第7話 成人式 1
帝国の軍楽隊の鼓笛が響く。その旋律はけして攻撃的でも悲劇的でもない。むしろ祝賀会にふさわしい荘厳だがどこか明るい音色だ。
だが、フェイフューは緊張していくのを感じた。サータム鼓笛隊にいい思い出がない。彼らの楽の音が響く時アルヤ王国はいつも動乱に陥る。
イブラヒムが片手を挙げると演奏が止まった。場が静まり返った。
「祝福を」
イブラヒムの声だけが高い天井に響く。
「双子の兄弟が揃って満十五歳の誕生日を迎えた。齢十五はアルヤ文化で成人とみなされる年、二人はともに無事大人の仲間入りを果たしたのだ。これは当たり前のことではない、アルヤ王国の水と空気が良いからであり、すなわちアルヤ王国に神の恩寵があるからである。神の慈悲は双子をここまで育てた。
ソウェイルの顔を盗み見た。
ソウェイルの横顔が険しい。イブラヒムを睨むように見つめている。さすがの彼も何か感じ取っているのだろう。
「皇帝陛下からも祝辞の御文を頂戴している」
イブラヒムがどこからともなく薄い箱を取り出した。どうやら書簡が入っているらしい。
「代読させていただく」
細く長い指で箱を開け、中に入っていた紙を手に取る。
「ソウェイル王子、フェイフュー王子、このたびは成人まことにめでたく思い
一度紙をたたむ。
「念のために補足しておくが陛下にはまことに他意はない。
フェイフューは頷いた。
サータム人とロジーナ人が揉めるのはあまり喜ばしいことではない。
両帝国が開戦した場合アルヤ王国も間に挟まれる可能性がある。今のアルヤ王のないアルヤ王国では対応が遅れるだろう。
加えて、ノーヴァヤ・ロジーナ帝国は西洋式の国づくりをしている。サータム人が統治する国とはいえ、東洋の政治に理解のあるサータム帝国の方が文化的にはアルヤ王国との親和性がある。
まして今のサータム人はアルヤ人の宗教にあまり干渉しない。今はまだサータム皇帝にじりじりとロジーナ皇帝と睨み合ってもらう方がいい。
東大陸は今ノーヴァヤ・ロジーナ帝国に振り回されている。あの雪に覆われた氷の帝国が本気で動き出した時東洋諸国はどう対応すべきか。
アルヤ王国を配下に置いたサータム帝国ですら敵わないかもしれない――まことに憂慮すべき事態だ。
この時までは、フェイフューはそんなふうに外患を憂えていた。
イブラヒムが続きを読んだ。
「さて、
急に予想外の人物の名前が出てきたので、フェイフューは密かに驚いた。
ウマル――イブラヒムの前任者、アルヤ王国が属州に転落した時の総督だった男だ。
フェイフューはウマルにいい思い出がない。ナーヒドの家でのびのびと暮らしていたところを引きずり出されて、この講堂で晒し者にされたことがあるからである。
宮殿に連れ戻されてからも、あの男は何かにつけてソウェイルとフェイフューの生活に口を出してきた。フェイフューはウマルの存在が目障りでならなかった。
彼は誰かアルヤ人の手によってこの王都で暗殺された。犯人はまだ見つかっていないが、彼の遺体が王都の川で発見されたのは紛れもない事実だ。そしてそれをきっかけにサータム人とアルヤ人は大きな戦争をした。
いまさら蒸し返すのか――唾を飲む。
イブラヒムは冷静な顔をしている。
「ウマル君の契約したること朕は忘れじ」
いったい何を――
「双子が成人したる時いずれか優れたる者をアルヤ王とせんとす」
天地が揺らぐほどの衝撃だった。
「齢十五は王たらんことに足ると見ゆ。朕はアルヤ王の選定を望む」
講堂の中がざわめいた。
ウマルが地獄の底からよみがえってきた。
――人の上に立つ者は人より強く賢くなければならない。人より愛されるたちもあった方がいい。何より神のご加護があると思える人物でなければならない。
――殺し合っていただく。より強く、より賢く、よりうまく兄弟を出し抜けた方が勝者であり王者だ。
――生き残った方――もう片方の命を
皇帝は、ウマルのあの言葉をまだ有効だと考えているのだ。
手が震えた。
気づいているのかいないのか、イブラヒムは最後まで読んだ。
「次の
喉が渇いた。
言葉が出なかった。
ウマルの約束した、成人の日が、来てしまった。
自分には時間などなかったのだ。すぐにでも身の振りようを考えなければならなかったのだ。もっと早く覚悟を決めていなければならなかったのだ。
ソウェイルが王になった時、自分はどうなるのか。
頭の中に、死、という言葉が浮かんだ。
『蒼き太陽』に殺される。
ソウェイルの顔を見た。
ソウェイルもフェイフューの顔を見ていた。
フェイフューは血の気が引くのを感じた。
ソウェイルの瞳がどこか穏やかに感じられたからだ。
ソウェイルは、落ち着いた顔でフェイフューを眺めている。
なぜだ。
分からなかった。
なぜ落ち着いていられるのだろう。
ソウェイルが分からない。
哀れんでいるのか。『蒼き太陽』である自分が王になることを前提にして、死にゆく弟を見下しているのか。
ソウェイルはそんな性格だっただろうか。少なくとも誰かが死ぬとなれば涙する程度の情けはある男だと思っていたが、仮にも王位を争ったとなれば敵に相当した人間を人間として認めなくなるものだろうか。
分からなくなってしまった。
どうしたらいいのだろう。
ソウェイルは静かだ。
混乱しているのは自分だけなのだろうか。
「――
そこまで読むと、イブラヒムは手紙を閉じ、音もなく箱の中に戻した。間を置かず、傍に控えていたサータム人の文官に持たせ、下がらせた。
「ソウェイル、フェイフュー」
少しだけ前屈みになり、両手の指を組み合わせてから、双子の名を呼ぶ。
「私の失策だ。ウマル公は成人した時、つまり今日をアルヤ王の即位式にしたかったようだが、私は後手に回ってしまった。すまなかったね」
言葉の内容に反して、細められた目は楽しそうですらある。
「しかし私はウマル公とは違う。もとは武人であったウマル公とは違って私は文官上がりの平和主義者だ、剣を持って殺し合うなどと恐ろしいことを君たちに強要したくない。そこで考えた」
そう語る声からは感情の動きが聞こえてこない。
「文明国アルヤにふさわしい王の決め方を」
どくり、と。
心の臓が、震えた。
「十神剣諸君」
イブラヒムの視線が少し遠く向こうの方へ移った。
イブラヒムの視線を辿った。
十神剣の九人が、それぞれ驚いた顔でイブラヒムを見ていた。
「多数決をとろう。君たちで君たちの王を選びたまえ」
まるで文書を読み上げるかのように平坦な声で――
「貴族の名門の当主から元
テイムルが立ち上がった。
「どういうことですか。何も聞いていません」
「今初めて言ったのだ、当然だろう」
「十神剣に関わることは必ず白将軍を通すようにと言ったはずです」
「言えば文句を言わないでくれたのかね。それとも時間があれば拒否できると思っているのかね」
イブラヒムが「他にあるのかね」とからかうように言う。
「王を決めるためにより良い方法があるならばお聞かせいただこうか。より良い、だがしかし、確実に期日までにどちらかに決められる方法があるならば」
誰も口を開かなかった。
「ないならば、十神剣九人による多数決だ」
――より強く、より賢く、よりうまく兄弟を出し抜けた方が勝者であり王者だ。
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