第27話
ナスターシャは、知っている。
自分が奇妙な――病と言っていいかどうかさえよくはわからぬ、ある発作を持っていることを。
ナスターシャは、覚えている。
いつからそれが始まったのか。
確か、そう――子供の体から、大人の体へと変わりはじめ、小さな女の子が、可憐な少女へ、そして大人の女へと、見えない階段を駆け上っていく時期。
ナスターシャは、奇妙なものにとりつかれてしまった。
いや――他人から見れば、ナスターシャの兄や姉、そして小さな弟以外の人々から見れば、それは、よくて単なる気まぐれで、悪くするとひどい怠け癖にしか見えない。
だが、そうではないのだ。
ナスターシャは、怠けたいわけではない。気まぐれにふるまいたいわけでもない。
ただ、ナスターシャは、時々。
真昼間だというのに、抗いがたい凄まじい眠気に襲われてしまうことがあるのだ。
感情が昂ぶると、なぜだか体の力ががっくりと抜けてしまうことがあるのだ。
兄弟達は、わかってくれた。
それはナスターシャのせいではないと。ナスターシャは、怠けたくて他人の目の前でも突然眠りこんでしまうわけではない。気まぐれなせいで話の途中でいきなり黙りこんでしまうのではない。
それはきっと、病のようなものなのだろう、と。
兄弟達は、わかってくれた。
だが、他の人々は。
両親でさえ、完全にはわかってくれなかった。
だからナスターシャは、いつでも他人から、風の魔法ではまさに世紀の天才と言ってもいいが、他のことにはひどく気まぐれで怠け癖がある女性だと思われてきた。
違うのに。本当は、そうではないのに。
そう言いたいのに、わかって欲しいのに、うまく言えなかった。伝えられなかった。
だから。
初めて出会った時。
兄弟達、以外で、初めてナスターシャのことを理解してくれた者に――ノームの少女、ルーナジャに出会った時に。
ナスターシャは、自らの船に『比翼号』と名をつけたのだ。
「――なんてこと」
クレアノンは息を飲んだ。
「ナルコレプシーだわ!」
「え?」
ライサンダーはきょとんとクレアノンを見つめた。
「な、なんですって?」
「ああ――この世界には、まだこの病気のことを表現するちゃんとした名前がないんだけど」
クレアノンは、食い入るように水晶玉、より正確には、水晶玉の中に映し出された、『比翼号』の操縦席に座った女性――ナスターシャを見つめたままライサンダーの問いに答えた。
「昼間でも――というか、時と所をかまわずに、すさまじい眠気の発作に襲われる病気があるのよ」
「え――そ、それって、睡眠不足とかのせいじゃなくて?」
「全然違うの。どんなに睡眠が足りていても、どんなに本人が起きていようと努力しても、その発作は起こってしまうの」
「え――ま、まさか!?」
ライサンダーは飛び上がった。
「と、鳥船の操縦士の中に、そ、そんな病気のやつがいるんですか!?」
「あらあ、大変」
ハルディアナも大きく目をむいた。
「クレアノンちゃん、その人、事故でも起こしそうな感じなの?」
「いえ――どうやら大丈夫そうね。もしかして、この人――ナスターシャさんは、自分の病気のことを、よくわかっていて、ある程度付き合っていく方法を、独自に見つけ出しているのかもしれないわ」
「そ――そんなことが、どうしてわかるんですか?」
「ナスターシャさんの船には、副操縦士がいっしょに乗っているわ」
クレアノンは、わずかに肩の力を抜いた。
「他の船の人達はほとんど、操縦士一人しか乗っていないのに。まあ当然よね。速さを競うんだもの、よけいな重荷になる副操縦士なんていないほうが楽に速度をあげられるにきまってるわ。でもナスターシャさんの船には、副操縦士が乗っている。あの子は――ノームかしら。空を飛ぶノームっていうのも、けっこう珍しいわね。――ああ、今はそういう話をしてるんじゃなかったわね」
クレアノンは、小さく吐息をついた。
「鳥船っていうのは、私が見たところ、一度風に乗ってしまえば、ある程度は風魔法なしでそのまま飛び続けることが出来るように作ってあるのね。だからナスターシャさんの船は、副操縦士さんがきちんと操縦しさえすれば、別に事故なんて起こさずにすむわ」
「あ――それは、よかった」
ライサンダーが、ほっと体の力を抜く。
「に、しても――え、そ、そんな病気なんて、ほんとにあるんですか?」
「ええ。もっともこの世界では、それが病気だってことに、まだほとんどの人が気づいていないようだけど」
クレアノンはため息をついた。
「そうね、きっと、それこそさっきライサンダーさんが言ったみたいに、単なる寝不足とか、もっとひどければ怠け癖で片づけられてしまうんでしょうね」
「あ――そ、そうですね、俺、きっとそんなふうに思っちゃうと思います」
ライサンダーは、ばつの悪そうな顔をした。
「でも――そうじゃ、ないんですね?」
「ええ。そうじゃ、ないの。まあ、まだ正式な診断をしたわけじゃないから、ほんとにそうかどうかははっきり言えないんだけど――」
クレアノンの瞳がふと曇った。
「もしナスターシャさんが本当にナルコレプシーを患っているんなら――今までそのせいで、ずいぶん誤解とかされてきたんじゃないかしら――」
「その危惧はあたっているかもしれません」
パーシヴァルが頷いた。
「ナスターシャさん――ナスターシャ・ソールディンの二つ名は『風のナスターシャ』です。これは、風魔法の大天才というのと、風のように気まぐれだというのとが理由になっているそうですが――」
「風魔法の大天才、っていうのはともかく、風のように気まぐれ、っていうのは」
クレアノンが、真面目な顔で言った。
「もしかしたら、誤解なのかもしれないわね。病気のせいで、そんなふうに見えてしまうだけで」
「それは」
パーシヴァルの瞳に影が落ちる。
「なんとも、お気の毒な――」
「――私なら――」
クレアノンは、ふと物思いに沈んだ。
「私なら――ナルコレプシーの治療薬を、他の世界から持って来ることが出来るわ――悪魔の力を借りてもいいし――」
「クレアノンさん」
エルメラートが、真顔で言った。
「ナスターシャさんに、薬を分けてあげてもいいと思ってるんですか?」
「ええ。彼女達――ソールディンの四兄弟、それとも五兄弟と、取引をする糸口になるわね――」
「だったらそう言ってあげましょうよ」
エルメラートはクレアノンに頷きかけた。
「取引のことは、ぼくよくわかりません。クレアノンさんに任せます。でも、病気が治る薬なら、誰だって欲しいに決まってますよ」
「ええ――よく、考えてみるわ――」
クレアノンの瞳は、すでに鳥船を見てはいなかった。
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