第17話 変わる状況、巡らす策略

 京、大阪からでの商談の結果が帰ってきたのは、旧暦の九月七日の早朝だった。


 結果は、併せて千五百枚の受注。これに阿讃屋が在庫分として百枚の追加注文をしてくれ、計千六百枚、金額にしてちょうど百両となった。

 もちろん、最後の百枚はこちらの事情を知った阿讃屋の配慮だった。


 九死に一生、俺は「これで全員救える」と安堵し、いろいろと尽力してくれた啓助さんに豪勢な昼飯をおごった。


 午後、前田邸に戻った俺は、表情に嬉しさがにじみ出ていたようで、それを敏感に察知した女性陣が、「おもてなし」のために「ごちそう」を作り始めた。


 ところがその日の夕刻、「前田邸」に青い顔をした啓助さんが訪ねてきた。

 ここで話すのはちょっと、ということだったので坂の途中まで降りていって立ち話を始めた。


「拓也さん……黒田屋はどうしても優さんを手に入れたいらしい。買い取り金額を、三百両にまで上げてきたんだ」

「なっ……三百……」

「ええ。ちょっと考えられない金額です。家が三軒建つ」

「ばかなっ……じゃあ、また振り出しに……あと七日しかないのに……」

「そう、状況は悪化しています。もうこうなっては、我々にはどうしようもない」

「えっと……他に、京や大阪みたいに売り込みに行ってはいないのですか?」

「いえ……もう、ありません」

「そんな……」

 俺はへたへたと座り込んでしまった。


「……拓也さん、ここは『あと七日もある』というふうに気持ちを切り替えましょう。今からあと百両稼ぐなんて無理だと思いますが、なにか他の手があるかもしれない」

「他の手……」

「そうです。確かに今の黒田屋はお優さんに異常なこだわりを見せている。何かウラがあるような気がします。ひょっとしたら、可能性は薄いですが、その三百両という金額自体がハッタリなのかもしれません。そうでなかったとしても、何か隙を突く手段があるはずです」

「わ……わかりました、俺も一晩、いろいろと考えてみます……」


 あと七日で、最低百両。

 セリになるんだから、ひょっとしたらもっと高い金額を言われるかもしれない。

 暗い表情で母屋に帰った俺を見て、彼女たち五人も不安そうな顔つきになった。


「あ、ちょっと俺、すぐ実家に帰らないといけない用事ができたんだ。料理作ってくれて申し訳ないけど、みんなで分けて食べてよ。本当にごめんっ!」


 俺は努めて明るい笑顔を作ったが、彼女たちから帰ってきたのは無理のある愛想笑いだけだった。

 そのときの俺が箸を付けられなかった「ごちそう」が、頭にこびりついて離れなかった。


 翌日、旧暦の九月八日。この日も早朝から「阿讃屋」で啓助さんと打ち合わせ。


今だ黒田屋の真意はつかめていないが、どうやら三百両の用意は調えており、そこはハッタリではなさそうだという結論に至った。

 となると、何か別の手段を考えなければならない。

 そこで啓助さんは、思わぬ提案をしてきた。


「これは、阿讃屋にとっては痛手になる可能性があるので、本来は言うべきことではないし、私が言ったということは伏せて欲しいのですが……」

「阿讃屋さんにとって痛手……どうするんですか?」

「拓也さん、あなた自身が黒田屋と手を結ぶ、という方法があります」

「……黒田屋と?」

 いぶかしげに、俺は応えた。


「そうです。前に話した通り、黒田屋はお優さんを、利益をもたらす『打ち出の小槌』として見ていると思います。だから三百両もの大金を出そうとしている。しかし、これは一種の博打です。思ったより人気がでないかもしれませんし、体調を崩して働けなくなるかもしれません。投資と考えても、あまりにも危険が大きい」

「はい、それは分かります」

「しかし、もう一つ『打ち出の小槌』がある……拓也さん、あなたです」

「……俺が?」

 意外な言葉に、すっとんきょうな声を出してしまった。


「そう、あなたはすでに我々『阿讃屋』に対して、鏡という商品で相当の利益をもたらしています。唯一無二、あなたしかできないことだ」

「ええ、まあ……そうかもしれませんけど……」

「黒田屋も、あなたのことに注目していることは間違いありません。現に、あなたがお優さんに対して二百両用意できる算段がたつと同時に、準備金の金額を三百両まで引き上げ、即座に我々に伝えてきた。侍を使って脅しをかけてきたことを考えても、相当注目……いや、警戒しているのでしょう」

「警戒……ですか」

 それは商売人としては、ある意味褒め言葉なのかもしれない。


「そうです。しかし、黒田屋にとってあなたが味方になれば、それは有益なことのはずです。我々としては鏡を持って行かれては困りますが、あなたなら何か別の有望な商品を見つけられるでしょう」

「……まあ、それはそのうち発見できるかもしれませんが……」


「そこで、『拓也さんと正式契約すれば、お優さんが稼ぐお金なんかよりももっと利益をもたらすことができる』と思い込ませるのです」

「……なるほど。それで俺が黒田屋と契約する条件として……」

「そう。お優さんの買い取りをやめるように、取引するのです」

「……さすが啓助さんだ。俺一人じゃそんな作戦、思いつけなかった!」

 ……俺は啓助さんの商売人としての才覚に、改めて舌を巻いた。


「これは、うまくいけばあなたにとっても利益をもたらすでしょう。我々としてもうまく立ち回り、『拓也さんを紹介』するという形を取れば、黒田屋に一つ貸しができます」


 啓助さんは、窮地を、逆にチャンスへと変換する、すばらしいアイデアを出してくれた。

 もし、最初にタイムトラベルが実行された日、啓助さんと出会っていなかったらと思うとぞっとするぐらいだ。


 ただ、やはりその策略を成功させるためには、念入りな下準備や段取りが必要になるという。

 俺としても、黒田屋が欲しがるような、売りたがるような商品を「土産みやげ」として準備しなければならない。


 俺と啓助さんは、とりあえず「これしかない」という結論に至ったことに最後の希望を見いだし、ようやく笑顔を取り戻した。


 そして急いで店を出たとき……そこには、以前俺を襲った、あの侍がいた。


「よう……『お優』のこと、あきらめはついたか?」


 そして彼の登場により、この日時間をかけて導き出した「最後の策略」は、あっけなく破綻した。

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