第64話 三十万両

 淡い白色の光に包まれた少女二人が、俺の部屋に出現した。


 その一人、『ラプター』を手首にはめた優は、先に到着していた俺の顔を緊張した表情のまま見つめた。


 そしてすぐ隣に、自分とビニールテープで腕をつないだ少女が立っていることを確認し、ようやく安堵のため息をついた。


「……ヤエちゃん、もう目を開けていいよ」

 優の優しい呼びかけに、その少女は固く閉じていたまぶたをゆっくりと開く。


「……えっ、うそ、ここって……」

「そう、さっき言った仙人の世界……正確には、『三百年後の世界』よ」


 ほんの少し前まで、ヤエは焼け焦げた屋台の前で、冷たい水をヤケドした左腕に掛けられていた。


 『仙界で治療した方がいい』と説得したところ、彼女はうなずき、母親も俺に娘を託した。


 そして俺と優、ヤエの三人は人目を避けるため『前田屋』の店舗内に移動して『ラプター』を使用、現代にタイムトラベルしたのだ。


 優が今まで『ラプター』を使ったのは、俺の家族に挨拶に来たときと、『明炎大社』から妹のアキを助け出した時のみ。

 『時空間移動の失敗』を怖がる優は、ユキやハルが現代に行きたがっても決して了承していなかった。


 そして俺は江戸時代での緊急事態をスマホで叔父に連絡。

 土曜日で講義のなかった彼は、急いで買ったばかりのSUVで迎えに来てくれた。


 たまたま家にいた妹のアキも、江戸時代から来た少女・ヤエの火傷をみて驚愕し、

「何ができるか分からないけど、私もつきそう!」

 と言い出した。


 本当に何の役に立つか分からないが、俺も人のことは言えないし、了承した。

 叔父、優、ヤエ、アキ、そして俺の計五人は、帝都大学付属病院へ急行する。


 自動車での移動は、ヤエも優も初体験。

 特にヤエは、『乗り物が誰も引いていないのに勝手に動く』という事実に、訳がわからなくなっている様子だった。


 この総合病院、普段は土曜日は休診なのだが、救急患者に関しては別。しかも叔父にとっては同じ大学の関連施設という事もあり、親しい医師も多いらしく、事前に連絡してすぐに治療できる体勢を取ってもらっていた。


 もちろんヤエは保険証など持っていないが、そもそも救急治療にあたっては、むしろそれを手元に用意している患者の方がめずらしい。

 面倒な手続きは後回しにして、まず治療を行ってもらう。


 ヤエは女の子なので、付き添いには江戸時代で彼女をよく知る優と、現代の治療方法(注射など)に慣れていて、説明のできるアキがついた。


 この病院で取られた治療方法は『湿潤療法』というもので、痛みも少なく治りも早い、という比較的新しいものだった。

 一日一回、『プラスモイスト』と呼ばれる、傷口に当てるシートの交換が必要だが、傷跡もほとんど目立たず治すことができるだろうと聞いて一安心。


 なお、気になる治療費は、今回は叔父が持ってくれる事になった。その代わり、『過去からの時空間移動による先端医療受診』の初ケースとなった今回の事例、今後も含めた詳しい経緯の報告を求められた。


