第65話

「あのねえエーメちゃん、あたしの気のせいじゃないと思うんだけど」

 ハルディアナはルティ茶を片手に、エルメラートにのんびりと話しかけた。

「クレアノンちゃんに会ってから、あたしのおなかの赤ちゃんの、大きくなる速度が上がってるような気がするんだけど、そういうことってあるのかしらあ?」

「あると思いますよ」

 エルメラートもまた、ルティ茶を片手に大きくうなずいた。

「もともと、ぼく達淫魔は、他の種族の影響をすごく受けやすいんです。ハルさんのおなかにいるぼく達の赤ちゃんも、ぼくから淫魔の血を受け継いでいますからね。クレアノンさんみたいな強大な力を持つ種族が――竜族がいつもそばにいれば、それは当然、影響を受けますよ」

「あらあ、じゃあ、赤ちゃん、ちょっと早めに生まれてくることになるのかしら?」

「そうなると思いますよ。ええと、ハルさん、赤ちゃんが急に大きくなりすぎて、苦しいとか気分が悪いとか、そういうことはありますか?」

「今のところないわねえ。ああ、強いて言うなら、ご飯がものすごくおいしくて、ついつい食べ過ぎちゃうのよねえ。いやだわ、これ以上おデブになっちゃったら、ますますエルフっぽくなくなっちゃう」

「いいじゃないですか。ぼくは、ふとった人が大好きです」

「真面目な話、大丈夫なのかしらあたし、こんなにパクパク食べてて?」

「大丈夫ですよ。おなかの赤ちゃんが、クレアノンさんからたくさん力をもらえるから、早く大きくなって外に出てきたがってるだけです。たぶんハルさんは、もうそんなに長いこと、妊娠していなくてすむと思いますよ。ハルさんの体に負担にならないんですむんなら、赤ちゃんはどんどん大きくなって、すぐに生まれてくると思いますから」

「あらあ、それじゃあ、生まれてからも、他の子より早く大人になっちゃうのかしらあ?」

「うーん、多少はそういうことになると思いますけど、おなかの中にいる時ほど極端に成長の速度が上がったりすることはないですよ。ぼく達淫魔が一番他の種族の影響を受けやすいのは、おなかの中にいる時――胎児の時ですから。大雑把に言って、若ければ若いほど、幼ければ幼いほど、他の種族の影響を受けるんです。さすがのぼく達も、大人になってしまえば、それなりに、自分というものが固まってしまいますから」

「なるほどお」

 ハルディアナは、おっとりとうなずいた。

「じゃあ、アレンちゃん達の赤ちゃんも、早めに生まれてきちゃうのかしらあ?」

「うーん、ぼく達の子みたいに、はっきりわかるほど早くは大きくならないかもしれませんね。アレンさんとユミルさんのお子さんは、ぼく達の子よりも、淫魔の血が薄いですから。でも、そうですね、いくらかは影響を受けるでしょうね、やっぱり」

「ねえ、エーメちゃん」

 ハルディアナはにっこりと笑った。

「もちろん、ライちゃんとも相談してから決めるんだけどね、クレアノンちゃんに、あたし達の子供の名づけ親になってもらう、っていうのはどうかしらあ?」

「ああ、それはいい考えですね!」

 エルメラートは、パッと目を輝かせた。

「ライさんも、きっと賛成する――ああ、でも、ライさんもしかしたら、ぼく達の子供の名前、もういくつも考えてるかもしれませんね!」

「あらあ、そしたら、その名前は、今度生まれてくる、二番目の子供の名前にすればいいのよお」

「なるほど」

 エルメラートはうなずき、クスッと笑った。

「今度の子供は、ぼくが生もうかなあ?」

「あら、いいんじゃない?」

 ハルディアナは鷹揚に微笑んだ。

「エーメちゃんは、子供の名前を考えたりはしてないのお?」

「ぼくは、生まれてきた子供の顔を見てから考えようと思ってたんです」

「ああ、そうかあ、それもいいわねえ」

「さて、と。そろそろぼく、ライさんと店番かわってあげないと」

「エーメちゃん、リヴィーちゃんとミラちゃんも呼んでらっしゃいよお。あの二人も、お茶にしたいでしょうから」

「ああ、そうですね、そうします」

 エルメラートは身軽く席をたった。ここは、クレアノンが、竜と悪魔の力によって、突貫工事で築き上げた、ハイネリアにおけるクレアノンの住居、兼店舗、『竜の本屋さん』の、居住区だ。

