第25話 子供たちを守るため

 すぐ隣で、ラームテインが拳を握り締めたのが見えた。

 ユングヴィは苦笑しながら彼の方を向いた。

 ラームテインが、遠く第二の城壁の門を見やったまま、少年らしい無邪気な笑みを浮かべている。おとなびていていつも澄ました顔をしている彼にしては珍しい。

 それだけ嬉しいのだろう。

 何せすべて彼の作戦のとおりになったのだ。

 たとえ戦場に立てなくても、彼は彼なりの形で勝利を得た。

 ユングヴィは腕を伸ばして彼の頭を撫でた。彼は案の定嫌がって手を払い除けたが、顔をユングヴィの方に向けた。

「喜ぶのはまだちょっと早いよ」

 違う。

 自分たちは今戦場に立っている。

 ここは、今、戦場なのだ。

 ラームテインの策がうまくいったということは、すなわち――

「言ったよな」

 後ろから暗い声がした。

 ユングヴィは、大きく、深呼吸をした。

 覚悟を決めなければならない。

「出てくるな、って」

 ゆっくり、振り向いた。ラームテインも後ろに振り返った。

 バハルが、腰に携えた黄金の神剣のつかに手をかけていた。

 平時は陽気で朗らかな笑顔が、今は、硬く冷たい。

 その表情がすべてを物語っている。

「――ごめん」

 言いながらユングヴィもまた背に負った紅蓮の神剣の柄に手を伸ばした。

 身重の体でうまく立ち振る舞えるとは思わなかった。できてもすべきではないことも分かっている。

 格好だけだ。

 ナーヒドが、戦場では神剣を抜いてその蒼い光を一般兵士たちに見せてやるのだ、と言っていた。何せその刃の輝きは軍神の威光そのものでありアルヤ民族の神秘の象徴だ。見ればアルヤ人の士気は上がる。

