第74話

「――すごいわね、あなたがたは」

 クレアノンは、そう言いながらナルアの隣りに立った。

「今まで100年余りも交流が途絶えていた、ニルスシェリン大陸とアヤティルマド大陸の、交流を復活させようというのだから」

「そうですか? 私から見れば、あなたのほうがすごい――というか」

 ナルアは小首を傾げた。

「なんだって、そんな大変な仕事に手をつけたりなんかしたんですか? その――私のやっていることは、まあ、私から見ても無茶なことだとは思いますが、それでも一応、王の命令です。立派な大義名分がありますし、国の援助も受けられますし、馬鹿だけどかわいい部下どももいます。あなたは――失礼ながら、そうではない、でしょう?」

「――そうね」

 クレアノンは、静かに微笑んだ。

「私に命令した人――それとも竜、それとも悪魔――なんて、誰も、一人もいないわね。私は、純粋に自分の意志で、やりたくてこういうことをやっているのよね」

「――なぜ?」

 ナルアは、まっすぐな瞳でクレアノンを見つめた。

「――と、問うのは、失礼にあたるのでしょうか?」

「いいえ。――そうね、こういうことを言ったら、それこそあなたがたには失礼極まりないと思われてしまうかもしれないけど」

 クレアノンは、一つ息をついた。

「はじめはね――はじめはほんとに、ひまつぶしのつもりだったの。でも――だんだん、それじゃ、すまなくなってきたの」

「それでは、あなたはこれからきっと、つらい思いもすることになるでしょうね」

 ナルアはやはり、まっすぐな瞳で言った。

「『ひまつぶし』なら――本当に『ひまつぶし』ならば、人は、それとも竜は、それとも――そうですね、たとえそれが誰であっても、どんな種族であっても、『ひまつぶし』で、本当に傷つく者などいはしません。しかし――」

 豹の獣人、女戦士ナルアは、その、金にとても近い色の琥珀の瞳をスイと細めた。

「『本気』になってしまったのなら――その『本気』の中身がどうであれ、あなたはきっといつか、傷つかずにはいられないでしょう」

「ずけずけ言うのね」

 クレアノンは、感心したように言った。

「すみません、不躾すぎました」

 ナルアは深々と頭を下げた。

「ああ、いいのよいいのよ。あなたの言っていることは、きっと正しいのだと思うから」

 クレアノンの視線が、フイと流れた。

 クレアノンの銀の瞳の先には、宴会の真っただ中でヘラヘラとはしゃぎまわる、下級悪魔のエリックの姿があった。

「あなたももう御存知の通り、あそこにいるエリックは、下級悪魔で、あちらのパーシヴァルはエリックの使い魔よ。ねえ、あなたは――ああ、きっとご存知ないわね。悪魔達のあいだにはね――『落っこちる』っていう、言葉があるのよ」

「『落っこちる』――?」

「ええ。悪魔達が普段、彼らの日常を送っている世界は、私達の世界とは、ちょっとちがった――何て言ったらいいのかしらねえ、私達の世界、今ここで、私達がこうやってお話している世界とは、まったく別の次元にあるのよ。その――失礼を承知で申し上げるけど、この世界は、悪魔達にとっては、彼らの遊び場でしかないの。だから彼らは――悪魔達は、この世界、いいえ、この世界に限らず、人間達の世界で起こることなんかに、本気になったりなんかしないわ。だって、悪魔達にとってそれは、ただの遊戯の盤上で、駒達が繰り広げる一つの模様でしかないんですもの。でも――それでもね、時々――ああ、あなた達の時間感覚からすれば、『時々』ってこともないんだけど――『落っこちる』悪魔もね、いるのよ」

