第48話

「――大人気だな」

 ザイーレンはクスリと笑った。

「そうだな」

 リロイは生真面目な顔でそう答えた。

 大の大人二人が、そろって泣き出してしまう――という珍事に遭遇した、絵本の部屋にいた子供達は、二人が泣いていたあいだこそびっくりして口をつぐんでいたものの、二人が泣きやむが早いか、ワッとクレアノンに群がり、中断していた紙芝居の続きをせがみはじめたのだ。

 そして、今。

 クレアノンは、紙芝居を読んでいる。無事めでたしめでたしになった『小さな男の子のお話』を読んだだけでは、子供達は到底満足できないらしい。クレアノンは、後いくつか紙芝居を読み終わるまで、子供たちに解放してもらえそうになかった。

 もちろん、クレアノンの紙芝居に聞き入る子供達の中には、ザイーレンの幼い愛娘、レオノーラの姿もある。

「あの人は――人と言っていいのかどうかよくわからんのだが――クレアノンさんは、本当に竜なのか?」

「そうだ」

 ザイーレンの問いに、リロイは短く答える。

「――昔からリロイは、嘘をつくことが出来なかったものな」

 ザイーレンは小さく笑う。嘘を『つかない』ではなく、嘘を『つくことが出来ない』と表現するあたり、ザイーレンもまた、リロイのことをとてもよく理解する者の一人なのだ。

「クレアノンさんは――いったい何が目的なんだ?」

「『今現在白竜のガーラートが占有している旧神聖ハイエルヴィンディア皇国領を、全部とはいえないまでも、一部はガーラートから取り戻してみせる。その、ガーラートから取り戻した国土への再移住をはかることによって、今現在ハイネリアとファーティスとの間で続けられている、領土争いを終結へと導けないだろうか』――と、クレアノンさんは主張している」

「…………」

 今日何度目になるのだろう。ザイーレンは絶句した。

「ガーラート、というのは、神聖ハイエルヴィンディア皇国を滅ぼした、かの暴虐の白竜のことだ」

 と、リロイが律義に解説する。

「……彼女の目的はいったい何だ? だって――彼女は、竜なんだろう? 同じ仲間の竜と、敵対するようなことをして、いったい彼女にどんな得があるんだ?」

「――私達と、友達になりたいんだそうだ」

 簡潔に、要点だけを、リロイは述べる。

「…………」

 ザイーレンは、ポカンと口を開けた。

「わ――私達と、友達になりたい!?」

「と、クレアノンさんは主張している」

「…………」

 ザイーレンは、あっけにとられた表情のままクレアノンを見やった。

 様々な声色を使いわけながら、楽しそうに紙芝居を読んでいるクレアノンは、どこにでもいる子供好きのおばさんのようにしか見えない。

「――どうして、私達と友達になりたいんだ?」

「――楽しいから、だそうだ」

 少し考え、リロイはそう答える。

「楽しいから?」

 ザイーレンは軽く眉をひそめる。

「いったい何が楽しいんだ? 私達人間なんて、竜族からしてみれば、ちっぽけで非力で寿命も短い、どうでもいい生き物にすぎないんじゃないのか?」

「クレアノンさんは、そうは思っていないようだ」

 リロイの空色の瞳が、クレアノンを見つめた。

「――これは私の推測だが」

 相変わらず生真面目な顔で、リロイは言う。

「クレアノンさんは――寂しかったんじゃないのか、ずっと」

「…………」

 ザイーレンは、虚をつかれたようにリロイを見つめた。

 そして、悟った。

 ああ、自分は――。

「ああ――私が、ロイちゃんと仲良く出来なかったあいだ、ずっとずっと、寂しかったみたいにか――」

「――私も、寂しかった」

 リロイの瞳が、チラリと揺れた。

「一緒に楽しいことをする友達がいないと――楽しいことをしていても、どこかが少し、寂しいままなんだ」

「――そうだな」

 ザイーレンは、静かにうなずいた。

「――リロイは、あの人は信用出来ると思うのか?」

「出来ると思う。私が判断する限り、あの人の今までの主張や発言に、嘘や矛盾は見つけられない」

「――まったく、とんでもないことを考えつくな、竜という種族は」

 ザイーレンは小さく苦笑した。

「今日私とリロイとを仲直りさせたのも、彼女の考える遠大な計画の中の一手なのか?」

「――私が頼んだ」

「え?」

「私が頼んだ」

 リロイは、まっすぐにザイーレンを見つめた。

「クレアノンさんは言った。領土争いをやめさせるために、ハイネリアのみんなに協力して欲しい、と。『みんな』の中には、もちろんザイーレンも入る。でも、ザイーレンは、私に近づきたくないから、私と一緒に何かするのは、いやなんじゃないか、と、私は思った」

