第88話 十五夜
前日と同様、洗い場で椅子に腰掛けて、ぼんやりと窓の外の月を眺めていると、誰かが脱衣所で服を脱いでいるような音が聞こえてきた。
もうその時点で鼓動が高まるのを感じていたが、慌てることはない。もう誰であろうと、受け入れる覚悟でいたのだ。
やがてカラカラと扉が開き、誰か入ってきた。
そして昨日と同じように、その娘はいきなり俺の背中に抱きついてきた。
その暖かな感触は、ユキのときよりもう少し柔らかな印象を受けた。
これは……この感覚は、今までにも覚えがある……。
「……優?」
「……はい、私です。分かってもらえて嬉しいです」
聞き慣れた彼女の、優しく、明るい声だった。
混浴の相手が優であることに対して、安堵と、そして喜びを感じていた。
……俺と優は、肩をピタリとくっつけ、仲良く並んで湯船に浸かっていた。
湯温は少しぬるめで、ずっと入っていても平気そうだ。
LED照明は消していたが、今夜は満月で、窓から入るその月明かりだけでぼんやりと明るい。
季節は秋に差し掛かり、コオロギや鈴虫の鳴き声が心地よく聞こえていた。
「……拓也さん、私が混浴の相手で、がっかりしましたか?」
「いや、そんなことないよ。ほっとしたし、嬉しかった」
「……よかった……でも、正直言うと、他の娘も気になってたんじゃないですか?」
「他の娘っていうか……誰が来ても、仲良く一緒に入ろうとは思っていたけど」
「……うん、それでいいと思います。拓也さんは私たち五人全員の『旦那様』ですから……」
優はそう言いながら、頭を少し傾けて、俺の肩の上に乗せてきた。
「……今日、優が来てくれたのも、お蜜さんの指示なのかい?」
「えっ……どうしてそれ、知っているんですか?」
優はぴくっと顔を上げて反応した。
「ここ数日、君たちが俺に積極的に迫ってきているのは、お蜜さんの助言があったからって分かってたから……今日もそうなのかなって」
「……さすが拓也さん、何でもお見通しなんですね……」
いや、実は昼間に凜さん達の会話をこっそり盗み聞きしてしまっただけなんだけど。
「それで、たぶん今日、その指示の締めくくりだったはずだから……今まで優柔不断だった俺が悪かった。だから、今日は誰が来ても受け入れようって決意していた。ただ、それってひょっとしたら君に対する裏切りにならないかなって心配してた。それで来てくれたのが君だったから……ほっとしたのと、どうして今日、優なのかなって思って」
「……そこまでご存じなんですね……だったら、正直に言います。まず、前から言っているように、他の子達に私と同じように接してもらうのは、私も望んでいることです。それと、拓也さんを何か騙すような指示があるわけじゃなくって……単純に、その……」
優はそこまで言うと、少し恥ずかしそうに下を向いて、つぶやくように言葉を続けた。
「私と今日、思いっきり一緒に弾けて、その後に『他の娘にも同じようにしてあげてくださいね』って言えば、拓也さん、そうしてくれるはずだからって」
……うーん、お蜜さんには完璧に俺の性格を見抜かれてしまっている。
「……でも、あの……優、君は、その……俺が他の子に手を出しても、平気なのかい?」
「……平気じゃないですよ」
「えっ?」
「やっぱり、ちょっと妬いちゃいます。拓也さんの事、大好きだから……でも、苦楽を共にしてきた、私と同じように拓也さんの事が大好きな他の四人にも、幸せになってもらいたい……その思いの方が強いです」
優の言葉に、迷いはないようだった。
そして彼女の決意に、なんだかウジウジと悩んでいた俺が情けなく思ってしまった。
「……きれいなお月様ですね」
窓の外の月を眺めながら、彼女がつぶやく。
「ああ……満月だな……」
「……拓也さん、このお月様、今日がどういう日か分かりますか?」
「満月……初秋の十五夜か。いわゆる『仲秋の名月』だな」
「そうです。そして去年のこの日、私たち五人は、拓也さんに『仮押さえ』して頂いたんですよ」
それを聞いて、俺は「あっ!」と声を上げた。
「そうか、そうだった。それで次の満月の前までに、五百両揃えるよう言われたんだった。あれからもう、一年になるんだな……」
「そうです……もしあのとき、あの川原に拓也さんが現れて私たちを仮押さえしてくれなければ……全員、あの夜の内に知らない男の人に弄ばれていた……そして今日もあの満月を、全く別の場所で、たぶん泣きながら見ていたことでしょう……」
月光に照らされる優のその表情は、心底安堵したような、こっちまでほっとするような、そんな笑顔だった。
