、いきなり抱きつかれたことに身に覚えが無い、といった正当性を主張する俺。
「……でも、私の姉上は一度会ったことがあるって言ってましたけど……」
と、ちょっとした爆弾発言をする少女。うっ、またジト目で見られている。
「……そのお姉さんの名前は?」
優が優しく尋ねる。
「『
「慶……聞いた事があるような、ないような……」
……どうしても思い出せない。隣を見ると、優も首をかしげていた。
とにかく、今の身なりではあまりに可哀想だ、湯屋へ連れて行ってあげよう、ということになったのだが、また『誰が連れて行くのか』で揉める。
誠としては、初めて会って親切にしてくれた涼に気を許しているので、一緒に行って欲しいと言っているが、いかんせん、涼自身も湯屋に行った経験がない。
しかし、お蜜さんが「私で良ければ」と言ってくれたので一安心。
ところが、湯屋が混浴であることを告げると、涼も誠も真っ赤になって戸惑っている。
それで、ガードしてくれる男が必要っていう事になって……結局、俺がまた一緒に行く事になった。
もちろん、嫁達からはジト目で見送られながら……。
湯屋に着くと、番台のおじいさんに
「さすが前田殿、また新しい女子を連れて来られたのですな」
とからかわれたが、笑ってやり過ごす。
朝とはいえ、そこそこ客がいるわけで……まあ、涼と誠の二人には、大きなバスタオルを渡してそれで体をくるんでいるので大丈夫なのだが、お蜜さんは
「そんなの、面倒だわ」
と言って、全く隠そうとしない。
目のやり場に困った俺は、初めての湯屋で慣れていない涼と誠の方を見たのだが、
「あっ!」
と言って、涼がバスタオルを取り落としてしまい……一瞬だが、藩主の娘の裸を直に見てしまった。
慌ててそっぽを向いた俺だったが、その色白で綺麗な裸は目に焼き付いてしまった。
ただ、お蜜さんが
「ふふっ……うまくいったわね……拓也さん、彼女の覚悟、ちゃんと受け止めてあげてね」
と言ったのが気になったが。
誠はもっと恥ずかしがり、バスタオルを片時も離さず、間に涼が入っている状態だったので、全く体を見ずに済んだ。
他の男性の視線も、もっと大人っぽく、かつ全く隠していないお蜜さんに集中していたので、まあ助かった。
こうして、湯屋から出てきた誠のその顔は、先程とはまったく見違えるほどだった。
幼さは残るものの、わずかに気品すら漂わせる小顔の美少女。
しいていえば、どことなく涼に似ているような気がした。
ハルが貸してあげた着物も、ちょっと大きいながらよく似合い、まるで家柄のよい娘さんのように見えた。
「拓也様……この子、ひょっとしてかなり身分の高い家の方なのでは……」
涼もそう思ったらしい。
彼女自身も『藩主の娘』という家柄ゆえの直感のようだった。
そして『前田美海店』に戻ると、まだ開店前なのだが、娘達はちょっと騒いでいた。
「ああ、拓也さん……お誠ちゃんの着物、洗ってみたんですけど……これ、相当高級な物です。まったくの新品で、絹で出来ていて……」
彼女が着ていたのは、いわゆる『寝巻き』なのだが、それが絹製なのだという。
もちろん、庶民が着られる物ではない。
「やっぱり……この娘、相当身分の高い方の様です……私、気になっていたんですっ!」
と、涼は目を輝かせて興味津々。
しかし、先程も彼女の父親や母親の名前を聞いたが、心あたりのある者はいなかった。
まだ開店までは時間がある。
とりあえずもう一度、『前田美海店』に集まって、彼女から詳しい話を聞き直す事にした。
誠に事情を聞くと、最初はちょっと口ごもっていたが、自身が地方の有力者の娘で、そのたびに今までに何度も危険な目に遭ってきたという。
その地方では治安が安定せず、時には、彼女自身も人さらいに遭ったことがあるという。
今回、親戚の家に預けられることになったのも、複雑な大人の事情があったかららしい。
そして、まさかとは思うが、火事も単なる事故ではないのかもしれない、と。
それを聞いて、涼は、涙をあふれさせていた。
この子は、自分より年下なのに、これほど多くの試練を越えてきているんだ、と。
何もつらい思いをせず、世間を知らないで幸せに暮らしてきた自分が恥ずかしい、と。
みんな、こんなに大変な思いをしてきたのですね、と。
……いや、普通は人さらいに遭ったり、火事に遭って命からがら逃げてきたりしてないから。
そんな涼に、誠はすっかり気を許し、彼女もまた涙を浮かべて涼の腕に抱きついていた。
――不意に、その警告音は鳴った。
そして音声が流れる。
『最終安全装置作動 強制転送まで あと一分』
……?
最終案全装置とは、ラプターで時空間移動した際、その時代に居られる時間が迫ったときに発動する仕掛けだ。
これは、何らかの事情……たとえば、気を失ってしまってラプターの操作ができないときなどに発動する、強制的に元の時代に戻すための安全機構となっている。
ちなみに、俺はそれを四十八時間に設定し、現代に不慣れな優は、二十四時間に設定している。
いずれも、強制的に戻される地点は最も安全と思われる場所……俺の場合は自宅の部屋、優は前田邸の一室だ。
しかし、俺が最後にこの時代にやってきたのはほんの数時間前だ。
自分のラプターを確認しても、特に変わった様子はない。
また、優は江戸時代に居る間は、この強制機構の対象とはならない。
あくまで、『本来の時空間にいない場合』のみに働く安全装置なのだ。
なのに、警報音が鳴り、カウントダウンが始まっている。
「おかしいな……故障かな……」
と考えて、両腕のラプターを耳元に近づけるが、警報音は聞こえない。
一体どこから、と耳を澄まし、音の鳴る方を見て……戦慄を覚えた。
不安そうに口に手をやる誠の左腕に、『ラプター』が装着されていたのだ!
「せ、誠っ……ラプター……その左腕に巻いているの、どうやって……」
焦って、上手く声にならない。
「これは……このお守りは……姉上と、氷川様から頂いたもので……本当は二つで一組なんですけど、あの煙の中、枕元に置いていた二つのうち、一つしか持って逃げ出せなくて……」
氷川っ!
それは、俺の叔父……つまり、『ラプター』の開発者の姓だ。
しかし、叔父は六百年前の室町時代にしか時空間移動出来ないはず……。
ドクン、と、さらに鼓動が高まった。
まさか、まさか――。
誠は、室町時代から江戸時代に時空間移動してきたのかっ!
『強制転送まで あと五秒』
機械的に発せられるその音声に、俺の背筋は凍り付いた。
あの、妹のアキが時空の狭間に飛ばされた事故が思い出される。
誠は、片方の腕だけで涼に抱きついている。
中途半端につながれている状態で時空間移動に巻き込まれるのが一番危険だ。
「涼、その娘から離れ――いや、その娘を抱き締めろっ!」
俺は咄嗟に大声を出し、涼はそれに反応し、誠を抱き締めた。
次の瞬間、二人は白く眩い光に包まれ、そしてその姿をかき消した――。
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