「ライさん、ぼくかわりますよ。お茶にしてきて下さい」

「ああ、ありがと、エーメ君」

 エルメラートの言葉に、店番をしていたライサンダーはにっこりとうなずいた。もっとも、『店番』といっても、クレアノンの店『竜の本屋さん』は、普通の本屋さんとはだいぶ違ったつくりになっている。見る者が見たら、きっとこう言ったことだろう。

 まるで図書館みたいだ――と。

「リヴィーさん、ミラさん、お二人もお茶に――」

 言いかけエルメラートは息を飲んだ。

「――これ、『リヴィー』」

「ふーん、その字、そう読むんだ。おれの名前?」

「そう」

「これは?」

「これ、『ミラ』」

「ああ、おまえの名前か。これは?」

「『クレアノン』」

「これは?」

「『ライサンダー』」

「じゃあ、ハルディアナとエルメラートもあるのか?」

「これ、『ハルディアナ』。これ、『エルメラート』」

「ユミルとアレンは?」

「これ、『ユミル』。これ、『アレン』」

 蝶化け――蝶の化身であるミラは、自分の体でつくりだす糸で、いつもレース編みをつくっている。このハイネリアに来て、ソールディンの当主、リロイの妻ダーニャに、自分でつくった糸ではない、誰かのつくった、他の人のつくった糸でだって、やっぱりレース編みをつくることが出来るのだと知ったミラは、それ以来、今までは白一色だったレース編みに、様々な色に染め上げられた糸を織り込み、美しい模様を編みあげることに夢中になっていたのだ。

 そして今、ミラはそのレース編みに、みんなの名前を――クレアノンの仲間達の、クレアノンの友達の、それぞれの名前を、美しく編みこんで、一枚の作品に仕上げていたのだ。

「ミラちゃん――読み書きが出来たんですか!?」

「いや、なんか、ここに来てから、クレアノンさんやハルさんが、みんなに絵本を読んで聞かせてやったりしてただろ? それをそばでずっと聞いてるうちに、いくらか自然と覚えちまったみたいなんだよな。クレアノンさんやハルさんも、少し教えてやってたみたいだし」

「へえ――」

「これ、『エリック』。これ、『パーシヴァル』」

 ミラは、細い小さな指で、かたわらの蜘蛛化け、リヴィーに、レースの上の名前を丁寧に指し示してやっていた。

「これ、『リリー』。これ、『黒蜜』。これ、『ジャニ』」

「おー、すげー」

「おい、リヴィー、ミラ」

「これ、『リロイ』――なに?」

「お茶だってさ。おまえらもお茶にするだろ?」

「おー、行く行く」

「ミラ、お茶、好き」

「んじゃ、エーメ君、悪いけど、店番よろしくね」

「はい」

 ライサンダーにかわって席につきながら、エルメラートは興味深げにリヴィーとミラ、特にミラを見つめた。ちなみに、『店番』といっても、ここでライサンダーやエルメラートやハルディアナが務める役割は、ほとんど図書館の司書、それも、児童図書館の司書のようなものだ。

「――ねえ、ライさん」

「ん、なに?」

「他の種族の影響を受けて変わっていくのは――ぼく達、淫魔だけじゃないんですね」

「何言ってんの、エーメ君」

 ライサンダーは苦笑した。

「そんなの、あったりまえだろ」

「そうですね」

 エルメラートはにっこりと笑った。

「そんなの、あったりまえのことでしたね!」

 ――エリックとパーシヴァルが、空間転移によって、お茶会の真っただ中にあらわれる、ほんの少し前の出来事である。

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