「リロイ――」

「イェントンとソールディンは、ハイネリア四貴族の筆頭と次席だ。クレアノンさんのやろうとしていることは、間違いなく、国をあげての大事業だ。いくらハイネリアが様々な勢力に権力を分散させることに努めてきた国家だとはいえ、クレアノンさんの要求にこたえるためには、四貴族が、イェントンとソールディンが、心を一つにすることがどうしても必要だろう」

「――」

 ザイーレンは軽く唇を噛む。そう――今現在ファーティスとの間で続けられている領土争いは、一種険悪な小康状態とでもいうべきものがずっと続いている。お互い相手に譲る気はないが、だからといって、総力戦に持ち込もうという気もない。国境付近の険悪な小競り合いが、それこそ何十年も延々と続いている。

 だが。

 クレアノンの主張のとおり動くとしたら。

 動くのは、ハイネリアだけではない。

 ファーティスの了解――少なくとも、ある種の停戦協定――をとりつけなければ、領土回復に力を割いたその隙に、あっという間にハイネリアはファーティスに国土をもぎ取られるだろう。最悪、再び祖国を失う羽目になりかねない。

 そう、クレアノンに協力するためには。

 まずは国を一つにする必要がある。

「――私は、レンちゃんがつらいのはいやだ」

 リロイは、ひどく素直な声でそう言った。

「だから、クレアノンさんに頼んだんだ。レンちゃん――ザイーレンさんと仲直りしたいんだけど、私はそういうことが上手じゃないから、いい方法を知っているのなら教えて欲しい、と。――私は自分で自分のことを馬鹿だと思う」

「え?」

「私は、自分のことを馬鹿だと思う」

 誇張でも自嘲でもなく、リロイは本当にそう思っているようだった。

「私はそういうことが――人とつきあうことがうまくないんだから、もっと早くに、誰かに相談していればよかったんだ。もっと早くに、誰かに、たすけて欲しいって言えばよかったんだ。でも、私は、そんなことを思いつかなかったんだ」

「――そうだな」

 ザイーレンの瞳が、わずかにうるんだ。

「私のほうこそ、変な意地を張っていないで、もっと早くに、ちゃんと話しあっていればよかったんだ。リロイより、私のほうがそういうことは得意なんだから、私のほうから、仲直りしよう、って、言っていればよかったんだな」

「でも、もう、仲直りできた」

 リロイは、ザイーレンに向かって微笑みかけた。

「だからこれから、また仲良くすればいい」

「そうだな」

 ザイーレンも微笑んだ。

「正直彼女の――クレアノンさんの主張を受け入れ、彼女に協力するかどうかは、到底私一人で決められることではない。国や他の四貴族より先に、私は一族を納得させる必要がある」

「どちらの方向に納得させる必要があるんだ?」

「――」

 ザイーレンは小さく笑った。以前は皮肉に聞こえていたこんな言葉も、今はもう、その意味をきちんと理解することが出来る。

 リロイは、言われたことを言われた通りにしか受け取ることが出来ない。微妙な空気や、文脈といったものを読むのが極端に苦手なのだ。

「――誰かのことを、ずっと憎み続けるのは、つらい。自分の心が灰になる。そして凍りついていく。なのに焼き焦がされていく。あんな思いは――もう、したくない」

 ザイーレンの瞳は、憎しみにとらわれていた過去を見つめていた。

「誰かにそんな思いをさせたくもない。憎みあわずにすむのなら――そうしたほうがいいに決まっている」

「つまりザイーレンはどうしたいんだ?」

「つまり」

 ザイーレンは、不敵な笑みを浮かべた。

「彼女の主張を受け入れてみよう、ということだ」

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