第10話 お背中、流しますっ!

 俺はその日、一番風呂を満喫していた。


 この家の風呂は納屋と母屋の間に存在し、無駄に広い。六畳ぐらいあるんじゃないだろうか。

 脱衣所も完備されており、以前は主人はもちろん、その家族、そして使用人も使っていたらしい。


 ちなみに、源ノ助さんはこの風呂を使っておらず、夜になって見張り対象である五人の少女を閉じ込めた後に、定期的に湯屋、つまり銭湯に通っているという話だった。


 彼女達が一人ずつ入ると時間的にも薪代的にも無駄になるので、二、三人ずつ交替で入っているという。

 俺が今、一人で一番風呂に入っているということは、つまり、とても贅沢なことなのだ。


 そしてこの風呂場には、彼女達が快適に暮らせるよう、そしてうまくすれば高く売れる商品がないかのモニターもかねて、体を洗うためのスポンジやボディーソープ、シャンプー、リンス、タオル類などのグッズを持ち込んでいた。


 ボディーソープの量もそこそこ減っており、使ってくれているんだなあ、と考えていたとき、脱衣所の扉が開き、誰か入ってきた。


 凜さんでないことは、さっきの会話で確認している。

 そして俺は、それが優であることを、心の奥で期待していた。


 高鳴る鼓動、そしてとても長く感じるその時間。

 ちょっと湯加減が熱く、のぼせそうだったので、湯船から出て椅子に座って待っている。


 風呂場の入り口、つまり脱衣所の方は、精神的に直視できない。

 反対側の高い位置にある窓から、やや欠けている月や星々を眺めていた。


 ガラガラガラ、と風呂場入り口の引き戸が開かれた。

 (来たっ!)

 アドレナリンかなにかの、いわゆる「脳内麻薬」が分泌されるのが実感できる。


「「お背中、流しまーすっ!」」

 かわいらしい声が、ハモって聞こえた。

 えっ……ハモって?


 ちらっと、本当にちらっと後を振り返ると、そこにいたのは一応タオルで腰のあたりを隠した、ユキ、ハルの双子だった。


「この子達、どうしてもカゼひいたときのお礼がしたいっていって……それで、お背中流したいんですって」

 凜さんの、少しからかうような声が聞こえた。


 ……やられた。これは不意打ちだ。


 まず、来てくれたのが優でないという落胆と、ある意味での安堵。

 そして十三歳という微妙な歳の、しかもかなり美形の女の子が二人も、裸で俺の背中を流してくれるという、なんというか、イケナイことをしているような罪悪感と、それに相反するハーレム感。


 ……いや、これはイケナイ感の方が強い。

 二人はキャッキャとはしゃぎながら俺の背後に回り、スポンジにボディーソープを付けて俺の体を洗い始めた。


 後を見ることはさすがにちょっとためらわれるので、心を落ち着かせるため、もう一度月でも眺めようと窓の方を見ると……。


「うわあぁ!」

 思わず声が出てしまう。

 こちらをキッと睨む恐ろしげな顔が、そこにあったのだ。


「……ナツか。驚かすなよ、何してるんだ」

「当然、貴様が妹達に変なことしないように、見張っているんだ」

 ……あの、これって完全に「逆覗き」なんですけど……。


「拓也さん、湯加減、いかがですか? ぬるくなったらもっと薪をくべますので、おっしゃってくださいね」

 これは優の声。彼女が風呂の焚きつけ係だったか。これでは来てくれるはずがない。


 俺は少し落胆しながら「まだ大丈夫だよ。熱いぐらいだ」と応えておいた。


 すると、ガラガラガラと、また風呂場の扉が開いた。

 ぎょっとしてそちらをちらっと見てしまい、さらに驚いた。


「り、凜さんっ! どうして? 来ないって言ったのに」

「あら、私は『拓也さんの背中を流すことはしない』って言っただけですわ」

「じゃあ、どうして……」

「お雪ちゃんとお春ちゃんの背中、洗ってあげようと思って」

 ……完全にやられた。


 これは……まずい。ぎりぎり子供の二人だけならまだしも、凜さんの裸まで見てしまったならば、おれは『興奮状態』になってしまうかもしれない。

 そしてそんな俺を、窓から監視しているナツに見られてしまったならば……。


「ちょ、ちょっと待ってくれっ! あの、その……凜さん、これはやり過ぎだっ」

 少し感情的に凜さんを非難してしまった。


「やりすぎ? 今の状況がですか?」

「そうだよ。俺はここまで望んでいた訳じゃないのに」

「……ではお伺いしますが、もし私達が別の場所に『身売り』されていたとして、こんな状況は『やり過ぎ』と言えますか?」

「……それは……」

 凜さんの冷静でまじめな口調に、俺はハッとした。


「私、思うんです。私たち、拓也さんに相当『甘やかされて』いるんじゃないかって。……あの日、あの河原で、みんな不安で、怖くて、怯えていました。噂でいろいろ聞いていましたし……どんな酷い仕打ちを受けるんだろう、どんなつらい日々になるんだろうかって。それなのに、この家に来てから……まだ数日ですが、つらいどころか、楽しいと思う日ばかり。こんな日が、ずっと続けばいいですよ。でも、あと二十日あまりで、また身売りされてしまう。そのとき、今みたいな生活しか知らない私たちでいいんだろうかって」


