八重むぐらしげれる宿のさびしきに

この掌編は比恋乃様主催、百人一首アンソロジー企画「さくやこのはな」参加作品です。企画ページ:http://sakuyakonohana.nomaki.jp/



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 8月31日と9月1日の間には、12月31日と1月1日よりも明確な一線が引かれていると思う。

 その線には、またいでしまったら引き返せない、取り返しがつかないと思わせる何かがある。それは夏休みの楽しい思い出のせいかもしれないし、まだわずかに残っている宿題のせいかもしれない。夏休みのない大人になったら、この感覚は消えうせてしまうのだろうか。わたしにはまだ、わからない。

 14歳中学2年生。8月31日午後5時30分——くらい。

 とにもかくにもこのときのわたしは、緊張していた。

 朝起きてから散々葛藤した末、家の裏に広がる雑木林に足を踏み入れたものの、一歩を踏み出すのにひどく勇気がいった。積み重なった落ち葉で成る地面は、わたしが歩を進めるたびに落ち窪んで妙な浮遊感をもたらす。緊張している一方で、地に足ついていないようでもあり、熱に浮かされているようでもあった。

 吐息を、思考を、わたし自身を、すべて。夏が絡めとろうとする。

 木々の間をわんわんと反響する蝉の大合唱。ねっとりとした空気。額に張り付く前髪。どれも感知してはいたけれど、どこか遠いもののように感じられて。

 どうにも頼りない足取りで一歩一歩と進みながら、自分が向かうさきについて思いを馳せる。


 雑木林のいっとう奥。ふっとひらけた空間にある、あの子としつらえた秘密基地。

 木の幹と拾ってきた太い枝を山藤で結び組み合わせた、簡素なテント。

 日当たりも風通りもいい小さな秘密基地を、わたしたちはいつからか毎夏毎夏共有していた。

 あの子はとても不器用で、山藤を結ぶのはわたしの役割。その代わりに、あの子は両手いっぱいに抱えてきた落ち葉を地面に敷き詰めてくれる。

 ふたりで花を摘んではあちこちに飾った。わたしは白い花が好きで、あの子はピンクや赤い花が好きだった。綺麗な石や大切なものは、基地の奥まったところにお菓子の缶を設置して、そこに大事にしまっておいた。入り口の三歩手前には、わたしたちしか知らない落とし穴がある。秘密基地に忍び込もうとした「わるいひと」を罠にかけるためだ。

 わたしとあの子は、夏だけのともだちだった。歳も同じで、お互いにひとりっこで。彼女は祖父母がこの辺りに住んでいるので、夏休みのたびに帰省してくるのだと言っていた。

 思えば彼女について知っているのはその程度だったのだ。あと知っていたことといえば、彼女の好きな花の色と、歯を見せて笑うと八重歯が覗くことと、髪が斜陽に透けるととても綺麗な赤茶色に染まったことだけ——


 わたしは夏のたびに彼女とであう。学校の話も家族の話も通じない。流行りもののはなしも恋愛トークもしない。けれどもわたしたちの間には共通の空気があった。ふたりだけの空間はトクベツで、一緒に何かをするだけで十分に満たされていた。

 どこかで漠然と、そんな夏がえいえんに続くのだと思っていた。


 けれど去年の夏、彼女は秘密基地にやってこなかった。わたしは秋冬春と放置されてぼろぼろになったテントを例年のごとく作り直して、明日にはあの子が来るかもしれないと毎日足繁く雑木林に通っていた。そうして気づいた時には8月31日を迎えていて。ようやくそこでこの夏彼女と会うことはないのだということを理解し、諦観とともに9月1日を受け入れたのだった。


 今年もまた、8月31日がおわろうとしている。わたしはこの夏、秘密基地に手を触れなかった。触れることができなかった。もうほとんど原形をとどめていない枝の塊と朽ちて土にかえってゆく葉たちを、伸びゆく雑草たちに飲み込まれていくわたしとあの子の思い出を、ただただ見つめるだけだった。

 なにもできないまま、9月1日がやってくる。

 あの子と会わない2回目の夏。そのおわり。わたしは緊張していた。今日あの子に会えなかったら、もう二度と会えない気がしていたからだ。

 けれど。

 もし、今日こそ会うことができたのなら——


 雑木林のいっとう奥、ふっとひらけた空間。ぼろぼろの秘密基地。ある一点に目を留めて、わたしは息を飲む。

 それは、木の幹に添えられた新しい太い枝。それをくくる山藤の、不恰好なちょうちょ結び。


 清涼な風が雑木林を吹き抜け、湿った空気をさらっていく。

 蝉の合唱を退けるようにして、かさりと、背後で乾いた足音が響いた。

 振り向く。ああ、と息がもれる。木々の枝葉の間から差し込む斜陽。うっすらと赤を交えた陽の光が、そのひとの髪を染めていた。両腕いっぱいに落ち葉を抱えたあの子が、八重歯を覗かせて笑う。

 すこし背と髪の伸びた彼女が、わたしの名前を呼ぶ。

 わたしも彼女の名前を呼んだ。


 夏のおわり、秋のはじまり。

 あらたに手をとって、一緒に8月31日の一線を超えることができたのなら。

 それはわたしと彼女の夏だけのつながりが、変化し進歩することを意味していた。

 秋へ、そしてそのさきへと。





百人一首 〇四七番

「八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり」

恵慶法師

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