 これで、当初の目的は達したのだが……せっかくこの時代に来たのだし、落ち込んでいるヤエを励ましてあげたい。


 ということで、全員、現代の『天ぷら専門店』を訪れた。 

 服装はヤエも優も着物のままだったが、お稽古事の帰り、とでも考えれば珍しくない。むしろ和風の店内によく合っていた。


 注文したのは『海老天丼』二杯と『天ぷら盛り合わせ』三つ。

 運ばれてきたその彩り豊かで豪華な料理に、一同、歓声を上げる。


 まず天ぷら盛り合わせ。

 ヤエと優は、その臭いの少ないことにまず驚いた。

 江戸時代の屋台で出されていた天ぷらは、むっと来るような臭いが鼻についていたのだ。


 二人は『天つゆにつける』という食べ方に少々戸惑っていたが、この時代ではこれが普通という俺達の言葉を信じて、まず海老天を口に運ぶ。

 ……彼女たちは驚きに目を見開き、互いの顔を見合った。


「これ、この天ぷら……すごくおいしいっ!」

 少し間を置いて、ヤエは満面の笑みで声を出した。


 やっと表情が明るくなった彼女に安心し、俺達も食べてみた。

「……これはうまい、さすがに専門店だ、家で作る物とは全然違う!」

 思わず声が出る。アキや叔父もそのおいしさに驚いていた。

 まあ、よく考えたら天ぷら専門店なんて、結構高いし、滅多に来る機会がない。食べ慣れていなくて当然だ。


「どうして……どうして私たちが作ってたのと、こんなに違うの?」

 ヤエが驚愕の表情で尋ねてくる。


「一番は油の質、だろうな。あの時代のそれは不純物も多いし、いやな臭いがきつい。その点、こっちのは純粋な植物油でからっと揚げているから……材料そのものは『いもや』も負けていないと思うけど」


 少なくとも魚介類に関しては、江戸時代の物は全て綺麗な海や川で捕れた天然物だ。


「……野菜の天ぷらもある……これもおいしい……」

 ヤエだけでなく、全員絶賛しながらかなりの勢いで食べている。


 次に、天丼。

 これはヤエ、優にとっては初めての体験だろう。天ぷらをご飯に載せて食べる、という画期的な料理だ。


 これにも、二人は驚きの表情を浮かべた。

 天ぷらと白いご飯を調和させる、とろみがあり甘辛さが絶妙のたれ。

 ヤエは

「こんなおいしい食べ物があるんだ……」

 と、夢中になって食べていた。


「さすがに、ここまでおいしくするのは無理だろうけど……俺が現代の『品質の良い』油を江戸時代に持ち込めば、嫌な臭いの少ない……つまり、『前田屋』で提供できる天ぷらを作れると思うんだけどな」


 俺のこの一言に、優とヤエは敏感に反応し、箸を止めてこちらに注目した。


「前から、『いもや』の天ぷらを前田屋で出せないか、考えていたんだ。鰻ばっかりっていうのも飽きられるだろうし、なによりこの季節、鰻が不足していて、毎日俺が運び込んでいるのが現状だ。それを補いたかったけど、鰻と合わない、あのきつい臭いが問題だった。でも、今食べているような臭いの少ない『天ぷら』や『天丼』なら大丈夫だと思うんだ」


「確かに……これだったら、隣の人が食べていても気にならないと思います」

 優も賛同してくれる。


「ああ。実際に現代でも、両方をメニューに出している店も多いから。ただ、俺としては現代から江戸時代に油を持ち込む、っていうのはどうかなって考えてたんだ。鰻もそうだけど……江戸時代では江戸時代の素材でっていうのが本来あるべき姿だ。でも、今はそうも言っていられない。あっちでも高品質な油を作ることは考えるけど、まずは『いもや』の再建だ。『前田屋』に出せる料理ができるなら、支援することに反対する者なんかいないだろう」


 ……ヤエは、その意味がわからないのか、きょとんとした表情だ。


「ヤエちゃん、私も協力するから……お母さんと一緒にお店、もう一回がんばろうね」


「……えっ、でもっ……でも、どうして、そんな、私たちにこんなにしてくれるの? 仙人の国に連れてきてもらって、すごく丁寧に手当てしてもらえて、こんなにおいしい天ぷら食べさせてくれて……それで、『いもや』の事まで考えてくれるなんて……」


「……どうしてって……そりゃ、放っておけないからだよ」

 ヤエはその言葉も、理解できないというか、信じられないというか、そんな表情だ。


「……ヤエちゃん、拓也さんはこういう人なのよ。なんていうか……うまく言葉にできないけど、困っている人を見過ごせないの。それで……拓也さんが手を貸してあげた女の子は今までみんな、とっても幸せになってるの。『前田屋』で働く私たち五人はもちろん、溺れてるところを助けてあげた女の子も元気になって、お母さんとお礼言いに来てくれたし……隣村に引っ越したミヨちゃんだって、海女さんの仕事、頑張ってる。毎日楽しいって言ってた。だからヤエちゃんも大丈夫よ」