 凜さんの重い言葉に、ユキとハルの、俺の背を洗う手が止まった。

 彼女達も、うすうす知ってはいたのだ。『身売り』が、本来とてもつらい現実であるはずなのだ、ということは。


「優、お夏ちゃん、あなたたちもそうですよ。今、拓也さんだから気さくに話したり、言いつけに背いたりしてるけど……本来、それは許されることではないし、ご主人様の怒りに触れれば、殴られたり、蹴られたりすることだってあるの。それが、そんな生活が、もうすぐやって来るのよ」

 ……二人から、反論はなかった。


「今日、この場が、その練習とまでは言いませんけど……女の子達には、その自覚を持ってもらいたくて」


 俺は、考えを改めた。

 凜さんは、決してからかい半分で、ふざけて今の状況を作った訳じゃなかった。

 たぶん、こうなる展開を予想して、さっきの話をしたくて、この場を用意したのだ。


「たとえば、今外にいる二人、拓也さんが『体洗って欲しい』って言ったとして、私たちと一緒に裸でこの場所に入ってこれる? その程度の覚悟もなければ、本当に『身売り』されたら、到底やっていけないわよ」

 うっ……今日の凜さん、なんか凄く厳しい。


「……私は、できる。タクヤなら……いや、この身を買ってくれた人の命令ならば、それが屈辱的な命令であっても従う。それでユキとハルが救えるなら。なんなら、今からそうしても構いません」


 そう言葉を残し、窓から彼女の顔が消え、そしてスタスタと足音が聞こえる。

 げっ、ナツ、本気だ!


「だったら……私も、覚悟決めます」

 ゆ……優までっ!


 裸の五人の美少女に、一斉に体を洗ってもらう。

 そんなハーレム的な状況が、今実現されようとしている。

 しかし、俺はその一瞬の気の迷いを振り払った。さっきの凜さんの言葉が、あまりにも重かったからだ。


「みんなちょっと待ってくれ。そもそも、前提がおかしいっ!」

 俺の叫びに、全員の挙動がピタリと止まる。


「なんか、期日までに俺が資金を揃えられないことが前提になっているみたいだけど……そんなことはない。起死回生の一手は、もう打っているんだ」

「……でも、五百両ですよ」

 凜さんの声は懐疑的だ。


「確かに、ちょっと時間がかかるし、運に左右される面もあるけど……決してバクチじゃない。損することはないし、勝算もある。それが決まれば、君たちを正式に買い取ることができる」

「……でも、確実じゃないんですよね?」

「そう。だけど……俺は、この家での生活は、みんなにとって楽しいものであって欲しいと願っている。なぜなら、万一身売りされたとしても、その先でこの生活を思い出して頑張って欲しいからだ」

「……拓也さん、それは逆に残酷なんでは……」

「いや、万一の場合でも、俺は時間がかかったとしても、必ず君たちを買い戻す。必ず、だ。それまで、つらいかもしれないけど、我慢して欲しい。そう願っているんだ」

 嘘偽りのない、本心だった。


「それに……まだ数日だけど、君たちと一緒にいて本当に楽しかった。ユキとハルが熱を出したりと、ドタバタしていたこともあったけど、それもいい思い出だ。だから、この生活をずっと続けたいって、心から願っている。そしてそれにお金を払う価値があるとも」

「……拓也さん、あなたという方は……本当に……」

 凜さんは、心なしか、涙声になっているようだ。


「私、心底感動しましたわ……お礼に、ささやかながら、お背中、流させていただきますわ」

 だああぁ、約束が違うっ!


「ちょ、ちょっと待って! そんなに一度に体洗ってもらってくれても、何が何だかわからなくなっちゃうよ」

「そうですか? でも、今、せっかくみんなやる気になっているのに、もったいないですわ」

「いや、そういう問題じゃなくて、そもそも俺が最初期待していたのは、優一人が入ってきてくれることで……」


 ……言っちゃった。

 一瞬、風呂場の周囲全体の時間が止まった気がした。


「優、ご指名だけど……どうなの?」

「……拓也さんがお望みなら……」

 ……こうして、俺と優はその夜、混浴することになった。


 えっ……マジでっ?

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