「……そうだな……俺も、あのときにあの道を通っていなければ、君たちに出会うことができずに……今もこの時代を単なる『金儲けと好奇心を満たす場所』ぐらいにしか考えていなかったかもしれない……」
「……いえ、拓也さんなら他に女の子を見つけて……私たちではない誰かと幸せに暮らしていたでしょう。貴方を慕う女性、大勢いますから……」
俺はそれを聞いて、あやうく「それって、誰のこと?」と聞いてしまいそうだったが、すんでの所で思いとどまった。
「……けど、前から不思議に思ってたけど……みんな、俺なんかのどこが気に入っているんだ? 三郎さんのように強いわけでも、啓助さんのように頭が良く、仕事ができるわけでもない。俺が買い取ったって事で、未だに恩を感じてくれているのか? それだったら、そんなに気にしなくてもいいよ。俺、みんなにいっぱい迷惑かけたし……」
「……いえ、もちろん恩は感じていますが、拓也さんの魅力はそれだけじゃありません。一度、みんなで集まって、拓也さんのどこに惹かれているのか、話し合った事があります」
……やっぱり、この時代の女の子もそういう『ガールズトーク』をしているんだな、と妙に感心してしまった。
「『一緒に遊んでくれて優しい』とか、『私を必死に探して、見つけてくれた』とか、『顔の造りもいい』とか、『主人なのに偉そうにしないし、文句も聞いてくれる』とか、『私たちなんかのために、本当に一生懸命に頑張ってくれる』とか、いろいろ意見が出たのですが……」
……なんとなく、誰が何を言ったのか分かる気がする……。
「結局のところ、『理屈じゃない』っていう結論に達しました」
「……理屈じゃない?」
「はい……私は……いえ、他の娘たちも、拓也さんの事が理屈抜きで大好きなんです」
優はそう言うと、体の向きを変えて、横から俺の体に抱きついてきた。
俺もそれに応えるように体の向きを変え、正面から優の裸体を抱き締め、そして唇を重ねた。
……十数秒後、優は俺に抱きついたまま、
「このまま時が永遠に続けばいいのに……そう思うほど、拓也さんの事が大好きです……」
と言ってくれた。
「……俺もそう思ってる……」
俺はまた彼女を抱き締め、そしてまた、何度も唇を重ねた――。
その後、『
障子を照らす満月の明かりの下。
長い黒髪の美少女の、息を飲むほど美しい裸体が、そこにあった。
優は自分の裸が見られていることに気づくと、赤くなって顔を横に向けた。
その仕草が可愛らしく……俺の鼓動はこれまでにないほど高まっていた。
俺と優は、体を重ね合わせた。
その白く、きめ細やかな肌に触れ、それだけでもこの上なく嬉しく感じ……そして興奮を覚えつつ、それでも乱暴に接することはなかった。
俺は優の柔らかく、暖かい感触に感動し、そして彼女は涙を流した。
フクロウや虫の鳴き声しか聞こえない、前田邸の静かな夜。
俺と優は、共に幸せを感じていた。
秋の夜長の中、この一年の思い出を語り合った。
一番つらかったのは、やはり自分の不注意でアキが時空間移動に巻き込まれ、行方不明になったときだという。
もし何の心配なく、俺と東海道を遡る旅に出られていたならば、それはずっと楽しいものだっただろう、またいつか行ってみたい、と。そしてその時には、他の子達もぜひ一緒に、とも。
さらに、
「盗賊に前田邸を襲撃されたときも怖かったが、自分の『ラプター』でみんなを助けることができた、大事に持っていてよかった」
と、嬉しそうに語ってくれた。
俺はその二つの話を思い出しながら、やはり優が最愛、かつ最良の『伴侶はんりょ』だと言ったが、
「でも、幸か不幸か、私は拓也さんを独占はできないですよ」
と悪戯っぽく微笑み、
「それでも、今夜だけは……」
と、また俺に抱きついてきて……月明かりに照らされ、少し紅潮した白い肌、わずかににじむ汗、その全てを愛おしく感じた。
――どれほど時間が過ぎただろうか。
二人とも弾け疲れて、眠くなってしまっていた。
裸のまま手を繋ぎ、最後に優を軽く抱き寄せ、その額にキスをした。
「……拓也さん……今日、凄く幸せでした……他の娘にも同じようにしてあげてくださいね」
優は、律儀に『そのセリフ』を口にした。
「ああ……」
俺は短く一言、応えた。
すると優は、安心したようにすやすやと寝息を立てて……そして俺もすぐ、心地よい疲労感を感じながら、眠った。
翌日、俺は少女達全員を、囲炉裏部屋に集めた。
制度やしきたりなんか関係無く、全員『嫁』として平等に接すると宣言するために。
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