「――『落っこちる』とは、どういうことなんです?」

「――悪魔達が、人間達の世界に『本気』になってしまうことよ」

 クレアノンは、まっすぐにナルアの目を見つめた。

「悪魔達にとって、人間の世界なんて、いくらでも取り換えの効く、ただの遊び場にすぎないの。だから――この世界がたとえ破滅を迎えたとしても、悪魔達は誰一人として、悲しんだり嘆いたりなんかしないわ。そうね、『この世界』に限っていえば、仮に破滅を迎えたとしたら、あそこにいるパーシヴァルは、きっと心から悲しむでしょうし、エリックだってもしかしたら、少しぐらいは悲しいと思ってくれるかもしれない。でも――それだけ。ひとしきり悲しんだら、彼らはきっと、また他の世界へと移ろって行くでしょう」

 クレアノンは、小さく吐息をついた。

「でも――そんな彼らでさえ、『落っこちる』ことがあるの。『落っこちる』っていうのは――」

 クレアノンは、銀の瞳をしばたたいた。

「悪魔達が、本気で、本当に、ある一つの――人間達の世界を、好きになってしまって――もう、世界を渡ることをやめて、その世界に根を下ろし、その世界の住人と成り果ててしまうことを言うのよ」

「――もし、そういうことが起こるのだとしたら」

 ナルアは、真剣な瞳でクレアノンと向きあった。

「その時、その悪魔は――いったい、何になるんでしょうか? だって――だって、それはもう――『悪魔』では、ない、のでしょう――?」

「そうね――悪魔達は単純に、そういう存在のことを『落っこち』って呼んでるけど」

「――『落っこち』――」

「――私にもね、少しだけ、わかるような気がするの」

 クレアノンは、ため息によく似た吐息をもらした。

「私は確かに、世界と世界のあいだを渡る力を持ってはいるけど、それでもやっぱり、悪魔達とは違うの。彼らは――悪魔達は、この世界の生き物じゃないけど、私は、この世界の生き物なの。だから――私の故郷は、この世界。私はこの世界のことを、心から愛しているわ。でも――それでも――私が見ている『世界』と、あなたがたの見ている『世界』とは、きっと、同じものじゃない――」

「それは、誰だってそうですよ」

 ナルアは静かにそう言った。

「人間と獣人――いえ、それどころか、同じ獣人どうし、同じ女どうしの私とオリンちゃんとだって、見ている世界は、きっとまるで違っていると思いますよ。見ればおわかりのとおり、私は豹の獣人で、オリンちゃんはサバクトビネズミの獣人です。体格も、身体能力もまるで違う。私には出来ることがオリンちゃんには出来ないし、逆もまたしかり。オリンちゃんには出来ることが、私には出来ない。――あなたが特別なんじゃありません。きっと――多かれ少なかれ、誰だって、そうなんですよ。誰だってきっと、自分だけの世界を見つめ、自分だけの世界の中で生きているんですよ」

「――ほんとにそうね」

 クレアノンは、感心したように言った。

「あなたと出会えて、そして、お話することが出来て、本当によかったわ、ナルアさん」

「光栄です。竜にそんな事を言っていただけるだなんて」

 ナルアはにっこりと笑った。

「――あなたには、あなたの使命があり、あなたの仲間達がいるのね」

 クレアノンは、ふと、遠くを見るような顔をした。

「だから――私のやることに、何が何でも手を貸してくれ、なんて言うことは、私にはとても出来ないわ。でも――でも、ね、もし――もし、私達がお互い、その、なんていうか――お互いに、助けあうことが出来る時が来たら――」

 クレアノンは、じっとナルアを見つめた。

「その時が来たら」

 ナルアはクレアノンに大きくうなずきかけた。

「もちろんお手伝いしますよ。だって――」

 ナルアは楽しげに、宴会会場を見渡した。

「こんなにも盛大に歓迎会を開いていただいておきながら、そのお返しもしないのでは、私達獣人族の、礼儀というものが疑われてしまいますから」

「あら、そんなこと、別に疑ったりなんかしないわよ」

 そう言いながら、クレアノンもまた、大きく楽しげに笑った。

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