 優のその優しい言葉を聞いて……数秒の後、ヤエはぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「……私、この仙人の国に来るまで、神様なんかいないのかなって思ってた……去年、お父が死んじゃって……お母と二人で、一生懸命『いもや』を頑張ってきたのに、燃えちゃって、私も火傷して……どうしてこんな目に遭うのって、悲しくて……でも、こんなに優しくしてもらえるなんて……」

 ……彼女の涙に、俺も優も、ちょっともらい泣きしてしまった。


 ヤエは、火傷の痛みだけに落ち込んでいたわけではない。自分と母親が頑張って守ってきた店が燃えてしまったことに、相当ショックを受けていたのだ。


「大丈夫、ヤエちゃん。大丈夫よ。拓也さんは本当に、なんていうか、人助けが趣味だから」

「いや、優、別に趣味って訳じゃ……君だって、あんなに怖がっていた『ラプター』、今回使ったじゃないか。それはどうして?」

「どうしてって……だって、放っておけなかったから……」


 優は自分のセリフに苦笑した。

「うん、私も拓也さんの癖が移ったみたいですね」


 そのやりとりを、叔父は興味深そうに聞いていた。

「……なるほど、そうやって拓也は江戸時代の人々になじんでいたのか。俺も六百年前の世界にちょくちょく行っているが、どうもうまくその時代の人たちと打ち解けられないんだ。困っている人を助けてあげる、か。参考になったよ」


「……叔父さん、だめよ、計算で人助けなんて。心から心配しなきゃ、うまく伝わらないよ。私も……お兄ちゃんに助けられたから、よく分かる……」

 珍しく、アキが褒めてくれた。っていうか、いつの間にかアキまで泣いていた。


「……いや、俺は結果的にそうなっただけで、そんな聖人君子ってわけじゃないよ。『いもや』の再建だって、最終的には自分の利益になるって考えてるし。『ラプター』も、最初っから金儲けでの使用が主目的だった。今後は三十万両っていうでっかい話も控えてるし」


「「「「三十万両?」」」」

 その思わぬ言葉に、全員のツッコミが見事にハモった。


「うん? ああ、これはまだ全くの、単なる構想っていうか……江戸時代で、三郎さんが話を持ってきてくれているんだ。簡単に言えば、徳川か、豊臣の埋蔵金みたいな話で……三郎さん自身もまだ詳細知らされてなくて、半信半疑なんだ。例の、海に沈んだ三千両の引き上げに成功したらきちんと教えてくれるんだって。逆に言うなら、わずか一年前に沈んだ、大体の場所も分かっている宝すら見つけられない者に、この大きな事案の詳細を話すわけにはいかないって言われているんだって」


「なるほど……しかし、三十万両とは……途方もない財宝だ」

 なんか叔父の目はもう輝いている。


「お兄ちゃん、それ見つけたら億万長者よっ!」

「いや……それどころか、間違いなく歴史に名を残す大発見となるだろう」

 叔父はやはり、かなり乗り気みたいだ。


「いや、だって、そんな埋蔵金の話なんて、今まで何回も出てきてテレビでも特番組んでやってるけど、見つかった試しがないじゃないか」


「いやいや、それでも江戸時代に、そんな具体的な話があるのなら……」

 なんか話が変な方向に逸れてきた。


「あ、あの、お願いがあるんですけど……」

 ヒートアップしてきた埋蔵金の話題は、ヤエの若干びくついた声で一時中断した。


「ああ、ごめん。つい話に夢中になっちゃった。……で、お願いって?」

「……この天ぷら、すごくおいしいから……お母に持って帰ってあげても、いいかな?」


 ……埋蔵金の有無という壮大な議論と比較して、彼女の願いがあまりにささやかだった事に、一呼吸置いて全員、笑った。

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