 神剣を、抜いた。

 ユングヴィの神剣の刃が、紅玉ルビーのように赤く輝いた。

 その輝きを見た兵士たちは彼女が臨戦態勢に入ったことを察した。ここに敵がいることを悟った。

 その場にいたラームテイン以外のアルヤ人全員が、剣を抜いてバハルの方に構えた。

「でも、私は、子供たちのためにアルヤを守らなきゃいけない」

 バハルが唇を歪めた。

「俺が何者か分かっちゃったわけだ」

 その一言が決定打だ。とどめを刺された気分だ。

 手が震えた。

 ユングヴィが将軍になった時バハルはすでに黄将軍だった。

 十神剣が揃う時はいつもバハルが声を掛けてくれた。ユングヴィは明るく陽気な彼が大好きだった。どんな時でも楽しい気分にしてくれるバハルを信用していた。

 でもここで彼を見逃したら、サータム帝国の脅威に晒されるのはソウェイルやお腹の子だ。

「よくも言ってくれたものです」

 ラームテインが冷ややかな声を出す。

「僕たちが十代だから、何でしたっけ。エルを二度も殺そうとしておきながらよくもいけしゃあしゃあと」

「そうだな、最初にお前を殺しておけばよかった。一番おチビちゃんだからってナメてた俺がバカだった」

 「投降して」と、ユングヴィは言った。

「無駄な戦いはしたくない」

 周りを赤軍兵士たちが囲んでいる。バハルには万にひとつも勝ち目はない。

 最低限で済ませたいという気持ちがある。争わずに済むならそうしたいと思っている。まだ傷つけたくないと思ってしまっている。

 バハルは仲間だった。ユングヴィにとっては良き兄だった。

 だが――彼はエルナーズを殺そうとした。

 自分たちは彼に裏切られている。

 心が、冷えていく。

 秋のことも思い出した。

 蒼宮殿で、ソウェイルは殺されかけた。

 奥歯を噛み締めた。

 思い出を捨てなければならない。

 子供たちを守るためには戦うことも必要だ。

 バハルを捕らえて、しかるべき措置をとって、そして――処刑しなければならない。

 子供たちを守るためだと思えばユングヴィは戦える。

 バハルが神剣を抜いた。それでもアルヤの軍神の象徴である神剣は黄金色に輝いていた。

 向かってくる。

 紅蓮の神剣を構えた。

 ほんの一瞬時間を稼げればよかった。あとは周りの兵士たちがどうにかしてくれる。

 黄金の神剣と紅蓮の神剣が重なる――

 そう思ったのに、黄金の神剣は紅蓮の神剣を無視した。

 ユングヴィの左肩辺りの空気を斬った。

 ユングヴィは反射的に刃を避けて右に跳んだ。間合いを取ろうとした。体は重く思ったほどうまく下がれなかったが何とか切っ先は届かない程度の距離は作れた。

 距離ができてからバハルの本当の目的に気がついた。

 ユングヴィの左側には、丸腰のラームテインが立っている。

 切っ先はユングヴィではなくラームテインの胸に向けられた。

「ラーム!!」

 とっさのことでラームテインは動けなかったようだ。

 だがむしろ動かなかったことがよかったらしい、バハルの剣の先はラームテインの胸を斬らなかった。

 胸ではなく首に走った。

 刃がラームテインの華奢な首に触れるか触れないかのところでバハルは右手を柄から離した。その右手をラームテインに向かって伸ばした。

 まるで抱き締めるかのような動作だったが、

「動くなよ」

 バハルはラームテインの体を抱え込み、前からその喉元に刃を突きつけた。

「動いたらこいつを殺すからな」

 ユングヴィは舌打ちした。半年前までの自分であればこの程度のことではひるまなかったが、今の自分の体は自分で認識しているよりずっと重い。跳び込めない。

 周りの赤軍兵士たちが動こうとした。ユングヴィはそれを「待ちな」と制した。

「あんたの目的は? この状況で人質まで取ってどうしたいの?」

「帝国軍と合流する。帝国に帰る」

「『帰る』ね」

「紫将軍が死んだら困るだろ? 紫の神剣はなかなか主を選びたがらないんだったな? こいつが死んだらまた何年も空席になるかもしれない――それは避けたいだろ?」

「どのみち殺す気なんじゃないの」

「帝国で酒姫サーキイをやるっていう生き方もあるぜ」

 ラームテインが悔しそうに歯噛みした。その首の皮に、刃が触れた。白い肌に赤い血が滲んだ。

 ラームテインはまだ十四歳の少年だ。

 そのラームテインを、成人男性であるバハルが傷つけようとしている。

 許してはならない。

「動くな」

 ラームテインを抱えたまま、一歩、また一歩と下がる。屋上の出入り口となっている扉へ少しずつ近づく。

 扉から城内へ入ろうとしている。

 それを見た時、ユングヴィは、神剣を下ろした。

 どちらにせよ、バハルに逃げ道などないのだ。

 バハルの手が、取っ手をつかんだ。

 押した。

 開いた。

 すぐそこに、空石ターコイズの神剣を構えたエルナーズが立っていた。

 空よりも青い刃が、バハルの右肩から背中にかけてに食い込んだ。

「やってくれたわね」

 バハルの体が硬直した。

 強い風が吹いた。

 エルナーズの長く伸びた前髪をタウリスの強い風が払った。

 赤黒く焼けただれた肉の部分が日のもとに晒された。

「俺の、顔。あんたのこと、恨むからね」

 肉を裂かれる苦痛にバハルがうめいた。

 ラームテインがバハルの腕を抜け出した。こちらに向かって走り始めた。

 今だ。

 手すり壁に立てかけていた銃を手に取った。万が一城壁近くまで敵兵が迫ってきた時のために用意しておいた銃だ。いつでも発砲できるよう弾はすでに装填されている。

「エル、離れて!」

 エルナーズが剣を引き抜いた。向かって左の壁際に身を寄せた。そして剣を鞘に納め自分の両耳を押さえた。

 銃を構えた。

 もうためらわなかった。

 アルヤの子供たちを守るためには、やるしかない。

 引き金を引いた。

 雷鳴がとどろいた。反動でユングヴィは一歩下がった。

 バハルの左耳が弾け飛んだ。

 バハルの絶叫が響いた。

 それを合図に赤軍兵士たちが動き出した。

「捕らえろ!!」

 バハルはそれでも諦めなかった。

 エルナーズを突き飛ばしたあと、階段を転がるようにして駆け下りた。

 兵士たちもまた追い掛けて順番に階段を下りていった。これでは捕縛も時間の問題だろう。まして階段の下には、おそらく、撤収してきた連中が待機している。

 さして強い力で突き飛ばされたわけではないらしい。エルナーズはすぐに態勢を整え、まっすぐ歩いて屋上に出てきた。

 屋上に、ユングヴィ、エルナーズ、ラームテインの三人だけが残された。

 三人は、それぞれの顔を眺めてから、大きく、息を吐いた。

「これで、もう、終わりですね」

「うん、そう。終わりだよ」

「終わるわね。全部」

 「全部が」と呟いて、エルナーズが表情を歪めた。

 ユングヴィもラームテインも、左右からそれぞれにエルナーズを抱き締めた。

 空は今日も突き抜けるように蒼かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます